第11話『隣人は静かに微笑んだ-③-』
慌ただしかった奥の部屋に静寂が訪れた。
不思議に思った藤四郎は件の部屋へ赴くが、そこには例の少女だけがあの小さな扉の上に
「はて……?」
廊下や裏庭にもアスター達の姿はない。
藤四郎は首を傾げ、皆は何処へ行ったのかと少女に訊ねるが返事は返ってこず二人の間に沈黙が流れる。
「うーん」
困り果て、再び窓の外に目をやった。
すると先程まで晴れていた空がうっすら雲がかっているのに気が付いた。
(ひと降りきそうだな……)
裏口から外へ出て本を数冊手に取った。
戻ろうとドアノブに手を掛けた瞬間、ドアノブは乾いた音を立てそれを拒絶する。
「おやおや」
きっとあの少女の仕業だろうと直感で理解するがこのままでは本が濡れてしまう。
別の場所へ移すにも時間がかかり難しいだろう。ならばと開け放たれたままの窓に向かって少女に呼びかけた。
しかし何度呼びかけても少女が顔を出す事はなかった。
壁から離れて中の様子を見るが動く気配は無い。
「そこの可愛いお嬢さん。もしよければこの本だけでも入れてくれませんかね?」
一冊の本を掲げ再び声を掛ける。
その声に少女は疎ましそうに藤四郎を見るがすぐにまた顔を背けてしまった。
藤四郎はめげずに何度も声をかけ続けた。
何度も何度も応える筈のない誰かを呼ぶ声は弱まる事を知らずに続く。
「……」
流石に疎ましく思ったのか、はたまた思いが通じたのか暫くして少女は窓際に近寄り、藤四郎の掲げた本を手に取った。
「ありがとう、ここから渡していってもいいかな?」
別の本を更に掲げ問いかけると、少女はコクりと頷きそれを受け取った。
思いは通じたようだ。
【魔道士協会:応接室IV】
ステラの手当をカレンに頼み、数ある応接室の一つを借りてアスター達は偶然居合わせたスターチスに相談する事にした。
その結果少女は古い家に憑く妖精シルキーではないかという結論に至る。
「あの店は十数年前まで本屋さんだったんだけど店主の方が亡くなってしまってね……」
「まさか、あの子に!?」
「いやいや違うよ。もう随分とお歳を召していたから」
老衰と聞いてアスターは安堵する。
「それからすぐに人手に渡ったんだけど、皆長続きしなくてね。不気味がっていつの間にか借り手も付かなくなっちゃって、結構長い間空き家だったんだよね」
スターチスの話にシオンも頷く。
「曰いわく付きと聞いて主様が買い上げたのですが……」
「ぜーんぜん何にも起きなくて、シロ君残念がってたよね~」
「ええ」
その落胆ぶりは酷かったとカレンは言う。
「でもなんで封印なんて……」
「それはちょっと分からないねぇ」
シルキーとは元来人間と良好な関係を築く事が多い妖精で、どちらかというと家主を守る性格の者がほとんどだ。
ただ一つ注意する事と言えば、シルキーを
だがただ追い出されるだけで彼女達は人に危害を加えない。心根は優しい妖精なのだ。
「藤四郎さん……大丈夫かな……」
アスターがポツリと呟く。
協会に戻ってすぐ店に電話を掛けたもののコール音が鳴るばかりで、藤四郎とは連絡がまだとれていない。
もう既に藤四郎も追い出され店は無人になってしまったのだろうか。そんな不安を漏らすとカレンは満面の笑みを浮かべた。
「シロ君なら大丈夫よ!」
その言葉にアスターを除く一同は「そうだなぁ」「そうですね」と頷く。
シオンでさえ力強く首を振っている。
アスターにはどういう事なのかステラに訊くと「シロウさんは良い人なんです」微笑まれるだけだった。
【雑貨屋グリシーヌ】
(まさか入れてくれるとは……)
――十分前――。
全ての本を部屋に入れ終え藤四郎は窓の下で壁にもたれていた。
『腰にくるなぁー』
本を動かすだけとはいえ、こう何度もこなせば重労働だ。
『あ』
雨がポツリと降り土に滲んで消えていく。
まさに間一髪。
大事な本が濡れなくて良かったと胸を撫で下ろしていると藤四郎のクセのある黒髪に何かが触れた。
ふと上を見上げるとすらりと伸びた白い手と細い金の髪が視界に入る。
藤四郎に触れたのはあの
『……』
指は動かす事無くじっとしていた。
『手伝ってくれてありがとう』
『……』
藤四郎は笑いかけるが、その言葉を聞いたシルキーは部屋へ引っ込んでしまった。
『そう簡単に心は開いてくれない……か』
気落ちする藤四郎の周りを雨の匂いがふわりと包む。
心を静めろと言わんばかりに、雨が庭の木の葉の上で軽快な音を奏でている。
『あの日もこんな雨の日だったな……』
遠い遠い昔の話。
心も体もまだ未熟だった過去を思い出しながら藤四郎は雨空を見上げた。
そこへギィと軋む音と共に裏口のドアがゆっくり開く。
『?』
ひょっこり顔を出したシルキーと目が合うが彼女はすぐに顔を引っ込めた。
『これはこれは』
まるで入って来いと言わんばかりにドアは開け放たれたままだった。
そんな事があり無事家に入る事が出来た藤四郎だったのだが……。シルキーとはまた距離を置かれてしまっていた。
藤四郎は考える。
彼女は何故周りと距離を置くのか。
封印されていた場所だというのに何故あの扉に執着するのか。
(封印されていたのではないのか……?)
ともあれそこにいる間、彼女はどんな時を過ごしていたのだろう。この家がとても長い間空家になっていた事を藤四郎は知っている。
(ずっと一人で寂しかったろうな……)
彼は一人ぼっちの辛さをよく知っている。
(あの子は物を食べれるだろうか)
今日のおやつとして作っておいたプリンが四つ冷蔵庫に入っていた。
プリンと小さなスプーンをトレーに乗せ藤四郎は部屋を出た。
向かった先は例の部屋。
蹲ったまま動かずに居るシルキーの横に腰掛けると、トレーごとそれを差し出した。
「もし物が食べれるのならご一緒にどうですか? 甘い物がお嫌いじゃなければですが」
食事は一緒に食べるだけで美味しく感じ、元気が出る。藤四郎もそうだった。
「毒とか入ってないので安心してください。ほら、ね?」
プリンを一口、目の前で食べて見せる。
その穏やかな表情を見たシルキーは、おずおずとそれを受け取った。
(変な人……私が妖精でも関係ないのね。穏やかでよく笑う……“あの人”みたい……)
そう少女に思わせる程、藤四郎は温かみのある人間であった。
二人の間に心地よい空気が流れる。
その後シルキーが藤四郎の傍を離れる事は無かった。
食べ終わった食器類をシンクで洗っていると何食わぬ顔で少女がそれを拭きだす。
「なんとお手伝いまで。これはありがたい」
「……」
といった感じで店番を再開しても、彼女は藤四郎の隣を陣取っていた。
何もしないのも暇だろうと、藤四郎はシルキーに当たり障りの無い話を振る。
三軒隣の家に子犬が産まれた話に、この間作った焼き菓子が絶品だった話。
彼女は言葉こそ発しないがたまに頷き、そして微笑む程に二人は打ち解けていた。
~♪
そこにドアベルが乾いた鐘の音を鳴らす。
雨は上がり家全体を覆っていた少女の術はいつの間にか解けていた――。
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