第28話:愛してると囁き合って
『私ね、誰よりも繊細で優しいあなたが好きなの。あなたが好きよ。嫌いなところもあるし、ムカつくこともあるけど……すぐに許せてしまうくらいあなたが好き。周りからの心無い声が辛くないと言えば嘘になるけど、あなたを失う方が辛いわ。だから、何を言われたって私はあなたのことを離したりしないわ。だってもう私は愛する人を自分で選べるから。あなたは私が選んだの。私の心が選んだのよ』
スマホから、愛おしい彼女の声が流れる。言葉を選ぶように時折詰まりながら、淡々と私への愛の言葉が紡がれる。
『だから……どうか私を信じて欲しい。私は自分から離れたりしないと。いつか捨てられるなんて思わないでほしい』
「……うん」
笑顔の裏に隠した私の本音を、言葉にしなくとも彼女は察してしまうらしい。その鋭さが恐ろしくもあり、嬉しい。
『私が周りの声に嫌気が差して逃げ出すことはありえないわ。それくらいで逃げ出す覚悟なら、母に逆らってまで彼女と付き合いたいなんて言わなかった』
「……うん……」
分かっていた。けど、心の何処かでは疑っていた。私に告白してくれた女の子達のように「やっぱり男の子が好き」と言って私の前から去ってしまうのではないかと。
『……愛してるわ。海菜』
そう締めくくって、彼女の長い愛のメッセージは終了する。愛おしい人からの情熱的な愛のメッセージに涙腺は壊され、枕が濡れる。
『……愛してるわ。海菜』
アプリを使い。5分を超える長い音声メッセージから最後の一言の部分だけトリミングして抽出する。
『……愛してるわ。海菜』
我ながら、気持ち悪いことをしているとは思う。けど、彼女公認だ。いや、公認はされていないが……まぁ、音声を録音したことは知られている。消せと叱られたが、悲しげな顔で消さなきゃダメかと訴えると、渋々許してくれた。ちょろすぎてちょっと心配になる。
……さて、こんなに情熱的な愛のメッセージをもらったのだ。お返しをしなくては失礼だろう。
ASMR用の録音機材とマイクを用意し、ヘッドフォンをつけてマイクの前で喉を鳴らしてチェックをする。
彼女からは要らないと言われたが、送りつければなんだかんだで開くに違いない。そんな彼女の姿を想像して機材に囁く。
「なんだかんだ言いながらファイル開いてるじゃん」
すると多分彼女はムッとして、音声を止めようとするだろう。
「待って、止めないで」
なんなんだ。隠しカメラでも仕掛けてあるのか? と、彼女はあるはずもないカメラを探し出すかもしれない。
「やだなぁ。安心して。隠しカメラなんて仕掛けてないよ」
音声を開いた彼女の行動を予想しながら囁きかける。
「ふふ。せっかく録音したんだから最後まで聴いてね。途中で切ったら駄目だからね」
といっても、彼女はきっとこの辺りで一回切って私に悪態をついてくるかもしれない。
「ねぇ……ちゃんと聞いてる?まさか飛ばしたりしてないよね?飛ばすのもダメだからね。……私ね、君の言う通り、不安になってたんだ。君がああ言ってくれてすごく嬉しかったよ」
彼女に対するお礼の言葉を淡々と紡ぐ。長々と語ったところで、ちょっと恥ずかしくなってきた。
「……ふふ。なんだかんだで結局最後まで聴こうとしてるじゃん」
茶々を入れて照れを誤魔化す。揶揄われたことにムッとする彼女が想像できる。
「あはは。揶揄ってごめんね」
怒ってるだろうか。
「怒らないでよ。可愛いよ。百合香。好きだよ」
機材の耳に向かってチュッというリップ音を響かせてみる。彼女はどういう反応をするだろう。びっくりして飛び跳ねるだろうか。
「あはは。びっくりした? ふふ。……可愛いなぁ」
見えているようにそう言えば、またありもしないカメラを探しだすかもしれない。
「またカメラ探してる?」
『探してないわよ』と、私の想像の中の彼女は言い返す。
「えー? 本当にー?」
すると私の想像上の彼女はイヤホンを投げ捨てた。
「あははっ。……ふふ。……百合香。……愛してるよ百合香」
さて、そろそろ少しサービスをしてやろうか。音を立てないように気をつけながら、機材をベッドの上に移動させる。
「……百合香」
彼女の名前を囁きながら、時折布擦れの音や吐息を混じらせる。
「ふふ……百合香……好きだよ。……可愛い」
こんなところ客観的に見たらドン引きするだろう。私だって百合香がベッドに転がって機材に向かって吐息混じりのセクシーな声で囁きかけている姿を見たら気でも狂ったかと疑ってしまう。でもまぁ、幸い今日は家に誰も居ない。扉を急に開けられて気まずいことになることはない。
「百合香……ねぇ……百合香……」
本物の彼女に触れたい。でも……まだ怖い。触れてしまったらこれ以上好きになってしまいそうで。
「……好き……好きだよ……」
しても良いと言われた時、嬉しかった。心の底から嬉しかった。だけど……もう少しだけ待ってほしい。私の心の準備が出来るまで。焦らしたいから一ヶ月経つまではお預けなんて言ったが、私にその覚悟がないだけだ。
抱いていい? と聞いた日、あれは半分本気だったが「まだ早い」と断られることを願っていた。良いよと言われていたらどうしていたのかは分からない。
「……結局、最後まで聞いてくれたんだね。飛ばしちゃったって可能性もあるけど。後半5分くらいはサービスだから飛ばしてくれて構わないけど……真ん中あたりはちゃんと聞いてほしいな。君への想いを言葉にしたから。……じゃあね百合香。おやすみなさい」
録音を終了し、ちゃんと撮れているか確認する。「こんな音声を残して、仮に別れてしまったら絶対黒歴史になるよなぁ」と思うが、もしかしたら彼女は、散々聞いた後にゴミ箱に捨ててくれるかもしれない。それならそれでありがたい。残してくれても構わないのだが。
機材を片付け、ドキドキしながら彼女に撮れたての音声を送る。しばらくして既読が付き『要らないって言った』という一言と共に不機嫌そうな顔をする白い猫のスタンプ。この猫のスタンプ、毎回思うが彼女そっくりだ。彼女も自分を意識して買ったのだろうか。
「聞いて聞いてー」と、猫の背中をぽこぽこ叩く狐のスタンプを送りつける。これは別に私が作ったわけではなく、狐のスタンプを探していたらたまたま見つけたのだ。作者と知り合いというわけでもない。たまたま、猫と狐の組み合わせのスタンプだった。
そのまま一分くらい待っていると、彼女から『馬鹿』と一言メッセージが送られてきた。聴いてくれたのだろうか。
『最後まで聴いた?』
『聴けるわけないでしょ……』
『えー聴いてよ。せっかく録音したのに』
『冒頭のあれ何』
『あはは。君がどういう行動取るかなって想像しながら録音したの。ちゃんと君の行動とリンクしてた?』
『あなた、人の心読めるでしょ』
私の想像通りの動きをしてくれたようだ。
『実は読めます』
『やっぱり』
『冗談だってば。音声、最後まで聴いてね』
『聴かない』
画面の向こうにムッとする彼女が見える。
『えー…使えるように色っぽい声意識して囁いてあげたのに』
『使うとか言わないで。ブロックするわよ』
『あははー。私はもう寝るねー。おやすみなさい』
揶揄いすぎてこれ以上怒らせてしまう前にやり取りを終了させる。あの音声を聴いて、彼女は何を思うだろうか。使ってくれるだろうか。
私の録音した音声を使う彼女を想像すると、居ても立っても居られなくなってしまう。心を落ち着かせるために今日録音した彼女の声を聴いたが、逆効果だった。
別に私は使うために録音したわけではない。そういうわけではない。だけど結果的にそうなってしまった。罪悪感を覚え、音声は一言一句覚えてしまうほど聞き込んでから、泣く泣くゴミ箱に捨てたが、トリミングした『愛しているわ。海菜』の部分だけはどうしても捨てられなかった。
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