第98話 体裁か私か。選びなさい。
マリオ・オヴィリオ。
祖国では家督を継げない冷や飯食いの居候扱いだったというお父様。
夢を抱いた留学生としてカディスを訪れ、地位と富を求めてウェステ伯爵家に婿入りした。
そんな青年が、時を経て罪人として最期を迎えるとは、何という皮肉だろうか。
(器にあわない分不相応な望みだったのよ。大それた事をしたものね……)
見方を変えれば。
たかだか外国人の婿がよくやったものだ。
権力と金、そして色恋は人を狂わし、身に沿わぬ夢を見てしまうのだろう。
しかし肥大化した望みは本人にとっても周囲にとっても災いとなる。
お父様の、オヴィリオの野心は
だけど。
ーーーーもういい。
恨み言も憎悪をぶつける相手もこの世にはいない。いなくなったのだ。
(私は私があるべき場所に戻れたのだから)
後はただ、マンティーノスを立て直しウェステ伯爵家を未来に繋げていくだけだ。
『マンティーノスの
後年そう名付けられた凶悪な犯罪は、発覚して四ヶ月後、首謀者の処刑を以て幕を引いた。
加担した者は平民・貴族を含めて五十人以上にものぼり、カディス犯罪史上に名を残すほどの事件となった。
だが幸か不幸か、カディス国民はむさ苦しい犯罪者よりも私生児から成り上がったウェステ女伯爵のゴシップの方が好みだったようだ。
事件は瞬く間に流されて行き、季節が変わる頃には人々の話題にもなることはなくなった。
そうしてカディスに冬が来た。
「一件落着とはね、行かないけどさ。やっと心置きなく酒が楽しめるよね」
レオンは意気揚々とワインの入ったガラスの杯を掲げた。
窓から差し込む初冬の柔らかな日差しを受け、濃い紅の液体がルビーのように輝く。
「わぁ、美味いね。フィリィ。マンティーノスのワイン侮ってたよ。極上じゃないか」
ワインを飲み干し、レオンが歓声をあげる。
「ほら、きみも飲みなよ。きみの領のワインだ」と波々とワインを杯に注ぐと差し出した。
「大丈夫。毒は入っていないよ」
私は苦笑しそっと口を付ける。
(マンティーノスの味がする……)
出来たばかりでまだ若い。
けれど優しい甘さとマンティーノスの大地と太陽の香りがする。
一年かけて出来たワインは新生マンティーノスを体現しているようだ。
(とても懐かしい味……)
「……うん。今年もよく出来てるわ。本当に美味しい。領民の努力の賜物ね」
今年出来たばかりのワイン樽が届いたのは昨晩のことだった。
領主不在のマンティーノスを守ってくれている執事から、荷馬車いっぱい送られてきた。
「このワイン、結婚式の後の晩餐会に出そう。皆、喜ぶよ」
「そうね……」
「……フィリィ。さっきから心ここに有らずって感じだね」
「レオン……」
私は目を伏せる。
さっきからとレオンは言ったが、この気鬱の始まりは正確には昨晩、マンティーノスからの手紙を受け取ってからだ。
(あの手紙を読んで、落ち着けるはずないじゃない)
私が伯爵位を継承すると決まってから、現地とは綿密に手紙のやりとりを行っていた。
ヨレンテの後継者とはいえ、私には知識も力もない。
エリアナ時代もお父様から何の情報も与えられずにいたせいで寧ろ疎いのだ。
なので恥を偲んで執事に教授してもらっていたのだが。
昨夜、ワインと共に届けられた手紙も、いつもと同じ穏やかな内容であると思っていた。
それが……。
『一昨日、マンティーノスの南部を嵐が襲いました。運が悪く、満潮と重なり高波が海岸の村々を襲い多大な被害が出ました。現在、領民と共に全力で救助・復旧を行っておりますので、ご安心ください』
最後は『アンドーラ子爵様と女伯爵様、ご夫婦揃っての早々のご帰還を心よりお待ちしております』と締めくくられていた。
締めくくられていたが!
ご安心ください?
あり得ない。
(嵐で被害が出ているのに、私はここを離れられないだなんて……)
早く、マンティーノスに帰りたい。
いや。帰らねばならない。
私は杯をテーブルに置き、
「ね、レオン。私……」
「フィリィ。だめだよ。まだ。マンティーノスに戻る前にやらなきゃいけないことがある。それに嵐からもう十日も経ってるんだ。初期段階の処理は終わっているはずだよ。結婚式を終えてからでも遅くない」
「……そうね、分かってる」
三日後には結婚式が控えている。
カディス貴族で最高の権勢を誇るサグント侯爵家嗣子との結婚は、国内のみならず国外からも注目される行事だ。
さらに式と披露宴には国王夫妻と王太后殿下も招待される予定だ。
結婚式までの期間がほとんどないにも関わらず豪華で贅沢な宴が、莫大な費用をかけ急ピッチで準備されている。
これも全てサグントの名にかけて整えられたものだ。
「レオン。分かっているけど……」
もしも今、式を中止にしたとしたら。
サグント侯爵家に大きな損失を与えてしまう(カディス貴族でサグントを敵にまわすことがどれだけ危険なことか!)
それだけではない。
王太后殿下の顔を潰すことにもなるのだ。
でも。
領民が助けを求めているというのに、安穏としていられるはずがないじゃないか。
マンティーノスは私の領なのだ。
苦しんでいる民を結婚式が終わるまでは放っておけと??
(領の危機に立ち会えない領主なんて、誰が信用してくれるというの??)
私の在るべき場所はマンティーノスだ。
王都の貴族の中ではない。
私はビカリオ夫人を呼び、旅支度をするように命じる。
昼夜、馬を飛ばせば一週間で着く。
駅で乗り継げば、一日程度は短縮できる。かなり強行手段だが不可能ではない。
「ごめん、レオン。私、マンティーノスに戻るわ」
「は? 本気? 社交界に居られなくなるよ」
私は大股でレオンに近寄ると両手でレオンの顔を挟み、ヘーゼルの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「ええ。本気。どう考えても、私にとっては体裁よりもマンティーノスが大事なの。レオン、あなたはどうする? 私の隣にいたいなら、来て。嫌なら残ればいい。破談にはしないわ。選んで」
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