【2.0.2】 見下ろしていたはずの、そこいたもの。
「私、童話作家になりたいと思ってて。」
もっと、ぼそぼそと喋る人間だと思っていた。それが倫太郎の完全な思い込みだったのだと、理解するには十分なほどに、はっきりと彼女は言った。
「学校の人間関係って、もっと学ぶべきものがあるかと思って通ってたんだけど。なんかそれ以上に、面倒くさくなっちゃって。」
ペロリと舌でも出しそうな雰囲気だった。
倫太郎が勝手に「逃げた」と思っていた彼女は、実は逃げたのではなかったのだ。無意味だと判断して、もっと自分に合った道を見つけて、歩み出しただけだった。
逃げたのは、―――自分だけだ。
もしかしたら彼女だって、辞めた当初はひどく落ち込んだりしたのかもしれない。そうだとしても、目の前にいる彼女は、全く後悔をしていないのだということだけは分かる。清々しくさえ感じるその表情に、学校でのあの大人しそうにしていた彼女は、本当の彼女の姿では無かったのだと知る。いや、もしかしたら倫太郎が、勝手にそうだと思い込んでいた姿であって、彼女の本当を全く知ろうとしていなかっただけか。
自分が彼女に感じていた妙な罪悪感も、勝手に逃げやがってとそれこそ勝手に抱いていた苛立ちも、全ては自分の空回りだったのだ。
何も言い返すことが出来ないまま倫太郎が目を逸らすと、「でもね。」と彼女が言葉を続けた。
「木嶋君のことだけは、気になっていたの。」
自分の名前が出たことに気が付いて、倫太郎が再び視線を彼女に戻せば、彼女は申し訳なさそうに、それでも姿勢は凛としたままそう言った。
「私がいなくなれば、その内あの変な噂は落ち着くだろうけど、私がいなくなったことで木嶋君が変な罪悪感でも抱いていなければ良いなって。」
そこまで言われて、倫太郎はやっと気が付いた。倫太郎が勝手に抱いた罪悪感は、完全に倫太郎の独りよがりで、きっと岸間をどこかで見下していたのだと。だからまさか彼女が、将来を見据えて学校をやめたなんて、
そう、それこそ今の倫太郎のように。
「なんなんだよ。」
皆が普通に歩く道を、踏み外したのは自分だけだったのだ。
少し苛立った言葉が、思わず口を
「食べれなくは無いが、あまり美味そうではないな。」
耳元で聞き慣れた声がした。焦って自分の肩を見れば、いつの間にかクロが乗っていた。少し太っただろうか、存在感が増したような気がした。
「え?何か、食べて来たの?」
倫太郎がそう聞くと、目の間にいた岸間が「え?私?お昼ご飯は、まだだけど。」と驚いたように答えた。
「あ。いや、そうじゃなくて。」
そうだ。クロの姿は見えないのだ。どう誤魔化そうかと倫太郎が焦っていると、クロがピョンと飛んで岸間の肩に移動した。体を擦り付けるようにその首にまとわりつくと、岸間は「ひぃっ。」と不思議な声を出して固まってしまった。
「ね、猫?」
伸びた背筋。目だけでクロを追いながら、口だけを動かすようにして岸間が言うと、一瞬ピクリと耳を動かしてから一度大きな溜息をついたクロが、倫太郎を恨めしそうに見た。
「倫太郎、お前が悪い。」
「え?なんで?」
「私が猫に見えるのは、お前が猫だと思っているせいだ。」
「しゃ、喋った。」などと驚いている岸間は放っておいた。倫太郎が聞きたいくらいなのだ。なんで猫が喋って、倫太郎の事を怒っているのか。
クロの形を猫にしている倫太郎の「思い込み」が、岸間にも伝染するということなのだろうか。
思い込み
先入観
固定観念
ギンが現れてから何度となく現れるその言葉の表すものを、頭の中から消し去ることは至難の業らしい。倫太郎は、小さく首を振った。
近寄って来た図書館の人に、「お話されるようなら、図書館の外に出ていただいてもよろしいですか。」と注意を受けてしまい、岸間は手に持っている本を返してくるとだけ言って、慌ててどこかへ行ってしまった。別にこれ以上話すことなど無いとは思ったが、倫太郎が何かを言う前に、彼女は図書館の奥へと速足で行ってしまったのだ。しかも、クロを肩に乗せたまま。
岸間とすれ違うようにして戻ってきたギンが、彼女を振り返りながら倫太郎に寄って来た。
「なんだ、倫太郎の仲間か。」
仲間という言葉に違和感があるが、「人間の仲間」という意味だろうと理解して、倫太郎は頷いた。倫太郎を見上げるギンの姿は、学校をサボって遊びに来ている小学生のようだ。
「クロの仲間は、いたの?」
「ああ、いた。ここができてからは、ずっとここにいたらしい。」
またそれも、シロみたいな感じなのだろうか。次に「何に見える?」と聞かれるようなことがあれば、今度こそ動物じゃない何かにしようと決めていた倫太郎は、どんなものなら良いのかと考えた。
モンスター的な物?いや、そしたら少し怖いし。見えないものと言えば、幽霊?
「幽霊っていうのは、人間のことだろう?」
倫太郎の考えていることを読んだらしいギンが、こちらを見上げて不思議そうに言った。
「幽霊は、人間?」
そうだろうか?幽霊は、人間が死んだ後のものであって人間では無い気がする。しかも、動物だって死ねば幽霊になると思っていた。精霊たちからすれば、そういう括りなのだろうか。
倫太郎の頭に、疑問が溢れる。そもそもその考え自体が、合っているのだろうか。
「幽霊っていうのは、お前たちのその殻を持たない人間のことじゃないのか?」
殻を持たない、人間。つまりは、この中身ということだろうか。
「魂ってこと?」
「ああ、そういう言い方をするのか。じゃあ、魂っていうのが僕たちが知っている本来の人間の姿ってことか。で、お前のいう人間ていうのは、それが殻を被ったものってことだな。」
魂が、人間の本来の姿。そしたら、死んだ人間の方が、つまりは幽霊の方があるべき姿ということなのだろうか。
「え?じゃあやっぱり、幽霊は存在するの?」
思わず気が付いてしまった事実に、倫太郎は一瞬背筋が凍った気がした。倫太郎にとって、あまり得意ではない分野なのだ。ゲームで人は殺せても、現実では血を見るだけで少しドキドキしてしまう。
「人間は、殻が無ければ生きられないんだろう?殻から出たそれは、飢えて消滅するだけだ。」
「消滅するだけの存在である魂が、本来の人間の姿ってこと。」
「そういうことだ。」
「たまに、飢えているはずなのに消滅しないやつもいるみたいだけど。」と、ギンが怖いことを言ったが、倫太郎は少し寒くなった空気を払うべくそれを聞き流した。
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