第31話 荒い肉の色
「どこでアタシのID聞いたのよ?」
「はっ、どうだっていいだろ」
年末年始だからと休む店ばかりではない。
特に年末など、酒を出す店では書き入れ時。財布の紐が緩くなった客に通常以上の料金を提示しても文句を言われにくい。
年始だって、成人になりたてのガキどもが旧友と連れ立って遊び歩くことも多い。
県庁舎にほど近い歓楽街に店を出す
世間の仕事始めの翌日くらいに開ければいい。それまでは寝正月。
年齢不相応にお盛んな
商工会や漁協の集まりに呼ばれることもあるそうだが、年明け早々に埜埜の店や買ってもらったマンションに顔を出すことはない。
「お前と俺の間じゃねえか」
「とっくに終わったでしょ」
どうやってか埜埜に連絡をつけてきたのは、十年も会っていなかったかつての同棲相手。
年末は忙しいと言ったら、元旦の昼から店に押しかけてくる始末。今、店の前で待っているとか一方的なメッセージを。
他人の都合などお構いなしなのは相変わらずだ。
「アタシが先生のお手付きってのはこの辺じゃみんな知ってるわ。さっさと帰ってよ」
「連れねえこと言うなよ。十年ぶりだってのに」
十年ぶりだろうが何だろうが関係ない。
別れた男に押しかけられて、しかもそれがクソ寒い元旦のことで、迷惑以外のなにものでもない。
自宅マンションに来られるよりはマシだと思うにしても。
「聞いたわ、バカやってぶち込まれてたんでしょ。地元に居づらくなったからこっちに逃げてきたって?」
誰に聞いたのだったか、この店にくる客の中には十年来の古馴染みもいる。
埜埜と娥孟の昔を知る人間も何人か。連絡先はその辺から聞いたのだろう。
娥孟は昔と変わらず大柄で、首から肩にかけての筋肉を見れば当時を思い出す。
埜埜に絡む酔っ払いも娥孟を見ればすぐに逃げ腰になって、その姿に笑い転げたものだ。
獣のようなセックスもした。埜埜も若かったし、当時はまだ
半端に伸びた髪が途中から薄汚れた茶髪になっているのは、刑務所に入っていた期間なのだと思う。
肌艶が衰えているのはお互い様かもしれないが、それでも埜埜は色々と手入れをしているから今でも若い女に負けない魅力を保っている。
「お前の顔を見たくなったんだよ。議員センセイなんかじゃお前も満足してねえだろ? 勃つのかも怪しいってなぁ」
「五十を過ぎてもけっこうなもんなのよ、これが」
「お前みてぇなのがいりゃあ俺だって生涯現役だぜ、なぁ」
グラスを置いて顔を寄せる娥孟。その肩をカウンター内から押し戻した。
重厚な肉体。けれどあしらわれる酔っ払いと同じように席に尻を下ろした。本気で体を迫っているわけではない。
「酔っぱらった客でももっとマシな口説き文句言うでしょ。お金ならあげないわよ。あの時の金、あんたが全部持って逃げたじゃないの」
「全部じゃねえだろ?」
すっとぼけたように言いながらグラスを呷る。
あの時の金。
グズでバカな男から巻き上げた示談金。
違った。埜埜の幼い娘たちに卑猥な行為をした性犯罪者。その親が支払った金だ。
息子が迷惑をかけたから、と。
持ち家を売ったとかいうそれなりの金額だったが、卑金が買ってくれるマンションの方が高額だった。
その後の卑金からの援助もある。一時的な金で娥孟と縁が切れるのなら別にいいかと思ったけれど。
十年そこそこで使い果たして、警察沙汰を起こして。
そうしてまたこの町に……当時は隣町だったが、とにかく金を持っている昔馴染みということで埜埜のところに来たのだ。
「バカ、お前がセンセイとうまくやれるように消えてやったんじゃねえか」
「勝手なことばっかり」
本当にそうなら再び顔を出したりしない。
いまさら現れて金を無心するチンピラ。溜息が漏れる。
今の暮らしは悪くない。
卑金からの援助は贅沢をするのに十分だし、そこそこの貯金もある。
愛人として卑金の欲求に応える以外は大した面倒もない。愛情などないと思っているが、願えば色々と買ってくれる卑金を嫌うこともない。
そういう意味でなら聞き分けのない客の方がよほど不愉快だ。
たまにつまみ食いもするがその程度。
店で雇う女の中にも色々いて、こういう仕事をわかっている女とそうでない者と。
過剰なサービスは不要。かといって金を落とす客を逃がしてはいけない。現実をわきまえながら客の望むように振る舞う。
その辺をうまくやれないスタッフの聞くに堪えない言い訳や、処女のようなお綺麗な話には、性欲丸出しの男以上に吐き気を催す。
娘も、そうだった。
年齢を考えれば不思議もない。あの事件の頃はまだ性にも目覚めていなかったのだし。
純真無垢な娘。ムカつく。
今は何をしているのだか。
澄まし顔の長女も、男好きのする顔の次女ももう成人した。独立すると言うので好きにさせたけれど。
今度何か理由をつけて呼び出して店で働かせてやってもいい。特にいやらしい客に当てがって、埜埜がどんな仕事でお前たちを育てたのかと思い知らせてやるのも悪くない。
子供なんて産んだから面倒な人生になったのだ。
母の苦労も知らず、バカにして。
埜埜はわかっている。
世間で言われるような母親像は、自分とは絶対に相容れない。
自分は自分以外に興味がない。自分が贅沢で幸福な暮らしさえできれば他はどうでもいい。
卑金との関係は埜埜にとって都合がよく、だからこそ自分も卑金に都合のよい女であるよう振る舞う。
娥孟のような男は邪魔だ。
埜埜に金を落とすことはない。一方的に奪っていくだけ。
若い頃にはそれがわからなかった。自分自身の肉体的魅力という価値を理解していなかったから。
「飲み終わったなら帰って。もう二度と来ないで」
「わかったって、そう怒んな……もう一杯くらい」
娥孟とて卑金を敵に回したら面倒だというくらいはわかっているはず。
金があるところでせびってやろうと、その程度のくだらない思い付き。
無一文ということもないだろうが、新年だと浮かれられるほどの余裕もないくらい。
「あ?」
「……」
取り上げたグラスの代わりに、カウンターに万札を五枚置いた。
それで消えろと。
「次に来たらこっちの知り合いが病院に送ることになるわよ。海に行くのかも」
「へ、わりぃな」
冬の海はさぞ寒いだろう。
卑金に言いつけたとして、さすがに海に沈めるのはないと思うが、袋叩きにされて路上に捨てられるくらいはあり得る。
娥孟もそういう世界を知らないわけでもない。
「さ」
ポケットに札をねじ込む娥孟の横を通り、ドアの外へ促そうとして。
「っ」
「タダでってのもあれだ、そんな薄情なことはしねえぜ」
腕を取られた。
ぐいっと引っ張られて、後ろからカウンターに押し付けられて。
「ちょっと、バカ!」
「金の分だけは働いてやるって、なぁ」
さっき娥孟を押した時に感じた。
バカな男だけど筋肉だけは悪くなかったと思い出した。
寒い元旦の日に昼間のスナックでスカートを捲し上げられる。腕力で勝てるわけもない。
強引な行為。記憶に蘇る荒々しいセックス。
あの頃は子供たちも一緒に暮らしていた。気分が乗ったところで泣き出されるとひどく鬱陶しかった。
あの子らは知らないだろう。優しいだけが男の魅力じゃないなんて。
まだまだ何もわかっていない。あれらも人生の苦楽を知れば生意気なことを言わなくなるかもしれない。
「がっつきすぎじゃないの?」
「こんな格好しといてよく言うぜ」
「仕事着なのよ、もうっ」
口で抵抗してみせながら、金の分だけ楽しませてくれるのかと思うとカウンターに手を着きながらつい笑みが漏れた。
まだまだアタシもイケるでしょ。
◆ ◇ ◆
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