第30話 非常事態

 旧王宮入り口を入った葵たちは角を曲がり、撃たれないよう入り口から見えない位置まで走る。安堵のため息とともに、葵はそのままくずおれそうになったが、何とか踏みとどまった。


 ――そこまで警戒しなくとも大丈夫だ。我が少し細工をしたからな。


 肩に乗った鷹――クマリが、わずかに羽を震わせる。


 うまく行き過ぎだと思ったら、そういうことか。葵は恨めしそうに鷹を見る。


(もう、先に言っておいてよ! 怖くて気絶しそうだったんだから。大体、クマリはいつも言葉足らずなのよ)


「それで、どこへ行けばいいの?」


 早くマヤを探さなくては、と葵はクマリに指示を仰ぐ。

 国王に会うのは至難の業なのに、マヤはどうやって謁見するつもりなのだろう。元クマリとはいえ、一介の世話役だ。何かコネでもあるのだろうか。


 ――マヤの気配を探しているのだが、なかなか見つからない。気配を消しているのだろう。国王を探した方が早いかもしれない。


 国王のところへ葵が乗り込んだりしたら、それこそ侵入罪で逮捕されてしまう。異国で実刑になって帰国できないなんて事態はごめんだ。


 ――とりあえず、二階へ行け。


 クマリに従って、葵は赤い絨毯敷きの廊下を歩き、階段を上る。

 王宮なのに、廊下にはまったく人がいない。ロイヤルファミリーに対して、こんなに無防備で大丈夫なのだろうか。


 二階は、白い壁の片側に扉がいくつか並んでいた。この中のどれかが国王の部屋なのだろうか。それにしては、本当に誰もいない。


「で、どうする?」

 右肩にとまっている鷹に、葵は声をかけた。


 ――歌え。


「は?」


 ――何でもいいから歌え。


 まさか、それで誰かがドアから出てきてくれるのを待つつもりなのか。


「捕まったらどうするのよ」


 ――国王の方から出てきたのなら、侵入罪にはならないから大丈夫だ。


 クマリの大丈夫は、全然大丈夫な気がしない。


 ――日本の国歌を歌え。


 確かに、国歌なら、こちらが日本人だとわかってもらえるし、ゴルカナ国王にも通じるかもしれない。

 葵は意を決して息を吸い込み、君が代を歌い始めた。


 しんとした広い廊下に、君が代が響く。警備兵が来る気配すらない。

「苔のむすまで」と歌い終わったところで、いちばん奥の扉が開いた。


 出てきたのは、ドラヴィ国王だった。


 昨日見た、口ひげを生やした初老の男性が、葵を見ている。

 やはり、一国の国王というのは存在感が違う。目線ひとつで圧倒されてしまい、自分の中身が見透かされたような畏怖の念を覚える。


「失礼いたしました、陛下」

 英語で謝罪し、葵はあわてて頭を下げる。


「陛下に危険が迫っておりましたので、無礼を承知でお邪魔しました」


 国王が、こちらへゆっくりと近づいてくる。鋭い眼光で葵を見つめたかと思うと、ふっと笑顔を浮かべた。


「君は、昨日の一日クマリだね。それと、本物のクマリ」


 国王が、アカーサを見てほほえむ。どうして、鷹がクマリの魂を乗せているとわかったのだろう。


 ――国王には年に一度、クマリ自らが特別なティカを授ける習わしなのだ。つまり、国王も第三の目を持っている。


 クマリの声が葵の頭の中に響く。だから、どうして先に言ってくれないのだ。


「そう、私にもアリを見ることができる。……クマリ自らここに来るとは、よほどの緊急事態だな」

 国王が声を低くする。


 ――はい。常世から女王アリを連れ出したものがいます。おそらく、こちらへ来ているかと。

 クマリが直接国王の脳内に話しかけているのが、葵にも聞こえる。


「いや、私のところには来ていない」


 国王が否定する。

 てっきり、マヤは女王アリを国王にけしかけて、国を乱すと思っていたのに。


 ――では、おそらく……。


 そのとき、階下で銃声がした。小さな悲鳴も聞こえる。


「遅かったか」

 国王が深いため息をつく。


「だから、早く共和制に移行したかったのだ」


 どういうことなのだ。あの銃声は、マヤが連れ込んだ女王アリに原因があるのだろうか。いったい誰が。


 中年男性の声がした。

 拡声器で話しているらしく、階下から聞こえてくる。が、ゴルカナ語なので内容はわからない。


 ――皆に告ぐ、と言っている。


 クマリが通訳をしてくれる。


「現国王ドラヴィは、世界情勢を鑑みることなく近代化を拒み、政治に宗教祭祀を取り入れ、人権団体から注意を受け続けているにもかかわらずクマリ制度を存続させている。また、十五世紀から続く王政を排し、立憲君主制を打ち立て、さらに共和制に移行しようとしている。民主政治は衆愚政治となり、さらなる貧困を呼ぶ。

国のためにならない政治を続ける国王を、ここに更迭し、王太子チャトナが国王に就任するものとする」


 声の主は、王太子らしい。

 クマリジャトラのときに不遜な態度を取っていた、あの背の高い男性か。


「国のためにならない政治」などと王太子は言っているけれど、ゴルカナ国王は民主化の父として国内外から評価されているはずだ。

 全国民が安定して暮らしていけるよう公共事業によって仕事を作り、インフラを整備し、奨学金制度などを創設、自身も農作物の研究にいそしんでいると聞く。


 それに比べて王太子は軍事と色を好み、聡明な姉に比べて国民からの人気はないらしい。

 数年前、訪日の際に妻ではなく愛人を同席させようとしたと、週刊誌に記事が載っていたのを葵も覚えている。


 また拡声器の演説が聞こえてきた。

 クマリが淡々と翻訳してくれる。


「戒厳令を敷き、現憲法の効力を停止して現国王の権利を凍結、行政権・司法権を軍隊の指揮下に移行する。国民の安全のため、国家非常事態宣言を発令する。不要不急の外出は控えよ。首都および旧王宮近辺は、当面の外出を禁止する」


 てっきり、マヤは国王のところへ行くものと思っていたのに、目標は王太子だったのか。

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