第63話:文化祭二日目
アラームの音で目が覚める。
夜中に一度目が覚めて、彼女と何かを話した気がする。内容まではよく覚えていないが、そのせいなのか、まだ眠い。
彼女にしがみつかれたまま、必死に腕を伸ばしてスマホを取り、アラームを消す。時刻は6時前。合唱の朝練があるからいつもより早めだ。私にしがみついて離れない彼女の肩を叩いて起こす。
「…海菜、起きて。朝よ」
「…キスしてくれたら目覚めるかも」
「…起きてるじゃない」
「…寝てる。ぐぅー」
わざとらしく、いびきをかく彼女の前髪をかき上げ、唇を軽く押し付ける。離れると、不満そうに唇を尖らせる彼女が視界に入った。彼女の腕が伸び、その不満そうな顔に引き寄せられ、唇を奪われる。離れると、不満そうな顔は満足そうな顔に変わっていた。その幸せそうな顔を見ると文句も出て来なくなってしまう。悔しくなり、軽く彼女のデコを弾いてからベッドを降りた。
今日の会場は学校ではなく、市内の少し大きめな劇場。この間、演劇部の大会があった劇場だ。この間と言っても、もうあれから一ヵ月以上経っている。
「ふぁ…一組だけ集合時間早すぎ。誰も居ないじゃん…気合い入りすぎ」
あくびをしながら文句を言う満ちゃん。時刻は7時前。劇場に入れるのは7時から。どのクラスよりも早く朝練をしたいというクラスメイト達の希望で7時10分に集合することになったが、誰も居ない。
「ユリエルー…おっぱい貸して…」
そう言って私の胸に頭を埋める満ちゃん。すぐさま海菜が引き剥がす。
「駄目です。私にしなさい」
「やだぁ…硬い…」
そう言いつつも海菜にしがみついて頭を埋める満ちゃん。
ふと、誰かがこちらに向かって手を振るのが見えた。クラスメイトではなく、空美さん達だ。クロッカスのメンバー全員揃っている。満ちゃんは実さんを見つけると、海菜を離して彼女の元まで小走りで駆け寄り、抱きついた。
「な…ちょ…な、なんですか急に!?」
「…うみちゃん硬いからさぁ…」
「なんの話ですか!?は、離れなさい!」
必死に引き剥がそうとする実さんだが、満ちゃんはびくともせず、そのまま寝息を立て始めてしまった。
「あはは…満ちゃん、朝苦手だもんねぇ…」
「赤ちゃんみたい」
「…こうやって見ると、やっぱ顔は可愛いんだよなぁ…中身はヤンキーだけど」
「ちょ…み、満!起きなさい!」
「…練習が始まるまでこのまま寝かせて…」
「なんでわたしなんですか!鈴木さんに抱きつけばいいでしょう!」
「…うみちゃんは硬いし、ユリエルに抱きつくとうみちゃんに怒られるし、それ以外だとあんたが不機嫌になるじゃん」
満ちゃんがそう言うと、実さんは何も言えなくなり彼女から顔を逸らして、深いため息を
続々とやって来たクラスメイト達は二人を
「…王子、あれ何」
「ふふ。大丈夫だよ。みんな集まったら起こすから」
「うわっ、みんな早いな…7時前なのにもう集まってる」
「おせぇぞ。学級委員」
7時になり、先生達が劇場の鍵を開け始めた。
満ちゃんを起こすが、起きない。すると実さんが思い切り彼女の頭を叩いた。
「いった…!馬鹿になったらどうすんだよぉ…」
「もうすでに馬鹿だから問題ないでしょう。…私はもう行きますから」
満ちゃんを突き飛ばし、メンバーと合流して劇場に入って行く実さん。去り際の表情は複雑そうだった。満ちゃんもまた、その後ろ姿を複雑そうな顔で見送った。
「…出番になったら起こしてくれ」
朝練が終わるなり、満ちゃんは席について、リュックを枕にして再び寝てしまった。
「私も少し寝ようかな」
そう言って私にもたれかかる海菜。頭を押し返すと、不満そうに唇を尖らせた。
「昨日はあんなに私を求めてくれたのに。つれないなぁ」
「…適当なこと言わないで」
「はは。ごめんごめん。ところで、夜中に話したこと覚えてる?」
「…何か話したのは覚えてるけど内容までは覚えてないわ」
「…そっか。…私にあんなこと言ったのに忘れちゃうなんて酷いなぁ」
「…どうせ大したことじゃないんでしょう」
「…本当に覚えてないの?」
もじもじしながら目を逸らす彼女。わざとらしい演技に呆れてしまう。
「…何言われたの」
聞いて欲しそうなので一応聞いてみる。
「…言わせるの?エッチ」
「何よそれ」
「耳貸して」
彼女に耳を寄せる。
「『今夜抱くから』って」
「…言うわけないでしょう」
「あははー。冗談冗談。でも、文化祭終わったら行くからねって言ってたのは本当だよ。それは信じてくれる?」
あぁ、そうだ。思い出した。私が記憶喪失になる夢を見たと不安そうに語る彼女を慰めていた。それで…何か恥ずかしいことを語った気がする。そこは詳しくは思い出せないが、文化祭が終わった後に行くという話もしたようなしてないような。まぁ、その話は嘘でも本当でも、どちらでも構わない。今の私も今日は彼女の家に行きたいと思っている。というかもはや、いつだって私は彼女の隣で眠りたいと思っている。彼女の温もりを知ってから、独りの夜に寂しさを感じるようになってしまった。独りなんて慣れていたはずなのに。
「…分かった。行くわね」
そう返事をすると彼女は嬉しそうに柔らかく微笑んだ。
それから、合唱コンクールが終わり、休憩を挟んで部活動の発表に移った。ダンス部、バトン部、合唱部——と続き、音楽部が終わって演劇部の番。幕が上がり、ベッドで眠る女性とその彼女の手を握る男性が舞台の上ライトに照らされる。
この劇を見るのは二度目だ。
『…ナナ。…愛してるよ』
ベッドの側に座る彼が呟く。彼の正体を既に知っているからかもしれないが、その口から紡がれた『愛している』という言葉に恐怖を感じた。
カナタ役の酒井先輩は海菜達と中学が同じだったらしく、よく一緒に居るところを見かける。普段は、気さくで面白いお兄さんというイメージだ。北条さんの前ではちょっと乙女チックなところがあるが。
カナタは、そんな彼とは似ても似つかない。同一人物だと言われても疑ってしまう。改めて役者の凄さを感じる。
「…ねぇ、小桜さん、王子はどの役?」
百合岡さんが後ろから私を突き、小声で私に問いかける。舞台から視線を外さずに答えると、別の席から「嘘でしょ」と響めきが起きた。
「…エグい配役だね」
ユウキがカナタに罵倒されるシーンで、百合岡さんがぼそっと呟いた。すると舞台の上のユウキはふっと笑い、一歩一歩カナタに近づく。
『なら消せばいいだろう?お前の手で』
そう言ってカッターナイフをカナタに握らせ、その手を操作して自身の胸の高さにカッターの先を合わせ、両手を広げて『刺せよ』と低い声で挑発した。前回見た同じシーンにはこの一言はなかった。アドリブだろう。そもそも、前回でさえ彼女は『アドリブが多い』と叱られていた。元の台本と比べるとどれくらい台詞が増えているのか気になる。
カナタが悔しそうに腕を下げてカッターナイフを落とすと、ユウキはそれを蹴って再び彼を馬鹿にするように鼻で笑った。
『まぁ、出来ないだろうな。今私が殺されれば疑われるのはお前しかいないから。動機は十分過ぎる』
『つ、強気で居られるのは今のうちだ。どうせナナは僕を選ぶ。ナナを悩ませていたストーカーはお前になるんだよ。せいぜい強がってろ』
カナタがそう高笑いしながらカナタが去っていったところで、彼を睨んでいたユウキはポケットからスマホを出していじりながら『よく喋る奴だ』と苦笑いした。そして
『好きになった人が同性だっただけで、どうしてここまで罵られなきゃいけないんだ』
暗転するタイミングでぼそっと悲しげに呟かれた言葉に鳥肌が立つ。今のは本当に、ユウキの言葉だろうか。
『…私を信じてくれてありがとう。ナナ』
『最初は迷いました。でも、カナタさんは貴女をやたらと悪く言ったけど、貴女は私の心配しかしなかった。彼のことは眼中には無いって感じで…。…あ、この人私のことしか見てないなって感じがしたんです。だから、少し話せばどっちが私の恋人かなんてすぐにわかりましたよ』
『…同性だから違うかなとは思わなかった?』
『最初は思いました。…家族も周りもみんな彼氏って言うし…。でも…誰も私の恋人には会ってないって言うんですよね。顔も名前も知らないって。…だから…私が女だから、当たり前のように相手が男だと思って彼氏って言っちゃうのかなって思ったんです。中には恋人っていう子もいました。なんで彼氏って言わないのかって聞いたら『ナナが彼氏じゃなくて恋人だって言ってたからだよ』って言ったんです。誤魔化しながらも、地味に相手が男性ではないことを主張してたみたいですね。…それに気付いてくれていた人もいたみたいです』
『…そっか』
『…はい。…ねぇ、ユウキさん。記憶が戻ったら、貴女を両親に紹介したいです。私の恋人だって。同性だけど、恋人だって』
『…えっ、でも…』
『…大丈夫です。きっと受け入れてくれます。仮に受け入れてくれなかったとしても、私は貴女のそばに居たいです』
『…ナナ…』
『…まだ何も思い出せないけど…ユウキさんが私の恋人だってことはもうわかります。頑張って、思い出します。だから…』
ナナはユウキの両手を取り『記憶を失う前の私達の話、たくさん聞かせてください』と微笑む。
『…』
前回はここでユウキが泣きながら頷いて終了だったのだが、彼女は何も言わずにナナを抱きしめた。彼女の名前を呼びながら嗚咽を漏らすユウキ。
そのまま静かに幕が降りていく。
数秒の間を空けて、ざわめきと拍手が巻き起こる。
「てか鈴木くん、ガチ泣きしてなかった?」
「大丈夫かな…」
「あははっ。みんな、泣いてくれてありがとねー」
クラスメイトから心配する声が上がる中、海菜はしれっと戻って来ていつものように笑う。その笑顔が不自然に見えるのは私だけだろうか。
隣に座った彼女と目が合う。不自然な笑顔のまま、私だけに聞こえるくらい小さな声で「ちょっとしんどかった」と呟いた。
「…お疲れ様」
労いの言葉をかけて頭を軽く撫でると、不自然な笑顔が僅かに歪み、自然な微笑みと共に涙が一筋流れた。
文化祭が終わり、一度帰って荷物を置いて、風呂と食事を済ませてから彼女の家へ向かう。
「こんばんは。お父様。お邪魔します」
「こんばんは。いらっしゃい。海菜は部屋に居るよ」
彼女の父親に挨拶して、海菜の部屋へ向かう。ノックをする。扉が開くと同時に、ぐいっと中に引き寄せられ、彼女の腕の中に閉じ込められた。痛いほど強く抱きしめられる。
「…百合香」
「…お疲れ様。海菜」
彼女の頭を撫でると、パチンと音を立てて部屋の電気が消えた。そのまま、ボンヤリとした淡い光に照らされるベッドの上に押し倒される。
「う、海菜…?」
「…今はただ、どんな優しい言葉よりも君が欲しい」
耳元でぽつりと呟かれた声は弱々しく、身体は震えていた。だけど真っ直ぐな言葉は激しく、熱く私の心を焦がす。
「嫌だったり、痛かったら蹴り飛ばして良いからね」
耳元で囁かれたその台詞とともに、私の身体にぴたりと重なっていた彼女の身体が、ゆっくりと浮上する。こんなにも余裕の無い顔は初めて見た。
そのまま一度だけ唇を重ねると、何も言わずに服を脱ぎ捨てて私の服に手をかけながら露出していく肌に口付けていく。
普段はお喋りなのに、今日はほとんど喋らない。そのせいで、彼女の吐息や自分の声がいつも以上にはっきり聞こえる。無口になるほど余裕が無い彼女は初めてだ。だけど、手付きはいつも通り優しい。私も余計なことは言わず、力を抜いて彼女に身を委ねる。すると彼女はようやく、いつものように優しく笑ってくれた。
「…好きよ」
「…うん。知ってる。私も好きだよ。愛してる」
その晩交わした会話はそれだけだったけれど、無口な彼女も案外悪くないなと思ってしまった。また恋の寿命が伸びてしまった気がする。
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