第61話 僕の知らないきみは嫌なんだ。
マンティーノスは古い歴史のある土地である。
ゆえにこの地がカディスとなる以前から綿々と人の暮らしが続いていた。
人が住めば、そこに文化が生まれる。
この民謡も自然に生まれ、現代まで受け継がれてきたのだ。
「古い民謡でね。マンティーノスの女性にとっては聞き馴染んだ有名な曲なのよ」
マンティーノスにだけに伝わる民謡を王都とサグント侯爵領で育ったレオンが知らないのは当たり前だ。
私もエリアナの記憶で知っているだけだ。フェリシアとしては一度も耳にしたことがない。
「フィリィ、それ歌えるの?」
レオンが訊く。
「もちろん。マンティーノス人は誰でも歌えるわ。そうよね?」と私は女性に同意を求めた。
「ええ。左様でございます」
「ね、聞かせてもらえないかな?」
私たちは頷いた。
女性が手足で拍子を取り、私はゆっくりと口ずさむ。
『それは春の女神が目覚めた頃』
この民謡のストーリーは若い男女の恋の物語だ。
マンティーノスの豪農一族の男性が幼馴染の羊飼いの女性に恋をする。
同じ平民でも男性と女性には格差があり、周囲から歓迎はされない間柄だ。
男性は度々アプローチするのだが女性はつれない態度で相手にしなかった。
けれど、女性は一途な男性の熱意に負け彼を受け入れ愛するようになるのだ。
そして、
『ミモザのようなあなたに
と男性が満月の下でプロポーズして曲は終わる。
「青い薔薇の花言葉『永遠の愛』なの。マンティーノスの若い女性は少なからず憧れているのよ」
女性ならば一度は夢見るであろうロマンス。
どこかの誰かが自分に求婚をしてくれるかもしれないと、薔薇の開花時期である春になれば、この領の未婚女性は皆そわそわしてしまうものだ。
「ありがとう。とても良い曲だった。きみは歌もうまいんだね」
フェリシアとは大違いだとレオンは目を丸くし、私の額にキスをする。
「久しぶりに歌ったんだけど、間違えなくてよかったわ」
(にしても、いちいちスキンシップがうるさい……)
嫌ではないんだけど、ね。
人前でしょっちゅうやられるとしんどいのだ。心が。
「フィリィ。マンティーノスの民謡とかよく知ってるね?」
「そりゃあね?」
「エレーラ育ちなのに? いつ習ったんだ?」
なんとなく棘がある。嫌な言い方だ。
ニコニコと良い笑顔を浮かべてはいる。
が、あれは営業用だ。
(もしかして機嫌が悪いの?)
え?
何が原因で?
理由がわからない。
私はレオンの胸元を掴み顔を寄せると耳元に口を寄せる。
「……前に私はエリアナだって言ったじゃない。レオンの知らないこともあるって知ってるでしょ。それなのにどうして機嫌が悪いの? 感じ悪いわ」
「どうしてかな……。うーん。僕の知らないフィリィがいるってのが嫌なのかも。きみは僕のものだから、知らない姿があるのは我慢ならない……んだろうな」
「はぁ?」
「僕もよくわかない。イライラするんだ」
(これって独占欲?)
まさか。
レオンの口調からはそれが真実なのか偽装なのかは判別がつかない。
私は手を緩めレオンを解放する。
「と、とにかく今は青い薔薇について考えましょ? 青い薔薇には意味があると思うの」
わざわざお父様が日記に書いた。ということは何らかの意図があるはずだ。
調べてみる必要があるが、青い薔薇がどこにあるのかすら見当もつかない。
残念ながらエリアナは薔薇に関心がなかったので記憶もないのだ。
(青い薔薇なんてそこら中にあるのが当たり前すぎたから……)
意識を寄せる事すらしなかった。
身近であれば見えないこともある、ということだろう。
「あのお嬢様。子爵様」
女性が遠慮がちに声をかける。
「青い薔薇は栽培が難しいので誰でも作れるというものではございません。このマンティーノスのどこにでもあるという訳ではないのです」
「え、そうなんだ?」
継母が迎えられるまでは、屋敷の中いたるところに飾られていた。
なのでありふれた花だと思っていた。
「手間のかかる薔薇ですので、領主様から特別に許可された数軒の農家とヨレンテ家のお屋敷の中でだけで栽培されております」
「屋敷で育てているの?」
屋敷の庭園に青い薔薇などあっただろうか。
他の色はよく見かけていたが……。
(青い薔薇、屋敷以外でもどこかで見たんだけどな……どこだったかな)
「はい。セナイダ様は青い薔薇がお好きでした。好きが高じてご覧になられるだけでなく栽培もなさっておいででした」
「え。お母……お
「母から聞いた事ですが、セナイダ様は時折お一人でお出かけになられていらっしゃいました。母がどこへ行かれているのかと尋ねると当主の墓所で青い薔薇の世話をしていると教えて下さったと……」
「当主の墓所?」
あそこには墓石が七基あるだけだ。
(薔薇の開花は春。見落としたのかしら)
もう一度、墓所に行かなくては。
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