第44話 僕なんかの部屋にいる和水さん⑨


「……お……なぉ……て、起きて」


 微かに聞こえてきた声と、トントンと肩を叩かれた刺激で目を開ける。


「お、起きた。夕飯作ったから冷めないうちに食べて」

「……な、和水さん?」

「そうだけど?」


 ぼんやりとしていた視界がはっきりとした時は、僕は覗き込んできている和水さんと目が合った。


「……!? お、おっぱ!? 裸エプロン!?」


 気を失う前の記憶を思い出し、僕は慌てて飛び起きて和水さんを凝視した。


 あの時、和水さんは下半身には確かにスカートを履いていたけれど、上半身にはエプロンしか着けていなかったからだ。


 和水さんの生の横乳を拝見させていただく絶好の機会。


 僕は和水さんの生の横乳をじっくりと記憶に残そうとして、


「……あれ?」


 和水が普通にエプロンの下に服を着ている事に気が付いた。


「起きていきなり何言ってるの?」


 和水さんが怪訝な視線を向けて来る。


 当然だ。僕は起きたてにオッパイと言いかけて、裸エプロンで誤魔化した。


 つまりは何も誤魔化せずに失言をしたというわけだ。


「い、いえ! な、なんでもありません! ホント、今のはなんていうか、そう、変な夢を見てまして、はは、はは」

「ふぅ~ん、どんな夢だったわけ?」

「それはですね、和水さんが……いえ、忘れましたはい」

「……まぁいいけど、それより、さっきも言ったけど夕飯作ったから食べに来て」

「まさか本当に夕飯を作ってくれたんですか?」

「全然食材ないからあり合わせの簡単なのだけどね。ほら、冷めないうちに来て」


 そう言って立ち上がった和水さんが僕に背を向ける。


 もちろんエプロンの下には、普通にスカートと制服のブラウスを着ていた。


 冷静になって考えれば、和水さんがいきなり裸エプロンになる意味もない。


 きっとあれは僕の変態脳が妄想して生み出した夢だったのだろう。


 急に僕の部屋で和水さんが裸エプロンになるだなんて、僕はどれだけ欲望にまみれているのだろうか。


 童貞の部屋に女の子がいるというシチュエーション故に仕方ないとはいえ、流石に落ち着かなければならない。


 なんて言ったって僕はジェントルマンなのだから。


「……けど、いったいどこからが夢だったんだろ?」


 ぼんやりとそう呟いた時、僕には和水さんの横顔が、意味ありげに笑っているように見えた。


 その笑みがいったい何を表しているのかは分からない。


 そのままキッチンに戻っていった和水さん。


 僕は和水さんが見ていない事を確認して、布団替わりにかけてもらっていたブレザーの匂いを嗅ぎながらキッチンに向かった。




「うわぁ! 美味しそうですね!」


 リビングのテーブルに用意されていたのは、醤油の香ばしい香りを漂わせる炒飯だった。


 匂いに刺激されたのか、一気に食欲がわいてくる。


「今あった食材だとそれくらいしか作れなかったから、口に合うかどうか分からないけど」


 まるで予防線を張るかのような和水さんは、珍しく少しソワソワしているように見えた。


 視線を色々なところに彷徨わせ、自分の髪をくるくると指でいじっている。


 普段は何事にも動じない和水さんのそんな姿は新鮮で、なんだかとても可愛らしかった。


「美味しくなくても文句言わないでよ」

「文句何て言うわけないですよ! 僕なんかのためにわざわざ作ってくれてありがとうございます!」


 文句なんて言うわけがない。


 だって僕は今、意識が飛びそうな程の感動を味わっているのだから。


 この人生の中で、まさか女の子が自分のために食事を作ってくれるなんて思ってもいなかった。


 そんな夢のような出来事が、今実際に目の前で起きている。


 しかも、僕に炒飯を作ってくれたのは、あの和水さんだ。


 ちょっと前にお昼を一緒に食べさせてもらった時、和水さんが料理をするというのは教えてもらってた。


 だが、それでもこうして実際に作ってもらえるだんて恐れ多くて考えもしなかった。


 僕は、今まさに天にも昇るような気持ちだった。


「さっそく頂いてもいいですか?」

「もちろんいいよ。冷めないうちに召し上がれ」


 エプロン姿の和水さんにそんな事を言われると、思わず違う意味の召し上げれに聞こえそうだったが、それでも今は美味しそうな湯気を立てている炒飯のおかげで食欲が勝った。


「では遠慮なく、頂きます!」


 人生に二度も無さそうな女の子の手作り料理を食べる機会。


 その貴重な機会を逃すまいと、僕は勢いよく炒飯をかきこもうとした。


「……あ」


 そこで気が付いた。


 机には、僕の分しか炒飯が用意されていない事に。


「あ、あの、和水さん。和水さんの分は?」

「ん? いや、作ってないけど」

「そうなんですか? えっと、どうして?」

「どうしてもなにも、食べてもらいたかったから作ったわけだし、最初から考えてなかった」


 平然とそんな事を言ってのける和水さん。


 よく考えると凄く嬉しい事を言われているような気もしたけれど、それでも僕は、一人で食べるのに気が引けた。それに……。


「和水さん、よかったらなんですけど、半分にして一緒に食べませんか?」

「ちょっと多かった?」

「あ、いえ、そういうわけじゃなくて、その、家での食事はいつも一人なので、和水さんと一緒に食べたら、もっと美味しいかなぁと思ったといいますか、あはは」


 和水さんの目の前で、一人ご飯を食べるのが悪いと思ったからと言えばよかったのに、僕の口からは思わず隠しておこうと思っていた本音が漏れていた。


 あれでは一人のご飯が寂しいと泣き付いているようなものだ。


 和水さんに情けない男だと思われてしまっただろうか。


 まぁ常に情けない姿しか見せていないから、今更だけど……。


 そう強がってみてもやっぱり恥ずかしく、呆れられているかもと怖かった僕は、恐る恐る和水さんを見た。


「ふぅん、そんなに私と一緒に食べたいの?」


 和水さんは、いつも通りだった。


 口角を上げて不敵に笑い、余裕の表情で僕を見下ろしてくる。


 その和水さんの瞳で見つめられると、僕はいつもゾクゾクするのだ。


「は、はい! 和水さんと一緒に食べたいです!」

「そっか、だったら、ほら、ちゃんとお願いしなきゃね? 今日は私の事をなんて呼ぶんだっけ?」

「ぁ、あ、ママ! ママと一緒に食べたいです!」

「ふふっ、はぁい、よく言えました」


 前かがみになった和水さんが頭をよしよししてくれる。


 僕は目の前で揺れる和水さんの胸を凝視しながら、その幸せをかみしめた。

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