第49話:私の恋人は女神、あるいは
7月20日火曜日。
今日は終業式。そして、私の誕生日。
「じゃあ海菜……また後で」
「うん。またね」
彼女と別れて家に帰る。今日は彼女が家に来る。泊まりにくる。
お泊まりは初めてではない。もう4回目……いや、5回目だろうか?
付き合って二ヶ月半の高校生カップルにしては多すぎるのは確かだが、両親は特に何も言わない。元々放任主義だが、相手が男性だったらさすがに口出しをしていたと思う。私が男性と付き合うことはないが、仮に男性と付き合っていたらこんなに頻繁に泊まりに来させていない。こういう時だけは同性同士で良かったと思ってしまう。こういう時だけは。
今は何も不自由していない。むしろ、お泊まりが容認されやすいという点は男女のカップルから見たら羨ましいと思うかもしれない。
だけど、大人になったら困るようになることは明白だ。同性同士には男女のカップルと同等の権利がないから。子供が欲しいと思っても自然にはできないから。
以前は、度々未来のことを考えて不安になってしまっていた。彼女が私を捨てて見知らぬ男性と遠くへ行ってしまう夢を、そんな夢を、何度も見るほどに。
しかし、最近はそんな夢も見なくなった。むしろ、彼女と共に未来を歩む夢が多くなった。
出会ってまだ3ヶ月、付き合ってまだ2ヶ月しか経っていないのにちょっと重いだろうか。だけど多分、彼女も同じ気持ちだと思う。そう思えてしまうほど、彼女から愛を貰っている。
彼女と出会ったのは運命だったのかもしれない。そんなことを度々思ってしまうほどに満たされている。運命なんてクソ喰らえとか思っていたくせに。
あぁ、早く彼女に会いたい。さっき別れたばかりなのに。さっきまで話していたのにそう思ってしまうほど、彼女が恋しくてしかたない。
そう呟くと隣に居た二人は「重症だな」と苦笑いする。
「満ちゃんはともかく、望も分からない?この気持ち」
「うーん……俺はそこまでは……。でも、小春はそう思ってそう」
「あー……はるちゃんは重そうだな……」
「そうかな。そういうところ、俺は可愛いと思ってるけど……」
「それを可愛いって思えてるなら好きだって証拠だと思うよ」
「……うん」
望の小春ちゃんに対する想いは、私から百合香に、あるいは小春ちゃんから望に対する気持ちのように、強く激しいものではないかもしれない。お互いの想いの重さの差に小春ちゃんが不満を抱かないかが少々心配ではあるが…まぁ、それは私が心配しても仕方ないことだ。
「小春ちゃんが大事なら、好きだってたくさん伝えてあげなね。彼女が不安にならないように」
「……善処する」
「……難しいなぁ……恋愛って」
「満ちゃん、実さんとはどうなの?」
「私がやれることはやったつもりだよ。あとはあの人次第。……何年かかるか分からんけどな」
「大丈夫か? 依存してないか?」
「してないとは……言い切れないかもな……」
満ちゃんと実さんの関係は危ういように見える。例えるなら、手を繋いで綱渡りをしているみたいだ。下は針の山。片方が落ちれば道連れ。満ちゃんは綱を渡り切った先しか見ていないけれど、きっと実さんは下の針の山しか見ていない。だけどきっと、綱を渡り切るまであと一歩のところまで来てはいるのだと思う。そう信じたい。
私が下手に動くことは出来ない。私が動くのは二人が落ちてしまった場合だけだ。今はただ、そうならないことを祈るしかない。
「満ちゃん、何があっても私は味方だからね」
「おう。分かってるよ。私は死なないし、彼女を殺人鬼にさせたりもしない。だから、下手に手出すなよ。二人とも。お前らは自分の心配だけしてろ。私もそうするから。……どうしても無理になったら、こっちから声かけるから。その時は頼む」
「そうならないことを祈ってるよ」
満ちゃんならきっと大丈夫だ。望もきっと。絶望の淵に居た私を見放さずに懸命に支えてくれた二人なら、大丈夫だ。
「じゃあ、また明日ね」
「おう。またな」
「また。ちゃんと部活来いよ。二人とも」
二人と別れて家に入る。
昼食を済ませたらすぐに行くと言っていた。母が用意してくれていた昼食を摂って、2階に上がってベランダから外の様子を伺う。
「……暑いなぁ……」
夏の日差しが容赦なく私に突き刺さる。あまり長居していたら熱中症になってしまいそうだ。
エアコンの効いた部屋とベランダを行き来しながら彼女を待つ。
一時間くらい待ったところで遠くに彼女の姿を見つけた。小走りでこっちに向かってきている。走る姿を見ると、彼女も私に少しでも早く会いたかったのだろうかと嬉しくなった。
庭に足を踏み入れたところで「やっときた」と声をかけると、足を止めて肩で息をしながら上を見上げた。
ふっと苦笑いして「ずっとそこに居たの?」と少し呆れたように言う。君だってわざわざ走ってきてくれたじゃないか。
「もう来るかなーと思って。遅かったね」
「ちょっと、トラブルがあって」
「トラブル? 大丈夫?」
「えぇ。もう解決したわ。大丈夫。なんの心配もいらない」
なんだかちょっと引っかかる言い方だ。気になるが、彼女が心配いらないというなら詳しく聞く必要はないのだろう。気になるが、仮に、元カレとばったり会ってしまったけど和解してきたとか、そういう話ならわざわざ聞きたくはない。
「そっか。良かった。じゃあそこで待ってて。迎えに行く」
階段を降りて、玄関まで彼女を迎えに行く。
家に上がると彼女は、リビングに居た母に挨拶をしてから、私の後ろをついて階段を上がる。
エアコンの効いた私の部屋に入ると「涼しい……」とホッとため息をついて床に座った。私が隣に座ると向き合い「改めて、誕生日おめでとう」と微笑む。
「ふふ。ありがとう」
「あなたからは二つもらったから、私も予算内に収まるように二つ用意したの」
そう言って彼女はカバンの中からラッピングされた箱を二つ取り出す。長方形の箱と、正方形に近い箱。
「好きな方から開けて」
「んー……じゃあ……こっちから」
先に手に取ったのは長方形の箱。もう一つの方は中身が予想しづらい。分からないものは後の楽しみ取っておきたい。
「ふふ。何かな何かなー」
恐らく中身は——案の定、ネックレスだ。赤く輝く宝石のネックレス。ルビーだろうか。
「つけてくれる?」と彼女に甘える。
彼女は「仕方ないわね」と苦笑いしながら私の首にネックレスを回した。
「……ルビーは7月の誕生石なんですって」
「ふふ。知ってる。ちなみに6月は真珠、アレキサンドライト、ムーンストーンだよ」
「やっぱりあなた、博識ね」
「知識量は会話力に繋がるからね。バーテンダー目指すなら色々知っておかないといけないよって、昔から母さんに言われてるんだ」
「バーテンダーは小さい頃からの夢なの?」
「うん。物心ついた時からずっと、母さんみたいになりたいって思ってる」
いつからかは具体的にはわからない。それほど昔から。気付けばずっと母の背中を追いかけている。
「応援してる」
「ふふ。いいの? 私がバーテンダーになったら今以上にモテちゃうかもよ?」
「大丈夫よ。私以上にあなたを愛している人なんていないもの」
「あははっ。それ、自分で言っちゃうんだ」
だけど、そう言えてしまうほど愛していると言ってくれるのは嬉しい。
「でもまぁたしかに、君以上に私を愛してくれる人はいないだろうね。たった2ヶ月でそう思えてしまうくらい、たくさん愛してくれてありがとう。これからもよろしくね」
『私が男だったら良かったのにね』と、付き合う前のデートでぽつりとこぼしてしまった。そのことを気にしてなのか「性別なんてどうでもいい」と、彼女はいつも言葉にしてくれる。女性らしい私も、男性らしい私も、どっちも魅力的だと。だから、今はもう
「あなたが好きよ」
彼女にそう言われて私は
「知ってる」
と即答することが出来る。なんの疑いもなく。反射的にそう返すことが出来てしまう。
「ふふ。大丈夫だよ。もう『男に生まれなくてごめん』なんて思わないよ。君にとっては私の性別なんて些細なことなんでしょう?」
「……心読まないで」
「ごめんごめん。聞こえちゃった。さて、もう一つのプレゼントは何かなー」
中身が予想出来ないもう一つの箱のラッピングをわくわくしながら解いていると「開ける時トゲに気をつけてね」と彼女が言う。トゲがあるもので、手のひらサイズ。
「……サボテンとかかな」
予想を口にしながら開ける。ビンゴだ。というか、逆にそれ以外のものが思いつかない。
「可愛いー。ふふ。大切に育てるね」
丸っこいサボテンにアイカと名前をつけ「今日からよろしくね、アイカ」と声をかけて日当たりの良いベッドの側に置く。
「アイカ?」
「百合香から貰った愛の結晶だから"
「……愛の結晶って……あなたね……」
苦笑いする彼女。
「ふふ。ちなみに、サボテンにも花言葉があるんだよ。知ってる?」
問うと彼女は「"枯れない愛"でしょう。……知ってるわよ」と少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「そっか。ふふ。そっかそっか。やっぱり知ってたんだね」
温かい愛情に耐えらずに溢れそうになる涙を誤魔化すために彼女を抱きしめる。
「ありがとね」
「……泣いてる?」
声ですぐにバレてしまった。素直に認めると「顔見せて」と彼女は言う。ちょっとドキッとした。
「えー? 泣き顔見たいの? やだぁ……百合香のエッチ……」
彼女の肩に頭を埋めて照れと共に顔を隠す。可愛いと呟いて私を抱きしめ返した。なんだかちょっと、堪らなくなってしまう。キスしたい。触れたい。
「ねぇ、もう一つのプレゼント、今もらってもいい?」
「それは寝る前に……きゃっ……」
彼女を抱き上げ、ベッドに下ろす。まだ早いでしょうと彼女の動揺する瞳が訴える。
「分かってるよ。でも、少しだけつまみ食いさせて」
唇を重ねる。指を絡めて、ちゅっちゅっと触れ合うだけのキスを繰り返し、触れたくなる気持ちを抑えて、彼女の上から降りて手先にキスをして彼女と目を合わせて「楽しみにしてるね」と微笑む。「馬鹿」と返ってくるかと思いきや、彼女の返事は「……うん」だった。予想外の可愛い反応で理性がどこかへ行きそうになったが、必死に繋ぎ止めた。
その日の夜。先に風呂に入ってカーテンを閉め切り、ベッドを整えて、爪を整えていると、部屋の扉がノックされる。
「どうぞー」
入ってくるなり、彼女は入り口で固まってしまった。緊張が伝わってくる。
「おいで。百合香の爪も切ってあげる」
手招きすると、ギギギ……と音がしそうなほどぎこちない動きで私の前まで来てちょこんと座った。
手を取ると、びくりと跳ねる。そんな初々しい反応をされると揶揄いたくなってしまう。
パチン……
パチン……
焦らすように、わざとゆっくりと彼女の爪を切っていく。
パチン……
パチン……
「……ねぇ、あなた……わざとゆっくり切ってるでしょ…」
彼女が震える声で呟く。バレてしまったか。
「……ふふ。焦らされるの好きかなと思って。……あと小指だけだよ」
パチン…
パチン。
「はい。じゃあ磨いていきますねー」
切り終えたところで、爪にやすりをかけていく。
一本一本、丁寧に。ゆっくりと。
時折、指を少し撫でてやると、それだけで「んっ」と可愛らしい声を漏らした。
「……動かないでね。磨き終わるまでじっとしてて」
「っ……」
「……あと小指だけ。……ん。よし。いいよ。こっち向いて」
彼女が私の方を向く。潤んだ瞳と目が合う。唇を重ねながらゆっくりと、彼女をベッドに押し倒す。
ちゅっちゅっと息継ぎをしながら唇を重ね合いながら、パジャマのボタンを外していく。全て外し終えて露わになった姿を見て、思わず手を止めてしまう。
「……君、とんでもないサプライズぶっ込んでくるね」
レースがあしらわれた黒いセットアップの下着が彼女の白い肌を映えさせる。彼女は女神だと思っていたが、ある意味悪魔かもしれない。私を誘惑するサキュバス。
「……が、頑張りすぎて……引いちゃった……?」
恐る恐る問う姿はやはり女神だ。悪魔である自覚のない女神だ。
「……まさか」
引くわけないだろう。私のために頑張ってくれたのだ。期待に応えなくては。ベッドサイドの明かりをつけてから、部屋全体の明かりを落とす。
ぼんやりと淡い光に照らされた女神は恥じらうように手で身体を隠す。女神の元まで行き、邪魔な手を退かして囁く。
「……最高のサプライズだよ。ありがとう。ご期待に応えて、今日は頑張っちゃうね」
「お、お手柔らかにね?」
「ふふ——ごめん、多分無理」
——行為が終わったあと「来年も期待してるね」と彼女に言うと「身体がもたない」と断られてしまった。少々頑張りすぎてしまったようだ。
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