同化

 僕の目つきで何か感じたらしくって、おじさんは猿轡を片手で外してくれた。もう片方の手に握られているナイフからは肉とは言えないものが垂れ下がってる。

「なんだ?」

「目、閉じたい」

「閉じりゃいいじゃねぇか」

「塞いでよ」

「……いや、やめとこう。どうせなら見とけ」

「なんで!」

「これから先、どうやって生きてくつもりだ? もう人の世界には人間じゃねぇもんがいるってのを知ってるんだ。何も無かったように生きて行けんのか? 第一お前の生きてく場所がねぇだろ。少し待ってやる。俺と一緒にいる覚悟があるなら見るんだ。役に立つ。覚悟がねぇなら足を作ったらさよならだ」


 なにもかも…… なにもかも今、たった今決める。僕は子どもなんだ、家族がいない子どもなんだ、僕の死体がある以上どこにも僕の居場所なんて……


「ひど、いよ…… えらぶ、なんてできない、よ…… おじさんと一緒にいるしかないって、一人じゃいられないって、分かってて……」

「分かってるよ。お前は俺といるしかない。それが分かったなら見とけ。リピドーってヤツをとことん見とくんだ。お前の相棒の正体ってのをな」

 もう一度猿轡をされて、閉じることも出来ない目でさっきの続きを削るおじさんの手だけを見ていた。だって目を離すなんて出来ない…… 削った場所は凹むわけでもないし傷が出来るわけでもない。要するに、ゼリーが減るんだけど周りからすぐそこが塞がれて行く感じ。

 そしておじさんはある程度のゼリーを部屋にあるいくつかのカップに溜めた。僕は絶対にあのカップを使わない。あれになにか入れて飲むなんて出来るわけ無い。


 とろっとカップから足に落ちたゼリーはすごく不思議なものだった。周りに零れるとか、濡らすとかじゃなくって、ぷるんぷるん骨にへばりついている。別に手で整えてるわけじゃないのに骨の裏っ側にまでぐるっと被さっていく。

「痛くねぇだろ?」

頭を振って『うん』と答えた。

「今の内はってことだ。なにせ骨しかねぇ。痛みようがねぇんだよ」

(どういう意味?)

 どんどんカップのゼリーをかけていって、おじさんはあっちからこっちから足を眺めてる。そしてまたお腹を削り出した。

「多分な、上手く行くようならもうちっと必要になると思う。お前の骨ん中に吸収されるはずだからその分足りなくなるんだよ」

 なんか…… 腹が立ってくる。なんでもないことみたいに言うけど、おじさんだって足がどうなるか分かんないんだよね? なんで心配しないのさ!


 その内ゼリーに包まれてる右足がなんだか熱くなってきた。

「変化が始まったな。上手く行きゃいいが」

 どんどん熱くなる。前に熱くなったフライパンをうっかり触ったことがあるけど、あれを骨全部で感じてる…… 熱い、熱い、熱い! 熱いよ!

 縛られたまんま、ベッドの上で転げまわった。もう目なんか開けてられない、熱くて痛くて頭の中がそれに潰されそうで、息なんか鼻だけじゃ足りなくて、吸えないし吐けないしもう……

 冷たい何かが顔にくっついた。

「アンリ、俺を見ろ。痛いのはな、リピドーの一部がお前に同化している証拠なんだ。今、神経を再生してる。だから痛みを感じる。済まんが何もしてやれない。……冷たいのは気持ちいいか?」

僕は一生懸命首を振った。うん、冷たいのいい、なんでもいいから、冷たいのが欲しい!

「分かった。それくらいならしてやれる。成形中の足を冷たくするわけにはいかねぇけどな」

 おじさんはひっきりなしにタオルを濡らしては体中を冷やしてくれた。だからって足が楽になるわけじゃない、もう火に突っ込まれたみたいで、足を作ってるって言うより焦がしてるって方が正しいんじゃないかと思うくら……



 目が覚めた。覚めたから、寝てたんだって分かった。ぼんやりして、でもなに考えてんのか掴めなくって、また寝た気がする……

 大きく息を吸った。たくさん吐き出す。もう一回吸って、吐いて、何回かしたら声が聞こえた。

「起きれそうか?」

「おじさん?」

すごく疲れてるんだ、目を開けたくない。

「まだ眠そうだな。寝てて構わない。ちょっと体を起こしてやるから水だけ飲んどけ」

 肩から背中に平べったい何かが入ってゆっくり体を斜めに起こしてくれる。口にくっついたのはコップ? 口を開けると冷たい水がゆっくり入ってきた。

「分けて飲め。ゆっくりだ」

 2口飲んで、休む。3口目を飲んで休んだ。何回か飲んでコップから口を離した。体が少しずつ横になっていく。なんだろう、この背中の平べったいのは。硬いいたってわけじゃない、それが背中を支えてくれる…… 眠い……

「おやすみ、アンリ。次に起きたら食事しましょ」

母さんの声は優しい……


 体をんんっと伸ばす。良く寝たぁ! 何日分も寝坊した感じ。パチッと目を開けた。

(……ここ、どこ? あれ? どうしたんだっけ?)

 ベッドに起き上がって座ったらふわふわしてちょっと目が回る。だから少しの間じっとしてた。

(気持ち悪い…… トイレ行きたい……)

ベッドから下りて立とうとしたら足がふにゃっ…… え? なに? 足が変! ベッドに掴まってやっと1歩歩いてまたふにゃっと倒れちゃう。

(早くトイレ!)

多分あそこがトイレだと思ったところに頑張って這った。膝が痛い。

 トイレはきれいじゃないけどそんなこと構ってられなかった。淵に掴まって体を持ち上げたら途端に吐いた。たくさん吐くんだと思ってたんだ、けどほんの少しだった。そのまま床に転がって息をするだけ。もう動きたくない。


「なんだ、起きてたのか。そこでなにやってるんだ?」

ドアの開く音とおじさんの声とほとんど同時。

「きもちわるかった、少しはいた。あるけないよ」

「そうかそうか。飯、買って来たぞ。食うか?」

「トイレ、掴まって吐いた」

「わっ、お前汚ねぇな! モーテルのトイレなんて手で触るもんじゃねぇぞ。しょうがない、シャワー浴びさせてやる」

 怒ったみたいな言い方だけどおじさんはそっと抱っこしてくれた。けど、まだ気持ち悪いから返事できなかった。


 裸にされて目を瞑った。見たくないって、足なんか。シャワーのお湯が当たってる……

「見ないのか?」

「だって……怖い」

「自分の足だろ」

「違うよ、おじさんの足だよ」

「ばぁか」

 右足をそっと洗ってくれてる。触られてるのが分かって変な感じ。

「おじさんの手、僕の右足触ってる」

「当たり前だろ、洗ってんだから。成績いいのにあの家出てからアホなことばっかり言ってるな」

「アホって……ひどいよ」

 手が離れた。頭を押さえ込まれた、結構痛い!

「いたいよっ」

「目を開けろ、見るんだ」

「いやだ!」

「見るんだ、しっかり。お前が受け入れなきゃ意味ねぇんだ」

もがいたけど放してくれない。叩いて引っ搔いて、暴れたけどびくともしない……

「見なきゃ……だめ?」

「だめだ」

「どうしても?」

「お前は。俺相手に反抗期丸出しにするんじゃねぇ」

おじさんの手に捕まりながらそっとそっと目を開けた。

「足がある」

「作ったんだ、そりゃあるさ」

「前の足とおんなじ」

「上手く出来たろ? 我ながらたいしたもんだ」

「変な色じゃない」

「ケンカ売ってんのか?」

「足がある」

押さえてた馬鹿力の手が離れて頭を撫でられた。

「お前の足だ。大事に使え、もう溶かすな」

おじさんはいつも無茶なことを言うんだ……


「足があるよ!」

おじさんに抱きついて泣いた。涙が止まんないんだ、足があるから。


 部屋に戻って渡された服に着替えた。

「汚れてる?」

途端に頭を叩かれた。加減してほしいよ! いっつも痛いんだから!

「古着だ、我慢しろ。目立つ色はしばらく無しだ」

そうだった…… 僕たちは逃げてるんだ。

 落ち込もうとしたらタオルを目の前に突き出された。涙、拭けって?

「吐いた跡を拭け。踏むのはいやだ」

「僕が?」

「じゃ誰がやるんだ? まさか俺に拭けって言ってんじゃねぇだろうな。自分の始末は自分でつけろ」

 気持ち悪い。自分の吐いたもんだけど、それをきれいにするって二度とやりたくない。もう絶対に吐かない!

「じゃ、飯だ」

「今、吐いたのを拭いたんだけど」

「だから?」

「……まだ気持ち悪いのにもっと気持ち悪くなるよ」

「また吐くのか。いいぜ、自分で後始末するなら」

「そういう意味じゃないよっ、おじさんなんか大っ嫌いだ!」

「アンリ、そんなこと言うんじゃありません」


 卑怯だ、お母さんになるなんて。


「今はお母さん、見たくない! おじさんも嫌いだ!」

お母さんがあれこれ考えてる。あっという間に溶けて違う人が出てきた。

「カッコいい……」

「良し! 今日からこれで行こう!」

お兄さんだ、きりっとしてて背が高くて……

「この人、食べたの?」

「お前、グロイことケロッと言うようになったな。食ってねぇよ、たまたま髪の毛が口に入ったんだ、セックスしてた時に」

 目をぱちぱちさせてしまった。だってそういう話ダメってお母さん言ってたのに。

「いいの? そんな話。お母さん、だめって言ってたよね」

「俺はお母さんじゃないからね。結構ストレートに言う方なんだ」

「おじさんだってそうだったよ」

なま言うんじゃねぇの。俺はこれ。そう言えば名前どうする?」

「……ジェル」

「ジル?」

「ジェル」

「ジェリー?」

「ジェル」

「……まんまかよっ! 粘った液体って意味だろっ」

「女の人になってもそれ。決めた!」


 ジェルがぶつぶつ言ってるから気分が良くなった。そしたら急にお腹が空いた。美味しそうなパン、サラダ、チキン、オレンジジュース。ブドウまである。

 テーブルからそのブドウが一粒落ちて転がっていっちゃった。

「あ」

思った時には……

「はきたい」

「またかよー、足が伸びたくらいでなんだってんだ」

転がったブドウを僕の足が、伸びて、指が伸びて、掴んできた。

「はきたい」

「トイレ、掴まないで吐いて来いよ。もうシャワーは御免だ。でもそれ、すごいな! そうか、俺の能力までくっついてったんだ。……なんで泣いてんの?」

「こんな足じゃなかった」

「いいだろ、便利になったんだから」


 なんて言い返したらいいのか分かんない。驚いてるんだか、気持ち悪いんだか、それも良く分かんない。


「でも慣れるまで普通の暮らしは無理だな。どうする?」

「リピドー、やっつけたい」

「俺もか?」

普通にそんなこと言えるんだ、この……人は。

「やめといてあげる」

「じゃさ、リピドー、殺して回るか」

「なんてったの?」

「ハンティング。どうせ普通に暮らせないんだし、刺激あるし、社会のためにもなるし。俺がいるんだから楽だろ? 知ってるか? あちこちにそういうハンターっているんだ。小さい時からなら腕も上がる」

「仲間殺されてもいいの?」

「仲間? どうせ俺ははみ出しもんなんだよ。人間とのハーフなんてあいつらにとっちゃ仲間でもなんでもないんだ。お前の足さ、ナイフも持てるんだぜ。相手の喉突くのにちょうどいいだろ」

 変な……人、って思ってたけど。最高に変!

「いいの? そんな人になって」

「だめなの?」

「きっとお母さんならいいって言わない」

「俺、お母さんじゃねぇもん。いいよ、面倒だから任せる」

「いい加減だね」

ジェルはにやっと笑った。

「だから気楽に生きていけんのさ」

「時々……お母さんになってくれる?」

あっという間に出てきたお母さん。

「しょうがないわねぇ。アンリはいつまでたっても甘ったれ屋さん!」


(今はあなたが母だから:完)

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