第57話 死ぬことすら許さない。

 バルコニーには二人、私とルアーナだけしかいない。

 配役は高慢な貴族の跡取りと平民の娘。なんて最高の局面シュチュエーションだ。



(私に罪を着せることができるものね)



 ここで何が起きても、真実は分からない。

 ルアーナはバルコニーから下へ落ち、残るのは当主の座を狙う素性の怪しい私だけ。

 全く……ルアーナの考えそうなことだ。なんと浅はかだ。



「……ルアーナ、馬鹿なことはやめなさい。そんな醜いこと、やるべきじゃないわ」


「醜い?」ルアーナは目を見開きしゃがれた声で言った。


「私が命をかけてまで成そうとする、それを醜いと言うの?」


「ええ。自分の価値すらわかっていない阿呆な行動だわ。美しいとは言えないわね」



 私は腕を組み口をきくのも面倒だと首を傾げた。



「あなたが自分の命を脅しに使っても、何の意味もないってこと自覚するべきね。あなた程度の命で私を強請ゆすることはできない。ただの命の無駄使いよ」

「は??」


 こめかみに血管を浮かせルアーナはこちらを睨む。


「軽い?? 何言ってるの!」

「ルアーナ・オヴィリオ。あなたの命は軽いのよ」

「思い上がらないで! 私はルアーナ・オヴィリオ・ヨレンテよ! 貴族の血筋だから上等? 人の命に……貴賤はないわ!」

「そうかしら。優劣はあると思うわ。当然でしょ」



 人の命は大切だ。

 だがこの身分階級のあるカディスでは、貴族かそうでないかで比重が変わってくる。

 社会的には身分の高いものほど重く、そして低いものは軽い。


 爵位のある私とルアーナ。

 どちらが優先されるのか一目瞭然だ。



「フェリシアさん、あなたなんて意地悪なの! でもね、私の命の価値が軽くてもこの命であなたを窮地に落とすことくらいならできる」



 私の立場をどうやって落とすつもりなのだろうか。


 ルアーナは平民の娘、しかも犯罪人の子だ。

 そして脅す相手はバックに王室が控えた権力者であり、ヨレンテの後継者の資格を持つ私だ。


 何の役にも立たない捨て鉢としか言いようがない。


 突然バルコニーに風が吹き抜け、手すりの上のルアーナの体がぐらりと揺れる。


 私は悲鳴をあげた。



「ルアーナ! 冷静になりなさい。たかだかそんなことのために死ぬつもり?……本気でそう思っているのならば愚かとしか言いようがないわ」


「愚か? 私のこと馬鹿にしてるの?」


「ええ、そうよ。私ね、今回の件で知ったことがあるわ。あなたのこと強かで腹黒い人だと思ってたの。姉の婚約者を寝取って、陰で馬鹿にして。最後には殺してしまったんだから。でも勘違いだったわ。ただの愚鈍で哀れな人だったのね。決して手に入らないものを欲しがって、必死に奪い取ったものの結局は何一つ手元に残らなかったんだもの」


「フェリシアさん、黙って聞いていれば……」



 私は指を突き刺し、ルアーナの口を封じる。



「あらごめんなさい。違ったわね。一つだけあなたのものがあるわ。なんという名だったかしら、そう。ホアキン。ホアキン・ペニャフィエル。エリアナから奪った男よね。大したことのない小物だけど、彼はあなたのものだわ」


「なんて言い方するの?? ホアキンは小物じゃないわ! 素敵な人なの! 侮辱しないで」



 侮辱?

 真実でしょうに。


 フェリシアとして生まれ変わり、エリアナ時代でさえも知り合えない人と出会ってしまった。

 真に格が上の人を知ってしまったのだ。


 レオン。

 あの掴み所のないけれど、ひたすら優しい婚約者。



(まぁレオンと比べたら誰でも凡人になってしまうけど)



 ホアキンはレオンと比べるに値しない人材なのだ。

 あの頃のエリアナわたしが何故ホアキンに執着していたのかわからない。

 ただの政略結婚の相手だったのに。



(しかも私ではなく他の女を愛している男にね)



 過去の私もずいぶん阿呆だったようだ。

 でも、二度目の人生そうはいかない。いや行かせない。



(フェリシアから見ると、ルアーナがあの程度の男をそこまでして欲しがる理由が理解できないわ)



 男女の仲は他人には分からない……。



「ねぇルアーナさん。あなたはホアキンを愛しているのかしら?」

「……」

「どうなの?」



 ルアーナは俯いて、小さく応えた。



「……愛しているわ」

「そう」



 それは真実なのであれば。

 死は生ぬるい。



「ルアーナさん。これからは死ぬんじゃなくて生きる道を探しなさい。この罪は生きて償うべきだわ」



 仕出かしたルアーナの人生は厳しいものになるだろう。

 サグント侯爵家と王太后殿下はお許しにならない。となれば市民としてカディスで平穏に生きていくことは不可能だ。


 ここで死んでしまえば楽だろうが。


 楽なんてさせてやらない。もがき苦しんで地に這いつくばって生き、そして死ねばいい。

 生き恥を晒して生きていけば良いのだ。



 ……と戸惑うことなく考えてしまう自分が怖い。



(私、こんな性格だったかな……)



 エリアナ時代はもっと大らかで優しい性格だった記憶があるのだが。


「ルアーナ、あなたがここで死ぬことは許さない」と私はルアーナの腕を掴み引き摺り下ろした。


「生きなさい。死んだ方がマシと思いながら、生きるの。地に這いつくばって泥をすすっていきなさい!」

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