第83話 嫉妬。

 私は右手に燭台を持ち、左手で夜着の裾を押さえながら走る。


 レオンの部屋は同じフロアの突き当たり、日当たりの良い角部屋だ。

 館の主人の私室に充てられるはずの部屋だが、さすが嫡子とでもいうべきか。このタウンハウスではレオンが自室として使用していた。

 主寝室用の豪華なマホガニーの扉の前に着くと、ゆっくりと息を整える。

 扉をノックし返事を待たずにノブをひねった。


「レオン!」

「は? フェリシア??」


 レオンが珍しく声を上げる。

 今から着替えをするのだろう。レオンの隣には着替えを抱えた侍従が控えていた。

 仁王立ちをした私を見て、レオンは苦笑する。


「何してるんだ。本当に……。困った人だな」


 レオンは侍従の手から袖口カフから外したばかりのサファイアのカフリンクスを受け取ると、コンソールテーブルの上に丁寧に置いた。


「こんな時間に訪ねてくるとは思わなかったよ。とりあえず扉閉めたら?」


 言われるままに私は後ろ手で閉め中に入った。

 途端に、それまで穏やかだった空気がそこか薄寒い薄暗いものに変わる。


 長かった一日が終わり、ようやく気が休まるというところに歓迎されない侵入者が現れたのだ。


(ちょっと不意打ちすぎたかも……)


 気持ちが逸りすぎてしまった。反省だ。


「勝手な事してるってことも、礼儀がなっていないことはわかってる。でも少しでも早くあなたに会いたかったの」


「僕が恋しくて来たのか。きみにそう思ってもらえてるなんて、光栄だな」


 レオンはもう一つのカフリンクスを外すために左腕を侍従に任せ、反対の手で眉間を揉んだ。


「それで、こんな時間まで起きてたの?」

「まさか。馬車の音で目が覚めたの。レオンが帰ってきたんだって思ったらてもたってもいられなくて」

「……はぁ。嬉しいこと言ってくれるよね」


 レオンは肩にかけていたショールを取り上げる。


「だけど、これはちょっといただけないな」と再びショールを私に巻き付けるとしっかりと胸元で合わせた。


「その格好は僕だけの時にしてもらえないかな。魅惑的すぎて困るんだけど。もしかして僕の忍耐力ためしてるの? フィリィ」

「え」


 ちらりと私は視線を落とす。

 暑い夏を快適に過ごすために極上のリネンで出来た夜着は、丈こそふくらはぎの中程まであるが、生地は薄く体のラインに沿っている。

 つまりは胸や腰の凹凸がとても目立つデザインなのだ。心なしか肌も透けて見えている気も……。


(寝巻きなんて寝るためだけのものだから深く考えてなかったわ……)


 薄くサラリとした生地は湿度が高い王都の夏にピッタリだ。快適さを追って異性の目線など想像もしなかった。


「あ、そんなつもりはないの。急いでたから夜着のまま来て……。身支度を整える余裕がなかったの」


「……いい? フィリィ。若い女性がそんな格好で真夜中に男の部屋に来るのは感心しないよ。相手が例え婚約者でもね。今日は大目に見るけど、次は慎重にしてほしい」


「レオンを不愉快にしたのなら、ごめんなさい」

「いや、謝らなくていい」


 レオンはタイを外し、シャツのボタンを緩めながらソファに腰掛けた。

 完璧なタイミングで侍従が蒸留酒の入ったグラスを差し出す。レオンはゆっくりと口に含み、飲み込んだ。


 たったそれだけなのに。

 見入ってしまう。

 上位貴族というものは何か私たちとは違う血でも流れているのだろうか。

 テーブルに置かれたランプだけという僅かな光源に、レオンの端正な顔立ちがくっきりと浮かび上がり、やや憂いだ眼差しが神秘的で美しい。

 私は思わず息を飲んだ。


「フィリィ?」

「あ、ごめん。見惚れてた。うん。聞いているわ」


 レオンは頬杖をし、なぜか不機嫌そうだ。


「それと年は取っているけど、侍従ヘンリーも男だよ。その辺も覚えておいてほしいな。僕以外の男にきみのその姿を見られたくないんだよ」

「何言ってるの? 彼は使用人よ」


 貴族や富裕層にとって使用人は生きて行く上でなくてはならないものであり、絶対に必要だ。つまり空気と同じで意識せずにそこに在るものなのだ。


「侍従は侍従よ。気にすることないんじゃな……」

「フェリシア。


 レオンは侍従に目配せし退出を指示する。侍従は一礼し部屋を出た。

 そしてレオンは私の顔を遠慮なく見つめ「おいで」と手招きをした。

 私はレオンの隣におずおずと腰をかける。

 レオンの熱のこもった眼差しに背中がむずむずする。この居心地の悪さはなんと言えばいいのだろう。

 当のレオンは想定済みということらしい。意地悪そうに口角を上げ、


「きみは僕のものだからね。どんなことでも誰にも譲る気はないよ」

「レオン……」


 なんて甘い台詞。

 マンティーノスがかかっているから?と答えかけて言葉を飲み込んだ。以前はそうだったかもしれないが、今はきっと違うはずだ。


「私も同じ。レオンだけのものよ」


 一瞬。

 レオンの頬が染まったように見えたーーのは気のせいか……な。


「さぁこの話はここまでにして。……本題に入ろうか、フィリィ」


 何事もなかったかのようにあえて真面目腐った風にレオンは言う。


「わざわざ深夜に押しかけてきたのは僕を誘惑するためではなくて、昼間のことを聞きに来たんだろ? 気になって仕方ないって顔してる。どちらの話から聞きたい?」


「どちらって二つあるの? いいこと? 悪いこと?」

「両方良いことだと思うけどね」


 レオンは私の肩に腕をまわし、首筋に顔を埋めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る