助けを求める声 ー自分の部屋に潜入ー

「動きますよ。」と声をかけ自転車をこぎ始めた。先輩に密着され、緊張で上昇した体温を、通り抜ける風が下げてくれた。ありがたい。


 しばらく自転車を走らせ、冷静さを取り戻してくると、先輩の胸の感触をいつの間にか探している自分がいた。助けを求めて体を預けてくれているのに、その実、俺はよこしまなことを考えている。自分の中に醜悪しゅうあくなものがあるのを感じた。


 家に近づき、ここから先は結界の領域という境目さかいめを、わざと一気に突き抜ける。〝バチン〟と、電気のスパークのようなものが一瞬起きたが、俺も若月先輩も境界線を無事、越えることが出来た。

 俺はブレーキの音が鳴らないように、足で減速して自転車を止め、境界線の方に目をやる。するとそこから入れない様子の、無数の死霊の姿が見えた。


 やっぱり先輩には、俺にも見えない霊が、いくつもついていたんだと認識する。大六の目を使えば正確に把握することも出来るだろうが、今は先輩と死霊を分けられたことで十分だ。

 そのまま静かに自転車をしまう。



 俺の家は田舎の兼業農家だけに、そこそこ広い作りの2階建てだ。祖父母はすでに他界して両親と俺の3人暮らし。両親の寝室は1階の一番端っこで、俺の部屋は2階の、両親の部屋とは反対側の端っこだ。だから、音とか声が聞こえやすいということは無い。

 彼女の手を引いて暗がりを案内し玄関に到着する。


「先輩、ちょっと待っててもらえませんか?」


 彼女は声を出さずに頷いた。


〝さて、ここからどうやって2階の部屋に、両親に気づかれずにたどり着けばいいのか?〟


 急ごしらえで考えていたことを行動に起こす以外、方法が見つからなかった。


 まず俺は、玄関の引戸に手をかけた。鍵がかかっておらず、出てきたときと同じように開けることが出来た。そして、階段に行くまでの廊下に、両親がいないか確認する。誰もいない。やはり、両親は、俺が出て行ったことに気づかず、そのまま寝ているようだった。


 先輩のところに戻り、極小ごくしょうの小声と、身振り手振りのゼスチャーで、彼女に2階まで行く方法を伝える。内容は伝わったようだ。


 先輩は自分のいてきたくつを脱ぎ、それを手に持つ。彼女の目を見て呼吸を合わせる。

 〝せーの〟で俺は、若月先輩をお姫様抱っこ状態にした。抱きかかえるとき、彼女が小さく「きゃっ」と声を出し、体をかたくした。〝行きますよ〟と目配せをすると、彼女は恥ずかしそうにうなずいた。


 まごまごして、トイレに起きた両親と鉢合わせになるのは御免ごめんだ。足音を一人分として、2階の、俺の部屋までのルートを、できるだけ静かに進み始める。


 ゆっくり…ゆっくりだ…。

 そして、慎重に…物音をたてずに…。


 全身の筋肉をフルに使って進んでいく。いつもの廊下や階段が、険しい道となっていたが、細心の注意を払い、何事も無く部屋の前にたどり着けた。俺はゆっくりと若月先輩を下ろす。 

 申し訳なさそうな目線を向ける先輩に〝全然大丈夫ですよ〟という男らしい態度で返した。本当は少し息が上がっている。


 しかし、まだ声を出すわけにはいかない。部屋の入口を開け、中に入って電気を付ける。服なんかが散乱していたが、それを手早くすみに追いやった。


 とりあえず、先輩と話がしたい。俺はテレビをつけた。

 いくら両親の部屋と離れているからと言っても、女性の声がすれば〝何だ?〟と思うだろう。

 こざかしいが、テレビをつけて、少しガヤガヤさせることでその予防線を張った。

 これで、小声で話す分には問題ない。彼女が部屋に入って、引戸を閉めたところで俺は言った。


「お疲れさまでした、すみませんでした、こんないろんなことしてしまって」


 若月先輩は何度も首を横に振る


「テレビつけたので、小声ならしゃべっても大丈夫です。どうぞ座ってください」


 彼女はまだかしこまっていたが、座布団を敷いて「どうぞ」と言うと、


「ありがとう」


 と言ってベッドを背にして、テレビを向くように、俺の隣に座った


「やっとじゃべれますね。あんまりきれいな部屋じゃないですけど…」


 一気に気が抜けて、二人とも安堵あんどの表情に変わった。力も抜け、知らず知らずに笑顔になってくる。


〝なんて危険で、いけないことをしているんだろう〟という気持ちが、お互いにあっただろうが、先輩も俺も、そのドキドキ感が逆に楽しかったのかもしれない。


「ううん、ありがとう、なんだか凄く楽しかった。葦原あしはらくんといると楽しいね。……ごめんね、こんなことまでさせて」


「いえ、俺も楽しかったです。先輩を抱っこしてしまうとは思いませんでしたけど……ダメでした?」


「全然ダメじゃないよ。重かったでしょ?」


「全然重くないですよ。」


 二人でこんな会話をしながら、自分たちの想定外の行動をひそひそと笑いあった。

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