case3-2.桑井亮介の懺悔〜あの日のように笑って〜
自分のことを酷い奴だと悦に浸る行為ほど馬鹿げたものは無いと思う。
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マッチングアプリを始めたことに大した理由などなかった。ただなんとなく。強いて言うなら、後輩に「割と良い人いますよ」と言われたことが理由だった。
プロフィール項目を埋めていく時点で心が折れそうだったが、始めたことを途中で諦めたくない性分のお陰でなんとか打ち終えることができた。しかしそれだけで仕事を終えた気になって、そこから全く活用をしていなかった。
そんな俺のマッチングアプリ活動の再開を後押しすることになったのは、後輩の「アプリどうっすか?」という言葉であった。「あー、全然してないねぇ」と苦笑いと共に返せば、距離感のおかしな後輩は「どんなプロフか見せてくださいよ」と不躾なお願いを寄越した。
よくそんなこと先輩に言えたもんだな、と思ったが、一度言えばどこまでも食い下がってくる後輩のしつこさを思い出し、ここは見せた方が面倒じゃないか、とスマホを差し出した。
好奇心のみで出来上がった表情で後輩はスマホを覗き込む。その瞬間に「ぶほっ、」と思わずといった風に吹き出した後輩に怪訝な顔を向け「どうしたの?」と、俺も覗き込んだ。そんな吹き出してしまうようなプロフィールを記入した覚えはなかったからだ。
「いや、これ、この人、絶対アプリ初心者っすよ」
後輩は俺のプロフィールを見て笑ったわけではなかった。少し落ち着きを取り戻した後輩が指差したスマホの画面。そこには真顔の女性の写真。しかも真正面から写したもの。
「履歴書でももうちょい笑いますよね?!」
そう揶揄った後輩の言葉は尤もであった。まさかこんな色気も面白さもない写真をプロフィールに使用する人がいるとは……。しかも興味本位で読み進めたプロフィールの内容も真面目一辺倒で、俺は今履歴書を読んでいるのかな?という錯覚さえ起こる。
「はぁ、おもろ。でも、こういう女が意外とやらせてくれるんすよ」
後輩はその薄い唇の口角をくいと吊り上げ、下品な笑みを浮かべた。それは己の経験に基づく見解なのだろうか。そう思うほどに後輩は自信満々に言い切った。
「そうなの?」
「はい。男慣れしてないくせに承認欲求だけはやたらと高い。だからちょっと褒めれば股パッカーンですよ」
頭を抱えたくなるほど下品だ。しかし後輩は俺のそんな不愉快さには気づかず、ペラペラとそのような人たちを落としてきた武勇伝を語り出した。よく回る口である。
「ってことなんで、この人にメッセージ送っとくっすね」
おいおい、と軽い俺の制止など物ともせず、後輩はスイスイとメッセージを打ち込んであっという間に送信までしてしまう。
「おいー、お前さぁ……」
「まぁまぁ。桑井さん、全然女っ気ないっしょ?これをチャンスだと思ってぇ」
全く調子の良い奴である。とんでもない内容を送ってはいるまいな、と送信履歴を見てみれば、存外まともなことを送っているのだから、俺はこいつを嫌いになれないのだ。
そんななんとも言えないところから始まった俺と彼女ーーかおる、と名乗ったーーはなんだかんだと連絡を取り続けていた。
彼女は予想通り真面目で、そして男慣れしていないようだった。日記かな?というような長文のメッセージを送ってきたかと思えば、すぐさまそれを取り消す。そしてその後、『お疲れ様です。仕事終わりました』などと、業務連絡か?と見紛うような色気のないメッセージを送り直した。
かわいい。ふと芽生えた感情に俺自身が一番驚いている。しかしこれは誤魔化せない。この不器用で、不憫に思ってしまうほど真面目な彼女のことを、俺は確かに意識し始めていた。
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『会いませんか?』と誘ったのはもちろん俺からで、彼女と連絡を取り始めてから2ヶ月程経った頃だった。
待ち合わせ場所に着けば、明らかにソワソワと時計を見ている人が一人。ダウンコートから覗く細身のパンツとスニーカーがかおるさんらしいな、と思った。
「かおるさん?」
控えめに名前を呼べば、ぎごちない笑顔を添えて彼女は振り向いた。
彼女は彼女であった。マッチングアプリのプロフィール画像、やり取りした文面、それから伝わってきた彼女そのものであった。
「私、自分に自信がなくて、」と、目尻を赤らめる彼女はとても魅力的で、俺の鼓動を速めた。
その夜、俺は彼女を抱いた。後輩の言った通りだった。後輩の下品な言葉を借りれば「ちょっと誉めれば股パッカーン」であった。しかしそれは俺も同じで、本能に従うままにおっ立てて彼女を無茶苦茶に抱き潰した。先ほどまで真面目な顔で上品な言葉を紡いでいた彼女が、苦悶の表情を浮かべて快感に溺れてゆく様はとても魅惑的で扇情的であった。
別れ際、今まではマッチングアプリを使って連絡を取ってきたが、これからは直接やり取りをしようと電話番号を教えてもらった。
本当は俺の番号も教えるべきだったのだろうが、彼女の終電時間が迫っていたこともあって「また連絡するね」と告げて彼女を見送った。
今思えばこれが良くなかった。なにせ急いでいたのだ。セックスに夢中になりすぎて時間を意識できていなかった。寒空の下、俺はコートも羽織らずに彼女を地下鉄のホームに送り届けた。先ほど教えてもらった番号を登録したスマホはコートのポケットの中だ。それを羽織ろうとして、くるりとコートを翻す。かつーん、と音がした。あ、やばい。そう思っときにはスマホは線路に落ちていた。
申し訳なさのみを心に携え、ついでに顔にも貼り付け、駅員さんに事情を話せば快くーーもちろん表面上であることは承知しているーー取ってくれることになった。しかし不思議なこともあるもので、確かに落とした俺のスマホはどこからも出てこなかった。終電後にホーム下を全て調べてくださったようで、翌朝家に連絡をもらったが、やはりどこにも無かったようだ。そこまでしてもらっても出てこないのなら、もう諦めなければいけないのだろう。唯一の心残りは彼女ともう会えないかもしれない、ということだった。
「もっかいアプリで連絡とったらいーじゃないっすか」
事の顛末を話した俺に、後輩は目から鱗の助言を与えた。あ、そうか。なんで気が付かなかったんだろう。余程テンパっていたらしい。
「あ、ああ、そっか」と何度も頷く俺を見て、デリカシーのない後輩は「桑井さんって、たまーに抜けてるっすよね」とかなり失礼なことを口走ったが、今の俺には些細なことであった。
「ってかさ、今さらかな?いや、やっぱ今さらじゃない?」
「えー?何がっすか?」
俺と彼女が会った日から1ヶ月が経っている。彼女の中ではもう終わったことになっている可能性が高かった。しかも、やり逃げという最悪な形での幕引きだ。
及び腰の俺に対して、後輩は「とりあえずアプリ見てみましょーよ。そもそも退会してるかもですしね」と言いながら、自分のスマホでマッチングアプリを開いた。
「えーっと、なんて名前でしたっけ?」
彼女の条件に合致する項目を選択し、それを検索にかけた。そう問いかけてきた後輩に「かおる、さん」と答えれば、「あ、あ?これ?これっすかね?」と後輩が俺にスマホの画面を見せる。
「えー、こんな慣れてる写真じゃなかったすよね?この女、やりまくってますよ」
まじでデリカシーが無さすぎると思う。しかし後輩の指摘は的確である。彼女のプロフィール画像は、真顔かつ真正面のものではなくなっていたし、コメント欄なんて『寂しいので癒してください』とかいういかにもなものに変わっていた。
あれ、もしかしてやり逃げされたのって俺の方か……?そう思えば、今さらノコノコと連絡を取ることは不可能であった。
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彼女とは一生会わないかも、と思ってもいたし、もしかしたらどこかで会えるかも、と期待したりもしていた。
しかしそんな期待が徐々に薄れ始めた頃、俺は彼女と再会を果たした。
「あ、かおる!さ、ん、」
思わず呼び止めてしまったどころか、なんなら腕まで掴んでしまった。オフィス街で突如腕を掴まれたかおるさんは身体をこわばらせ、しかしすぐに弛緩した。
「あ、亮介さん?お久しぶりですね」
俺の目を見てにこりと笑った彼女は、俺の知っているかおるさんではなかった。体のラインに沿ったニットとマーメイドスカート。彼女は自分の魅力を熟知し、魅せ方さえも知っている立派な女性であった。
どうして引き止めてしまったのだろう。あの時のようにまた、ぎこちなく笑いかけてくれると思い上がっていたみたいだ。
もしかして俺のせいでヤケになってあんな風なプロフィールになったのかと思っていた。酷いことをしたな、傷つけてしまったな、と知らぬ間に上に立って悦に浸っていたのだ。
恥ずかしい。とんだ勘違い。彼女は自分の意思でそれを選んだのに。
「忘れられなくて……また会える?」
なんてダサいんだろうと、自分でも嫌気がさしてしまう誘い文句に、彼女は目尻を赤くして微笑んだ。
あの日と同じ笑顔のはずなのに、どこか憂いを帯びたそれは、彼女をより一層魅力的にしていた。
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