界は図書館へ戻った。カウンターにはララがいた。ララは界を視認するなり慌ててカウンターから飛び出た。しかし界は気にせず二階へ上がっていった。


 後ろから「カイ、ごめんなさい。言い過ぎたわ」とララの声が降りかかる。界は立ち止まるも、そちらの方を見ることもなくまた歩き出した。


 自室へ戻った界は、ララのようにものを動かせるかもしれないと思い、試しに手に念をこめてベッドに敷いてある掛け布団を動かそうとした。


 赤いオーラはぼんやりと界の手の周りに現れ、掛け布団は重そうにゆっくりと持ち上がった。しかしすぐに重力に負けてどさっと落ちた。


 「……出来る」


 俺にも出来る。そう確信すると、今度は本を持ち上げてみようとまた手に念を込める。机の上に置いてある本を持ち上げるイメージをして、そっと持ち上げた。本は何かにつままれるように少しずつ上に持ち上がった。が、やはりすぐに落ちてしまった。


 すると扉をノックする音が響いた。


 「…………」

 「なんだい?」


 扉の方を見ずに界は訊ねた。


 「また、私は嫌われてしまうんじゃないかって……母にしたように、貴方を傷つけてしまったと思って」


 ララの声だった。単調な声は、少し震えていた。


 「ごめんなさいって言いたくて」

 「気にしていないさ」


 そう言いつつ、界は扉の方へ向かい、開けた。

 そこには静かに涙を流すララの姿があった。


 「ララ?」

 「…………私、駄目ね」


 細長く白い指先で涙を拭っていた。


 「なあ、ララ。少しだけだが、本を持ち上げられるようになったよ」

 「本当?」


 界はララに見せてやろうと机にある本に向かってまた手を翳した。

 先ほどと同じように動作をすると、少しだけ滞空時間が増えていた。


 「あら……やっぱり、貴方は天才だわ」

 「下手な褒め言葉だな」

 「私なりの褒め言葉よ」


 ぷい、と顔を背けるもララは微笑んでいた。


 「これからはなるべく魔法を使うようにしましょ。失敗してもフォローするから。続けていけば、もっと出来るようになるわ」

 「なら、ここで他に依頼をこなすことも出来るようになるのか」

 「なるわよ。貴方なら大丈夫」

 「ありがとう、ララ」


 素直に感謝の言葉を告げると、ララは少女のような笑みを見せた。



  *



 チリン、チリン……。

 ドアベルが鳴った。

 そこは薄暗く、人通りも全くない裏手通り。シックな佇まいのバーだった。そこに現れたのは、小さな人影。


 「見つけた」


 漆黒のオーラを纏う少年はカウンターの奥でグラスの手入れをする青年に向かって走り出し、そして――


 「咲ちゃーん!」

 「うわっ!」


 ぎゅっと抱きしめた。


 「咲ちゃん! やっと会えた〜!」


 ぐりぐりと青年の腹部に顔をあてる少年の顔は晴れやかで、とても嬉しそうだった。

 咲ちゃんと呼ばれた青年は困惑した様子で少年の頭を撫でた。


 「オグルちゃん、久しぶり」

 「えへへ〜」

 「なんでオグルちゃんがここに? ドイツにいたんじゃなかったの?」


 青年の問いかけにオグルと呼ばれた少年は顔を離して答えた。


 「だって二人ともいなくなっちゃうんだもん。寂しいから来ちゃった! フランスに咲ちゃんがいることは分かってたからね!」

 「え? 師匠は?」

 「師匠もいなくなっちゃった。どこに行くーとか言ってくれなくて、気付いたらいなくなってたんだよ! もう寂しかったんだからぁ!」


 そう言うとオグルの赤い瞳から涙が溢れた。


 「そっかそっか。でもここにあんたがいるのもなあ」


 申し訳なさそうに、青年は店内を見回した。


 「大丈夫大丈夫! 上の階に居候するだけだから!」

 「何が大丈夫か分からんが……まあ、良いよ。師匠が見つかるまでね」

 「やった〜!」


 無一文のオグルは衣食住がようやく安定すると思うと歓喜して飛び跳ねた。青年――咲次郎ははあ、と溜め息をついた。



 そこから、月日は流れていった。

 界は図書館で司書として働きながら魔法をどんどん上達させていき、

 ララはそんな界を見守りながら界の魔力向上に尽力した。

 オグルは咲次郎の店に居候して身の安全を確保しつつ人探しを続け、

 咲次郎は、密かに何かを企んでいる様子だった。

 そして、界がサントコキーに着いてから早一年が過ぎた。



  *



 山積みされている本を積まれたまま中に浮かせる。界の手中には分厚い本が開かれてあった。


 ララから後に教わったことだが、魔法使いは魔法を使う際、「媒介」を必要とする場合がある。ほとんどの魔法使いは「媒介」を通して魔法を使うが、ある一定数の一部の魔法使いたちはそれを必要としない。それは、魔力の強弱が関係していた。魔力を多く強く持つ魔法使いは「媒介」を使用せずともある程度の魔法、それ以上の魔法も自在に使用することができる。つまり「媒介」というのは魔法の威力を強める作用を施し、足りない魔力を補う為の物ということ。ララと界は同じ「魔導書グリモア」を媒介とする魔法使いだった。媒介として使用するものは、魔法を使う本人にとって強い思い入れのある物でなければ作用しない。媒介として使用する物に対して強く念じる事によってそれは魔力を帯び、魔法使いを手助けしてくれる存在となる。


 「一年、ね。とても早いわ」

 「そうかな」


 図書館のロビーに無造作に積み上げられていた本の山を片付ける手伝いをする界は、手慣れた様子で倉庫へ運んでいく。


 「私よりも才能あるんじゃないかしら」

 「そんなことはあるかもね」

 「冗談よ」


 その日はアルベリやフレジーアも界とララと共に本の片付けを手伝っていた。相変わらず図書館に人は来なかった。


 どさっと本の山が崩れた。フレジーアが持ち上げようとして失敗してしまったのだ。


 「あわわ……ごめんなさい〜!」

 「もう、ジーアったら……」


 ジカート姉妹は妹が落とした本を二人で一緒に拾い上げ、また積み上げていた。


 「ん?」


 界はその様子を眺めていたが、ふとその中の本に目が止まった。

 二人の間にスッと手を入れ、その本を取り出す。


 「……これは、宗教の本か」


 ちょうどララが倉庫から戻ってきて、界が持つ本に気がついた。


 「あら。クルルッタ教の本じゃない。そんなところにあったのね」

 「これ図書館に置かなくていいのかい?」

 「そうね、置いておいた方がいいかしら。でも、向こうにも一応たくさん置いてあるのよ」

 「そう……なんだ」


 界は一年経った今でも図書館の中身は把握しきれていなかった。


 「まあ、置けそうならおいてもいいけれど」


 「一冊か二冊くらい入る隙間ありますけど、置きますか?」とアルベリはララの方を見て聞いた。


 「そうね、任せるわ」

 「分かりました」


 二人の単調な業務的な会話をよそに、界は本をペラペラとめくり中身を流し見ていた。


 「……これ、俺が持っててもいい?」


 「良いわよ」とララは即答した。「どうせこの街のこと調べるんでしょう? なら宗教から入った方が話が早いわ。一年間ずっと魔法の練習してただけだったものね」


 「そうだ。ずっとお預け食らってたからな」

 「悪かったわね」


 腕を組んで頬を膨らませるララの様子にアルベリはふふっと笑みをこぼした。

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