第21話 警察署



「始角さん……いえ、失礼しました。そうすると楚嘉さんになられたわけですか」

「あの……勝手に、まずかったでしょうか?」

「まさか」


 警察署の面談室で話す初老の保護司は大げさなくらいに首を振って笑顔を返す。

 話す相手を安心させるためなのだと思う。


「獄中で結婚される方もいますから。それは個人の自由ですし、認められた権利ですよ。しかし……」

「……」

「入所中に誰とも連絡を取らなかった始角……楚嘉さんが、まさかこんなお嬢さんとお知り合いだったとは」


 保護司とは出所前にも何度か会っている。

 出たらどうするのか、当てはあるのか。家族と連絡は。

 首を振るだけの僕がどうするのか不安があったはず。


「年も離れておられるようで、どこで……ああすみません。まずは、おめでとうございます」

「あ……ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 社交辞令としてでも祝福されるとは思わなかった。

 僕の隣で詩絵も小さく頭を下げる。

 若いのは間違いないけれど、落ち着いた雰囲気の詩絵は実年齢より少し上に見えなくもない。


 獄中結婚なんて言葉も確かに聞く。違法行為でも何でもない。

 何か責められるかと身構えていた僕とは違って、詩絵は本当に新妻のような顔で僕の横に寄り添っていた。



「子供の頃、彼に助けていただいたんです」

「そうでしたか」

「はい。あんなことになって……でも決して悪いことをする人じゃないと信じていました」


 なんと説明するべきか迷う僕をよそに、詩絵が保護司に話す。

 余計なことを聞かれる前に話してしまえということだろう。


 感情が表に出やすいタイプではないのに微笑みを浮かべて、幸せそうに。

 演技ではないような穏やかな雰囲気。


「ずっと思っていたんです。この人が帰ってきたら今度は私が助けられたらって」

「なるほど、それほどに……私もこうした仕事柄、色んな人を見てきましたけどね。確かに、彼は好んで悪事をするような人柄には見えませんでしたよ」

「当然です」


 ふと唇を結んだ詩絵。硬くなった表情を僕に向けると、またふわりと融けるように緩めた。

 僕だけでなく保護司も、詩絵の幸せそうな顔に落ち着かなくなった視線を彷徨わせる。


「私の夫は、誰より優しい人ですから」

「……」


 心の底からの信頼。嘘や演技ではない。

 かつての世間の評価とあまりにかけ離れた温かさ。他人の前でも変わらない。

 いや、あえて強く表に出している。



「良い奥様ですね」

「はい……僕にはもったいない、世界で最高のパートナーです」

「言い過ぎです」


 詩絵は口を尖らせるけれど、偽らざる本音だ。

 傍から見ればバカップル。新婚ならばそれも自然と思ったのか、保護司は苦笑を浮かべて頷いた。



「今までいろんなケースを担当してきましたが、今回ほど気が休まったことはありませんよ」


 僕らの様子にてられたのか、照れ隠しのように眼鏡を拭きながら笑う保護司。


「出られる前よりはっきりと話ができるのも安心します。沈み込んでしまう人もいますし、元気に出て行ったのにつまらないトラブルでまた出戻りという方もいます」

「つまらないトラブル、ですか」

「ええ、些細なことで傷害沙汰だとか。奥様にそんな思いをさせてはいけませんよ」

「そうですね、もちろん」


 僕が再び馬鹿をやって刑務所に戻れば詩絵――今は舞彩と名乗っているけど――が悲しむことになる。

 釘を刺すように言って眼鏡をかけ直した。


 もちろん、つまらないことで失敗なんてできない。



「うん……こんな良い方がいれば今後のことも心配ないでしょう。あの部屋は単身者向けですから、もしかしたら退去を求められるかもしれません」


 あの団地の手配をしてくれたのは保護司だ。

 一人暮らし向けの公営団地の空き部屋。


「まあ埋まっているわけでもないですから、当分はそのままで平気だと思いますが」

「はあ……」


 アパートなどには、ペットや子供不可という条件があったりする。

 団地もそうなのかもしれない。



「ではあらためて、楚嘉さん。新しいご家族と一緒に頑張って下さい」

「わかりました」

「お父さんは何かおっしゃっていましたか?」

「?」


 父さん?

 なぜ急に父の話になったのかわからず保護司の顔をぽかんと見てしまう。


 出所して結婚したとなれば父親に報告くらいしていても不思議はない。

 刑務所の中では決して連絡を取ろうとしなかった僕だったけれど。

 僕の表情を見て、保護司は勘違いだったのかと首を振った。



「一応、伝えておいたんですが。あなたの新住所を……お会いになっていない?」

「……はい」

「はぁ」


 保護司は少しだけ落胆したように息を吐いた。

 失敗だったかもしれない。父の連絡先も聞かされている。嘘でも連絡したと言っておけばよかった。



「私にも息子がいますがね。言わなければ何の便りも寄こさない」

「……」

「新しい人生を一緒に歩いてくれるパートナーができたんですから。一言、連絡をしてあげたら安心するでしょう」

「あ……すみません、はい」


 少しだけ責めるように言ったのは自分に重ねたから。

 うちの子も聞かれなければ何も言わない、というような不満。ごく普通の親の感情。



 父に連絡する。

 考えもしなかったというか、最初からできないと決めつけていた。

 最悪の親不孝者。何を話せばいいのかわからない。


 僕じゃない。僕が悪いんじゃない。

 そう言いたくても現実に僕のせいで母さんは死んで、家族は不幸のどん底に落とされた。



「落ち着いたら、連絡します」

「それがいいでしょう」


 保護司に約束して面談を終えた。

 詩絵の手を握る力が思わず強くなってしまいそうだ。


 父さんに連絡する。

 復讐を遂げて、父と話す。


 改めて決意を固め、警察署の床を踏みしめて進んだ。



  ◆   ◇   ◆



「司綿、あれです」


 警察署の駐車場。詩絵が車を出さなかった理由を示す。

 白い乗用車から降りて署内に向かっていく男。

 そのまま署に入るのかと思ったら、入り口近くの喫煙スペースに入っていった。


浮抄ふしょう淇欠きけつ

「はい、数年前にここに転属になりました」


 警察は県に所属する公務員だ。当然のことながら浮抄だって転勤はある。


「刑事事件を担当する浮抄です。県内でも配属先は限られます」

「大きめの警察署ってこと?」

「凶悪犯罪は捜査一課になりますから。DVは生活課が担当だと聞きましたけれど」


 家庭内暴力なら捜査一課の範囲ではない。

 傷害、殺人、強姦などの凶悪犯罪を担当する刑事。

 あの事件の本筋がDVだとなれば浮抄が担当する案件ではなかったはず。


「DVで片付けたくない力が働いた結果です」

「……うん」


 僕に都合の悪い情報だけを列挙して、浮抄が事件の担当をした。

 卑金がそう仕向けた。

 ニートによる女児暴行事件。許しがたい凶悪犯罪。

 疑問に思った警察関係者もいたかもしれないが、大きな組織だ。担当外の誰かが口を出すこともなく僕は処罰された。



「今日は確認だけです」


 詩絵は既に下調べしていたのだろうが、僕に見せる為に少し待ったらしい。

 ここにあいつがいる。

 それを知るだけでもまた一段登った気がして、詩絵が最高のパートナーだと改めて心に刻んだ。



  ◆   ◇   ◆

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