第32話:一日目・夜

 夜。キャンプファイヤーを終えて、風呂の時間がやってきた。


『私は個室のお風呂入るけど、百合香一緒に来る?』


 という海菜の誘いを断り、クラスメイト達と大浴場へ。二クラス合同で入るため、はるちゃんも居る。


「あれ?小桜さん居るじゃん。鈴木くんとお風呂入らないの?」


 二組の生徒がニヤニヤしながらからかってくる。

 私と彼女は女同士。だけど恋人同士だ。女友達と一緒にお風呂に入るのとは訳が違う。


「鈴木くんって、温泉とか行ったらどうしてるんだろう。流石に男湯入るわけにはいかないよね?」


「小学生の頃の野外学習とか修学旅行は普通に一緒に入ってたよ」


 クラスメイトの疑問に満ちゃんが服を脱ぎながら答える。すると彼女に視線が集まり、その視線は私に移動する。


「…何よ。別に気にしてないわよ。あの子だって女の子になら誰にでも欲情するわけじゃないだろうし」


だけにってか」


 満ちゃんがなるほどと頷く。別にそういう意味ではなかったのだが、私が寒い親父ギャグを言ってしまったみたいな空気になってしまった。居た堪れなくなり、さっさと服を脱いで浴場に入る。


「前からずっと思ってたけどさ、二人ともおっぱい大きいよね」


 私の隣に座ったはるちゃんが私と満ちゃんの胸を見て、自分の胸と見比べながら羨ましそうに呟く。

 はるちゃんも貧乳というほど小さくはないと思う。…海菜と比べてしまうからそう感じるのかもしれないが。


「小桜さんは鈴木くんに揉まれてるから大きくなったんじゃない?」


 二組の小池さんが会話に割り込み、からかってくる。


「も、揉まれてません!というか、あの子に会う前からあまりサイズ変わってないわよ…」


「えー…でもなんか入学当初より成長してない?」


 私の胸を突く小池さん。確かにブラジャーのサイズがワンカップ上がったが…それは海菜の影響なのだろうか。


「つんつんしないで。セクハラ」


「女同士だからセーフ…じゃないか。鈴木くんに見られたら殺されちゃう」


「…揉むと大きくなるとは言うけど…私のお胸は一向に成長しない…」


 自分の胸を揉みながらはるちゃんが呟く。


「人に揉んでもらわないと駄目なんじゃね?」


「やっぱそうなんですかね…ゆりちゃん、ちょっと揉んでみて」


「えっ、私?」


「どうぞ」


 私の方を向くはるちゃんの胸に手を伸ばし、両手を使って軽く揉む。

 …って、私は何をさせられているのだろうか。

 なんだか恥ずかしくなり手を離すと、彼女はうーんと自分の胸を掴んで唸る。


「そんな急には成長しないだろ」


「というか、揉むと大きくなるんじゃなくて、揉まれて気持ち良くなることでホルモンが出て成長するのではないかと、私は推測する」


「…あー、なるほど。つまりセッ「満ちゃん!」」


 何かを言いかけた満ちゃんの台詞をはるちゃんが遮る。何を言いかけたのかは私でも何となく想像がついた。


「…月島さんって可愛い顔して意外と…遊び慣れてるんすね…」


「…遊んであげようか?」


 満ちゃんがそう揶揄うと、小池さんは顔を真っ赤にして固まってしまう。それをみて彼女は「冗談だよ」とくすくすと妖艶な笑みを浮かべる。その表情が私を揶揄う時の海菜とよく似ていたものだから、彼女も今頃一人で入浴しているのだろうかなんて邪なことを想像してしまい、脳内の海菜に『百合香のエッチ』と、揶揄われる。

 自分がこんなにもはしたない人間だったなんて、彼女と付き合うまで知らなかった。

 いや、そうなってしまったのはきっと彼女のせいだ。付き合って一ヶ月すぎるまでお預けなんて言うから。キスが終わるたびに『次に進めるまで何日だね』なんて、毎回毎回カウントダウンするものだから、そんなの、意識しない方が無理な話だろう。


『あと五日だよ』


 五日後の月曜日。私はその日、どうなってしまうのだろうか。考えかけ、慌てて思考を掻き消し、シャワーで泡を流して湯船に浸かる。

 海菜はもう上がったかな…。

 …あぁ、駄目だ。また彼女のことを考えようとしている。彼女に会いたくて仕方ない。少しでいいから二人きりになりたい。


「…満ちゃん、まだ入ってる?」


「…あー…何?うみちゃんと二人きりになりたいからしばらく上がってくんなよって?」


「そ、そんなこと言ってないわよ」


「ははっ。私、他の部屋行こうか?」


「二人きりにしなくていいから!居て!絶対居て!」


「えー…私が寝てる隙にいちゃつくとかやめてよ?」


「し、しないわよそんなこと…」


 というが、海菜はやりそうで怖い。『声出したらバレちゃうよ』という彼女が容易に想像出来てしまう。

 いやいや…流石に私が嫌がることはしないはずだ。


「と、とにかく…先上がるから」


「はぁい。出来るだけ時間稼ぎしてやるよ」


「しなくていい」


「じゃあ私も上がろうかな」


「それは…ちょっと待ってほしい」


「…へいへい。もうちょっと入ってますよ。さっさと行きな」


「…ありがとう」


 湯船を上がって身体を拭いて髪を乾かして部屋へ向かう。浮き立ってしまう心が足取りに現れてしまう。一旦冷静になり、しっかりと床を踏み締めながら歩く。いや…いやいや…逆に不自然すぎるだろう。

 彼女のことを考えると、どうしても心が落ち着かない。


 部屋の前に着いた。インターフォンを押すと中からドタバタと慌しい足音が近づいてくる。扉が開き、満面の笑みの彼女が出てきた。Tシャツにジャージ姿で、髪が少し湿っている。


「あれ?満ちゃんは?」


「…まだ入ってる」


「…へぇ。じゃあちょっとの間二人きりだね」


 頷くと、腕を引かれて強引に部屋に引き込まれ、そのまま海菜の腕の中に閉じ込められた。


「…ふふ。お風呂上がりだからいい匂いする」


「や、やだ…嗅がないで」


「いつもとシャンプー違う?」


「そんなところ気付かなくていいわよ…」


 そういう彼女はいつもと同じ匂い。ミントのような爽やかな香り。風呂上がりだからかその匂いはいつもよりも濃い。

 顔を見上げると目が合う。

 どちらからともなく、お互いに吸い寄せられるように顔を近づけ合い、唇を重ねた。

 ちゅっ、ちゅっ、と触れるだけの軽いキスを繰り返す。それだけじゃ足りなくて彼女の唇を甘噛みすると驚いたのか身体をぴくりと跳ねさせ「ん……」と甘い声を漏らした。その声が、私のタガを外してしまう。


「海菜……」


 もっと、もっと彼女がほしい。触れたい。

 もっと……深くまで……。

 Tシャツの中に手を滑らせる。


「…っ…百合香…ストップ…!」


 腕を掴まれ、ハッとする。彼女は珍しく動揺していた。顔を真っ赤にして、瞳を潤ませて、息も少し上がっている。というのだろうか。彼女のこんな顔、初めて見た。

 今私は、彼女をはっきりと女性と認識している。そして、彼女の女性的な色気に胸を高鳴らせている。いつもは、男性的な——カッコいい一面にドキドキさせられることが多いのだが、今はいつも以上にドキドキしている。

 改めて、私は性別なんて関係なくこの人が好きなのだと自覚する。男性的な一面も、女性的な一面も、どちらも好き——いや…むしろ、女性的な彼女の方が好きなのかもしれない。

 ずっと、彼女に抱かれることばかり想像していたが、今は私が彼女を抱きたい気分だ。

 だけど今は野外学習の最中。プライベートな時間ではない。それに……7日まではお預けされている。


「……ごめんなさい」


「……ううん。……ちょっとびっくりしたけど……」


「ドキドキした」と目を逸らして口元を隠しながら小さく呟く彼女はどこか悔しそうだった。滅多に見ないその顔が可愛くて、いつも私を揶揄いたくなる彼女の気持ちがよく分かった。


「ねぇ海菜…」


 少し背伸びをし、彼女の耳元で囁く。「5日後が楽しみね」と。

 いつもの仕返しをされた彼女は、瞳孔を開き、顔を真っ赤に染め——

——なかった。

 むしろふっといつものように笑い「あんまり私を煽ると後悔するよ」と耳元で囁き返し、耳にキスを落とした。

 さっきのは演技だったのかと疑ってしまうほど、いつも通りの彼女に戸惑ってしまう。


「ふふ。どっちが演技だと思う?」


「……今が演技であってほしいわね」


「ふぅん……そっか。……そっか」


 どちらが演技だったのかは教えてくれず、私を抱きしめて「やっぱり私、君を好きになって良かったなぁ」と呟く。その少し震えた声は流石に演技ではないと思いたい。


「……何かあった?」


「うん。色々あるよ。……今度改めてちゃんと話すからちょっと待ってて」


「……分かった。待ってるわね」


「……うん。……私を好きになってくれてありがとね。百合香」


 何があったのかはわからない。けど、話すと言ったからにはちゃんと話してくれるのだろう。彼女はそういう人だ。


「さて、いい加減中入ろっか。こんな玄関先でいちゃついてたら満ちゃんに舌打ちされちゃう」


「そ、そうね……」


 忘れかけていたが、扉の前だ。鍵もかけていない。いつ開けられるか分からない。


 中に入ると、既に布団が敷かれていた。三つ並べた布団の中で、海菜は真ん中の布団に飛び込み、掛け布団の中に入り「私ここね」と笑う。並べられた布団は三つ。三つだ。その中の真ん中を取られてしまえば、どちらを選んでも彼女の隣になってしまう。

 満ちゃんを真ん中にして海菜から離れようと思っていたが、読まれていたようだ。

 いや、彼女も『バカップルに挟まれるとかやだよ』というかもしれない。どちらにせよ、結局私は今日も明日も彼女の隣で寝るしかないのだろう。

 大人しく海菜の右隣の布団の上に座る。


「百合香はここでしょ?」


 そう言って彼女は布団をめくり、おいでと布団を叩く。

 隣り合う布団を引き離そうとすると止められてしまう。


「冗談だから。隣に居て」


「……寝てる間にこっち来ないでね」


「寝相あんまりよくないから保証はできないけど……寝てる間に襲ったりとか、そういうことはしないから安心して隣で寝ていいよ。『声出したらバレちゃうよ』とか、そんなAVみたいなことしないから」


「AVってあなたね……」


 あっ。と彼女はわざとらしく口元を押さえる。私も彼女もまだ15歳だ。今年で16歳になる。つい数ヶ月前までは中学生だった。


「でもさ、なんだかんだでみんな見てるでしょ。そういうの興味あるお年頃じゃん?」


「私は見てない」


「じゃあ、もうちょっと大人になったら一緒に見ようね」


「絶対嫌」


「あははー」


 いつも通りだ。本当に。どこからどこまでが演技で、どこからどこまでが素なのだろうか。

 私の前で見せる弱さは素?それとも、私を落とすための罠?

 —いや、どちらの彼女を信じるかなんて迷うまでもない。


「私はどんなあなたも好きよ」


 そう伝えると彼女は「うん」と優しく笑う。言葉にしなくとも信じてくれているから私に弱みを見せてくれるのではないだろうかと、私は信じたい。いや、信じている。


「私も。どんな君も好きだよ」


 と、彼女も愛を返してから布団から出てきて私を抱きしめた。私も彼女の背中に腕を回して抱きしめ返そうとするが、扉が開く音が聞こえて咄嗟に突き放してしまう。


「うっす。ただいまー。……って、お前何ちゃっかり真ん中取ってんだよ。私お前の隣嫌なんだけど」


 帰ってきた満ちゃんは真ん中の布団を陣取る海菜を見て嫌そうな顔をする。


「えー。私は満ちゃんと百合香の間がいい」


「やだよお前寝相悪いもん。寝ながらくっついてくるから暑苦しいんだよ。ほら、ユリエルと場所変われ」


 満ちゃんにしっしと追い払われ、海菜は渋々布団から出てきた。海菜のいた布団まで転がって移動し、掛け布団の中に入る。さっきまで彼女が入っていたから温まっている。そして、枕から彼女のシャンプーの匂いがする。

 なんだかドキドキしてしまう。まさか、これも彼女の作戦のうちだったりするのだろうか。彼女の方を見ると、何?と首を傾げて微笑む。どうやら私が意識しすぎなだけのようだ。恥ずかしくなり、彼女に背を向けて満ちゃんの方を向く。

 さっきまで話していたはずの彼女の寝顔が視界に入る。


「……満ちゃん、もう寝てる?」


 声をかけてみるが返事はない。すーすーと寝息が聞こえてきた。


「ふふ。疲れてたんだろうね」


「薪割りしてたものね。朝も荷物の詰め込みしてたし」


 こうしてみると、満ちゃんは可愛いらしい可憐な女の子だ。気が強くて男勝りな性格とのギャップを改めて感じてしまう。そこが魅力なのだと海菜は口癖のように言う。私もそう思う。満ちゃんは可愛くてカッコいい素敵な女の子だ。ちょっと下品なところもあるが。


「……実さん……」


 眠る満ちゃんの口からぽそっと呟かれたのは実さんの名前。彼女の夢を見ているのだろうか。けれど、表情は険しい。あまり良い夢ではなさそうだ。


『羨ましくて妬ましい。貴女も堂々と女性が好きと言えてしまう鈴木さんも。羨ましくて、妬ましくて、嫉妬でおかしくなってしまいそう』


 あの時の実さんが私に向けた、この世の全てを呪うような視線が忘れられない。

 毎回毎回昼になると呼び出されて、満ちゃんは彼女に何をさせられているのだろう。


『その子にはちょっかいを出さないって約束してあげる。代わりに、貴女がわたしの相手をして』


『要するにになれってことでしょう?別にいいですよ。私、実さんのこと嫌いじゃないですし』


 ふと、あの時の会話をふと思い出してしまう。まさか本当に愛人に……。

 いやいやいや……待て待て待て。想像するな。慌てて妄想をかき消す。

 仮にそうだとしたら、満ちゃんは実さんの八つ当たりに付き合っているのだろうか。以前の星野くんのように。いや、流石に星野くんは海菜の愛人をしていたわけではないと思うが……。


「……ねぇ百合香」


 ふいに後ろから聞こえた海菜の声が私を現実に引き戻した。


「何?」


「……」


 返事はない。なんなんだと思い振り返ると、彼女は目を閉じていた。まさか、寝言なのだろうか。


「……あなたも寝ちゃったの?」


 問いかけてみるが返事はない。消灯まではまだ少し時間があるが、二人とも寝てしまったならもう電気を消しても良さそうだ。

 電気を消して自分の布団に入る。

 目を閉じてしばらくすると、隣の布団から海菜がころころと転がってきた。私にぶつかって止まると、足と腕を絡めてきた。


「ちょ……う、うみ……」


 がっちりとホールドされて動けない。恐る恐る顔を見上げる。目は閉じている。寝息も聞こえる。


「寝てる……のよね?」


「……ん……」


 ぎゅう……と彼女の腕に力がこもる。

 彼女の心臓は穏やかだ。そのことが彼女が眠っていることを証明してくれた。私を抱きしめている時の彼女はいつもドキドキしているから。流石に、心臓の音は演技で誤魔化せないだろう。

 逆に、私の心臓は落ち着かない。落ち着くわけがない。

 目を閉じるが、その日はほとんど寝付けなかった。

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