第30話 根っこ



「私が接触した方が有効かと思いましたが」

「絶対に嫌だ」


 詩絵の申し出をこれだけはっきり断れるのは、心の底から嫌だと思うからだろう。

 楽口秋基たのぐちあきもとと接触する。

 僕だって面白いわけではないが、詩絵や舞彩があんなのと会話をするなんて嫌すぎる。



「意外と、独占欲が強いのですね」

「その……ごめん」

「なんで謝っちゃうかなぁ司綿さん」


 後ろから僕に抱き着いてきた舞彩が、PC画面を見据える姉に、ね、と同意を求めた。

 そうですね、と詩絵は無表情。だけれど機嫌がいい。


 二か月一緒にいて少しわかってきた。不機嫌な時の無表情と、嬉しいのを押さえた時の無表情。

 とりあえず今日の僕は間違えていないらしい。新年の幕開けとすれば上々。



「いずれ楽口から何か持ち掛けてくるでしょう。できれば背背はいせ繋がりだといいのですが」

「焦らずやるよ」

「仮に背背がいたとしても、ですが……」

「見た瞬間に逆上して襲い掛かったりしない」


 詩絵の不安を否定する言葉を口にして、それを自分の腹の中に飲み下して頷く。

 そんなことをすれば即刑務所に戻ることになる。復讐を果たしたとは言えない。

 母の仇だ。冷静に。殺意を心の奥に沈めて、確実に遂行する。



 僕にはどうすればいいのか見当もつかない。そこは詩絵の計画を聞く。

 何年も奴らを観察し計画を練ってきた詩絵だ。僕が彼女より良い方法を思いつくわけもない。


 差詰さづめの職場のホームページに、健康上の理由で新規案件の受付をしばらく休むという案内があった。


 例の写真を印刷して、公表されていた差詰が顧問弁護士を務める取引先にも郵送した。浮抄ふしょうの警察署に送った時と一緒に。

 印刷にも郵送の際にも、指紋や痕跡が残らないよう十分に注意をしている。


 この写真の方、そちらの相談役の弁護士さんではありませんか、と。

 差詰の業務に差し障りが出たのなら喜ばしい。


 僕と僕の家族の人生を踏みにじって生きてきた連中。

 誰にも信用されない惨めな気持ちを思い知ってもらいたい。泥沼で溺れるような時間をくれてやらなければ。

 楽口秋基たのぐちあきもとと会話をしたせいか、なんだか気持ちが攻撃的になっているようだった。



「司綿」

「?」


 僕が意思を強く固めているのを察したのか、詩絵が僕の手の上に手を置いた。

 舞彩は僕の首にしがみついたまま。


「そんなに怖い顔しないで、司綿さん」

「憤る気持ちはわかりますが、力んでいては失敗のもとです」


 誰かを不幸にする。

 僕の敵に人生のどん底を味合わせてやりたい。

 そう願う気持ちは間違いないのだけれど、ふと糸を緩ませると気後れしてしまいそうで。顔に出ていたらしい。


 もともと喧嘩や争いごとなんて苦手な性分なのだ。

 それでもやるからには、強く気持ちを持たなければと。



「力まず、呼吸をするように遂行するんです。あなたの復讐は当然の権利ですから」

「やらなきゃいけないって力が入っちゃうのは男の人だからかな?」

「司綿が優しいからですよ。あの連中には不要な気遣いです」


 冷静にというのとも少し違って、平静に。当たり前のように実行する。

 僕の強張りを感じた彼女たちからのアドバイスは的確でありがたい。



「……誰かを傷つけようと思ってやったこと、なかったから。ごめん」

「司綿がそういう人だと私は知っています」


 暴力的な喧嘩なんて幼稚園くらいが最後だ。

 ニート時代、匿名インターネットで気に入らないものを叩くことはあったけれど。


 現実に生きている人間――動物でも――を自分の意思で傷つける。腹を据えないとできない。

 僕の気弱さなど詩絵にはお見通しだったらしい。力を抜けと。


「あんな連中、人間だと思わなくていいんだよ。ええと、虫? ゴキブリ?」

「ゴキブリだったら逆に身構えちゃうよ、舞彩」

「あははっ、そうだね」


 突然に現れて素早く動くゴキブリとは違う。

 一定のパターン行動を取る芋虫。ナメクジみたいなものだと考えればいい。

 その習性については観察、分析済みの害虫。


 舞彩がしなだれかかる肩から力が抜けて、僕も笑った。



 凶器を手に暴れる事件が起きた時に、死者がいないことを意外に思ったことがあった。

 力み過ぎたり気構えが出来ていなかったりすると、興奮して状況を見失い失敗するのだろう。


 逆に死者が多い事件というのは、犯人が淡々と遂行しているように感じる。

 狂気の殺戮行動ではなく、単純作業をこなすような感覚。

 僕が目的を果たすにはそれが必要だ。



「心配ばかりかけて情けないな。僕は」

「私は安心しますけど」

「?」

「えへへ、あたしわかるよ」


 詩絵の言葉に瞬いた僕に、舞彩が楽しそうに耳元で教えてくれた。


「司綿さんの根っこがね。やっぱり優しい人なんだってわかるから」

「……そうかな?」

「そうだよ」


 詩絵は舞彩の答えを肯定するように目を閉じて、PC画面に向き直った。

 淡々と、別の目的に向けて想定される今後のケースとプランを考える。


 詩絵の背中を見ながら、僕は聞けなかった。

 あまり感情を見せない詩絵が、静かな呼吸の内にどれだけの気持ちを沈めているのか。彼女の根っこについて聞いてはいけない気がして。



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