第32話 揺れる和水さんと流れる鼻血③
それからはベンチで横になってしばらく休んだ。
点が入ったり、点を入れられたりしたけれど得には興味はない。
僕は横になりながら女子の体育を、正確には和水さんがたまに走る姿を眺めて過ごした。
「お~い、打席だけどホントに大丈夫か?」
先生の声で身体を起こして返事をする。
鼻血ももう止まってきているから何ともない。僕はバットを持って打席に走った。
「ふっ……ふふっ、鼻にティッシュ突っ込んだままとか、くっ」
隣のクラスの相手のピッチャーに笑われるけれど気にしないようにして、真顔でバットを構える。
「ブフッ!?」
余計に笑われてしまった。
ふざけているつもりはないのに、よっぽど情けない姿らしい。
別に馬鹿にされたところで、普段は気にしない大人な僕だけど、今だけは目に物を見せてやろうと覚悟を決めた。
せっかく和水さんが見てくれているかもしれない絶交のチャンスだ。
童貞の僕が女の子から注目されるなんてこんな経験は滅多に味わえない。せっかくのチャンスにちょっとでもいいところを見せたいと欲が出た。
相変わらず僕が打席に立っても、女子のいる方からは何も聞こえてこない。
注意されて少し大人しくはなっていたけれど、他の人が打席に立つと少なからず応援する声が聞こえていたのに、僕の場合は完璧に無音だ。
相手のピッチャーが肩を震わせて笑いをこらえていた。
バットを持つ手に力を込める。
絶対に打つ。そう決意して相手を睨みつけた時だった、
「がんばれー! 打てるよ!」
初めは幻聴かと思った。
そうじゃないと気が付いたのは、笑っていた相手のピッチャーが女子の方を見て驚いていたからだ。
気が付けば、男子のほとんどが女子の方を眺めている。
僕もつられて女子の方に視線を向けた。
和水さんが叫んでいるのが見えた。
声だけでも誰か分かったけれど、実際にその姿を見るまでとても信じられなかったのだ。
あの和水さんが、大声をだして僕を応援してくれている。
男子はもちろん女子も驚いたように和水さんに注目していた。
その状況がおかしくて、僕は自然と口角が上がっていた。
だってみんなアホみたいに口を開けて和水さんに注目してるから、見ていてちょっと面白かったのだ。
僕はなんだか今までに感じたことがない力が身体にみなぎっている気がした。
これが誰かに応援してもらえる頼もしさなのかもしれない。
バットを構えて得意げな顔でピッチャーを見返す。
僕はあの和水さんに応援してもらえる男だ。
さっき笑われた仕返しに、そんなある種の優越感をここぞとばかりにと醸し出す。
するとどうだろう。相手ピッチャーは和水さんに応援してもらったのが相当羨ましかったらしく、キレたような顔つきになった。
頭に血が上っているのか顔が真っ赤だ。冷静さを欠いているのが手に取るように分かる。
あれならコントロールなんて絶対にきかないだろう。
打てる。絶対に打てる。
そう思って疑わない。
相手が力任せにボールを投げた。
僕はしっかりとボールを見定めるために、瞬きすらせずボールを見続けた。
近づいてくるボールの向こう側で、ピッチャーが『しまった!』とでも言うかのように慌てた顔をしているのが見えた。
「うぐっぅう!?」
たぶん力むあまり球がすっぽ抜けたのだろう。
そうでなければ、よっぽど和水さんに応援してもらった僕が憎かったのか。
なんとなくこっちに向かってくるなとは思ったけれど、ボールを見ることを意識するあまり、僕は顔面に向かってくるボールをそのまま顔で受け止めていた。
顔にボールがめり込む感覚が分かる。
この時間だけで二回目だ。
僕はまた仰向けに倒れながら、はじけ飛ぶ鮮血を眺めることになった。
一瞬だけ暗転した視界が戻ると、僕はまた先生とクラスメイトたちに覗き込まれていた。
「意識あるか?」
「あ、はい」
「おっと、まだ動くなよ。とりあえずちょっとそのまま安静にしてろ」
「わ、わかりました」
「あとまた鼻血出てるから、ティッシュ出せるか?」
「は、はい。自分でできます」
ポケットティッシュを鼻にあてると、また一瞬で真っ赤に染まってしまった。
二回目だというのに、それでも結構な量の血が出ているらしい。
「これはもう保健室だな。流石にこれ以上無理したくはないだろ?」
「あはは、はい、もう大丈夫です」
「頭も打ってるかもしれんからな、誰かに連れて行ってもらおう」
「す、すいません」
多分誰も来たがらないだろうなと思った。
僕は例外として、大抵の男子は体育が好きだ。せっかくの体育の授業中に僕なんかを連れて離脱したい人なんていないだろう。
そうなれば誰かが嫌な役を押し付けられることになってしまう。
せっかく心配してくれているクラスメイトに悪いし、なにより気まずくて最悪な状況になってしまうのが嫌だった。
そこまで考えて一人で行くと先生に言おうとした時、誰かが走って来る音が聞こえてきた。
「どいて」
「え? あ、すまん」
低い威嚇するような声と、それにビビったような隣のクラスの男子の声が聞こえる。
それだけで、僕は誰が近づいてきたのか分かったような気がした。
「先生、私が連れて行きます」
そう言って僕の頭のすぐ傍に立ったのは、思った通り和水さんだった。
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