第5話 移動2
今は侍女の一人が、馬を操っている。
俺は、何もすることがない……。
俺は、翻訳の本を丸暗記してしまったのだけど、再度開いて声を出して読む。
もう十分なのだけど、これしかすることがなかった。
「……あなたの前の世界の事を教えてください」
突然言われた。
横を向く。
「え~と。……侍女さん。まだそんなには話せませんけど?」
「エレナです。それと、もう一人の侍女は、セリカです」
エレナさんは、俺と歳が近いと思う。栗色の長い髪と深い蒼い瞳を持っている。まあ、控えめに言って美少女だな。皆、栄養状態が悪そうなので、痩せているけど、魅力は衰えない。
セリカさんは、少し年上だと思う。とても濃い金髪と碧眼を持っている。美女になんだろうな。貴族のお抱え侍女って感じだ。
背は、セリカさんの方が少し高い。俺も高い方じゃないけど、160センチメートル台くらいかな? ヴォイド様を含めた男性全員は、180センチメートル以上ありそうだけど。
そして、全員に教育が行き届いているのか、落ちついている。仕事を持つとこうなるのかな? まあ、俺だけが、子供なんだろう。
「エレナさんですね。ついでに護衛の方も教えて貰えますか?」
「……騎士長が、ザレド。その下にトマスとケビン。御者が、アンソニーとハリソンになります」
俺は本に名前を書いた。これで聞き返す事もないだろう。
ちなみに鉛筆の代わりは、焚火の燃えカスだ。ある程度硬さのある炭を選んで先端を削った。
まあ、9人での移動なんだ。
名前を覚えるくらいは、簡単だ。
さて、なにを話そうかな……。
「俺の前の世界では、魔法はありませんでした。その代わりに科学技術がありました」
「たまに聞く言葉ですね。"科学"……。少し前に王都でトラブルがあったのですが、それも"科学"が原因でした」
"科学"は、カガクと発音してみたのだけど、通じた。それなりに、この世界にも浸透しているみたいだ。
それにしても、トラブルか……、興味あるな。
「どんな、トラブルだったのですか?」
「街の一区画を吹き飛ばして、火災が起きたとか……」
……火薬だな。いや、黒色火薬と簡単に決めつけるのは早計か。ニトログリセリンやガソリンの可能性もある。
いや、考えが危ない方向だ。天然ガスを持ち込んで生活用の火を供給したとも考えられる。
「それは、実用化されると便利なのですけどね」
「……極少数ですが、"科学"を実現した人がいます。その人達は、王城で優遇されています」
頑張れば、奴隷から抜け出せると言っているのか。
そして、俺には魔法ではなく"科学"を期待していそうだな……。
「具体的に何をしたのか知っていますか?」
「痩せた土地を、豊かな土地に変えたそうです」
人工肥料か、もしくは農薬だな……。
ここで、ため息が出た。空を見上げる。
「……内容が分かるのですか?」
「想像はできます。ですが、方法は分かりません。
でもそうですね……。アンモニアを作り出したのかな? 合成窒素肥料だと思います」
"アンモニア"と"合成窒素肥料"を説明したかったのだけど、最終的に"土地の力"とした。単語を覚えないとな……。
エレナさんは、驚いた表情をしている。
そして、顔を俺に近づけて来た。
「あなたは"科学"に明るいのですか?」
「歴史を知っているだけです。本を丸暗記したくらいですかね。
実現となると、難しいです。俺は、学生だったので」
エレナさんが、残念な表情をした。
ここで気になったので、次は俺からの質問だ。
「"科学"が欲しいのであれば、競売の時に聞かれたと思うのですが?
この世界に来た時に評価されたのは、魔法だけでした。"科学"について聞かれれば、少しは値段が変わったのではないでしょうか?」
「王都では、魔法至上主義が主流です。ですが、異世界人の中には、優れた知識を披露する者もいるのです」
「例えば?」
「料理人など、引く手あまたですよ?」
ここで"料理人"という単語が分からなかったので、少し話の腰を折ってしまった。
エレナさんに、少しずつだが言葉を教えて貰う。
そうか……。前の世界の知識を披露すれば、優遇されるのか。
料理人や医者、科学者などは優遇されるのかもしれない。
だけど、俺は生活能力の乏しい学生だったのだ。
少し厳しいかな……。
◇
俺は、水汲みと薪拾いを担当して、開拓村への旅路に貢献した。
それと、肉の一部を"収納"してみた。
結果として、俺の〈収納魔法〉には、時間停止機能が備わっていることが判明した。
肉は腐らなかったのだ。
また、"開放"した肉は、ミンチとなっていたので、タマネギと卵と混ぜてハンバーグを作った。タマネギのみじん切りはエレナさんに任せて、俺はこねるだけ。空気抜きが必要だったと思うけど、焼いた時には崩れなかった。味付けは塩のみ……。胡椒はないのか高いのか分からない。
ヴォイド様は食べたことがなかったらしく、喜んでくれた。
まあ、毎日煮込み料理では飽きてしまう。嘘でも嬉しいかもしれない。
夜になり、テントを建てて休む。
左手で魔法陣を発現してみた。
『どうやっても、左手の魔法陣には、"収納"も"開放"もできないんだよな。
それと、〈条件〉だ。頭に響いたあの時の声……。あの時以来なにも来ない』
「……急いで解明した方がいいよな」
「トール。なにを急ぐのだ?」
ザレドさんは起きていたのか。
ザレドさんは、鎧を半分脱いでいた。服の上からでも痩せているのが分かる。だけど、鍛えた体なのは明白だった。
ザレドさんの髪の毛の色は、緑だった。見た時は衝撃的だったな。染めないで緑色の髪の人を、俺は見たことがなかったからだ。
「……俺の魔法は、まだ発展途上なんです。未解明な部分が多くて」
「トールは、落ち着いているね。奴隷に落とされた異世界人の大半は、発狂して使い物にならないというのに。
まともに働けるようになるまで一年はかかるものだよ?」
「……普通の人は、そうでしょうね。でも俺は、前の世界でもあまり変わらない生活をしていたので」
「奴隷だったのかい?」
「いえ……。誰とも関わらずに生きていました。奴隷とは違いますが……、苦しい生活を送っていました。
ヴォイド様とかエレナさんは、優しく接してくれていると思いますよ。ザレドさんもね」
「ふむ……。恵まれた環境ではなかったのだな」
金銭面では恵まれていたかもしれないが、親の愛情のない家など地獄でしかない。
兄は、祖父母に取り入って、自分の居場所を確保していたくらいだ。
俺は、左手の魔法陣を閉じた。
「寝ましょうか。明日が辛くなる」
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