1-29 「それは貴方の字が汚いからです!」

「……あーと」

「まあまだ分からないし、本当に牧師関係だってなったとしてもメディア発表する前に解決すれば大丈夫だよ。……それにこう励ますのも変だけど、リチェはまだ若いし誰とでもコミュニケーション取れるから、すぐに再就職出来るって」


 それじゃあもう行くね、と課長は言い部屋を出て行ってしまった。嵐のように去っていった課長を見送った後も、リチェは呆然とその場に立つことしか出来なかった。


「……マジかよ」


 一気に頭が動かなくなったので、今の心境そのままの呟きが零れた。

 暫くボケッと突っ立っていたが、部屋の隅に後輩が居るのを思い出した。格好悪いところは見せたくない、と慌てて背筋を正して振り返る。クルトは書類から顔を上げ相変わらずの顔でこちらを見ていた。


「あー、まあ、まだ決まってない!」


 努めて明るく返し、リチェは出来るだけ頬を持ち上げて笑った。自分が話しかけるとクルトは視線を外して俯いてしまう。

 思った。

 もし自分がクビになったらこの人見知りが過ぎる後輩はますます居場所が無くなってしまうし、この仕事も辞めさせられてしまう。

 後輩に見えぬよう小さく溜め息をつき、リチェは自分の発言に後悔した。


***


「イヴェットさん、申し訳ありませんでした」


 警察が帰った後、自分とユスティンとアンリだけになった教会の集会室でユスティンが自分に話しかけてきた。


「いいよ、もー。叔父さんが謝ったって事件は解決しないし、あたしが連れ去られた事実も変わらないしー」

「はい、理解はしていますが……私が原因かもしれないことでイヴェットさんに危険が及んだ事実も変わりません。ここは謝らせてほしいです」

「だからいいってばー! 叔父さんって融通が利かないとこあるよね。アンリさんもそう思わない?」


 イヴェット・オーグレンは集会室のキッチンで早速コップを洗っている焦げ茶色の髪の青年に話しかける。


「うん、毎日思ってるよ。こいつどんな時でも俺に礼拝案内の貼り紙を書かせようとしないし」

「それは貴方の字が汚いからです!」

「……ほら、おまけに字がただの伝達手段だってことも理解してない。会報誌はタイプライターで書いてるんだから良いだろ」


 今日もカーキー色の作業着を着ているアンリは振り返ることなくどこか不貞腐れ気味に続ける。


「良くありません。礼拝前はタイプライターを触っている時間なんて無いんですから! それに貴方タイプライター打ってる時珈琲零した事あるじゃないですか! それも自作だと誇ってる時に!」

「うんまあそれは置いといて。さっきの刑事さんの話が本当なら俺も少しは悪いから、その分だと思ってイヴェットちゃんは謝られててよ。ごめんね?」


 コップを洗い終えたアンリが振り返り、キッチンに凭れかかって話に加わってくる。


「もーアンリさんまでー。ねえ叔父さん、知らない女性にいきなり告白されたとか、そういうの本当に無いの? 興味なくて覚えてないとかじゃなくて?」

「さすがに告白されれば忘れませんよ。だから無いですね」

「喧嘩してたとかも見てないのー?」

「私が見てる限りでは……ここは川も近いですし教会の前が騒がしいことは良くありますから、私も注視していませんでした」


 確かに、と頷いた。窓を開けておくと牧師館まで騒ぎ声が聞こえてくるし、少しの怒鳴り声なら気にも留めない。


「と、私達はそろそろ牧師館に戻りましょう。アンリ、夜の礼拝前には来ます。一旦失礼します」

「あ、あたしも手伝いに来るね! アンリさんっ、案内の貼り紙あたしが書いてくるよ!」


 発信機のお返しだ、とばかりに言ってみた。言い終えた後へらっと表情を崩して笑う。


「……イヴェットちゃん、そういう事はしなくて結構です」


 苦い果物を食べてしまったかのような表情でアンリが返してきた。その表情に溜飲も下がって「じゃあ今日はしない」と返事をする。叔父が先に集会室の扉を開け自分が来るのを待っていた。

 昨日の今日なのでもう少しショックを引きずっているかと思ったが、叔父も隣人も相変わらずなので、思っていたより早く笑うことが出来た。

 イヴェットは叔父の後をついていき、部屋を出る前アンリに一度深く頭を下げた。


***


「はい、はい……お疲れ様でした。はい……では」


 刑事課の部屋で、先輩が教会に行った課長からの電話を受けていた。

 リチェとクルト・ダンフィードは今日は現場に出ず、報告や書類を片付けている。


「はぁ~」


 課長からの電話を切ったリチェは、二人しかいない部屋いっぱいに重たい溜息をつく。その響きの重さに、書類に向き合っていた自分ですら今の電話がリチェにとって良くない物だと分かった。

 午前、クビを示唆されていた先輩が落ち込む報せ。

 確実にクビに関係した物だろう。


「クルト~俺、もう駄目かもしれない……」


 見ないようにしていたが、向こうから話しかけてきたので、返事の代わりに視線を上向かせた。


「お前も聞いてたと思うけどさ。俺、クビになるかもしれない。いや、なる」

「……牧師繋がりだったの?」

「それはまだ決まってないけど、そうなると思うぞ。昨日俺らが見た奴らは共犯者っぽいし、やっと差した光明なんだから掘り下げないわけない。あー馬鹿な事言っちまったなぁ」


 いつもと違う暗い声に視線を漂わせ、最終的に俯いた。

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