case6.曽我瑞希の罪〜知らないふりもお手の物〜

 蜘蛛の巣って本当に便利だな、と思う。そりゃ巣を張り巡らせるのは大変だろうけど。

 でも張ってしまえば、あとは獲物がかかるのをただ待ってればいいのだ。すごく効率的で理に適ってる。


 幸いなことに、巣を張る作業も嫌いじゃない。

 

 気づかぬうちに罠にかかってる相手を見るのは、とても楽しい。





 本当に聞くつもりなんてなかったんだ。これはまじのまじのまじなので、絶対言わせてもらいたい。だけど、人間の耳ってのはよく出来てるようで。自分に関係のあることや、興味のあることは雑音の中からでも聞き取れるらしい。そのようなことをなんと呼ぶのかは忘れてしまったけど。とりあえず、この前テレビでやってた。


 だから、ガヤガヤと騒がしい教室内でも「八谷くん」と俺の名前が出れば、その会話を拾ってしまうのも致し方ないのだ。俺は悪くない。だって、俺の耳が勝手にしてしまったことなんだから。


「早く告白したら?」

「ダメダメ、できないよー。って、聞こえたらどうすんの?声大きいからぁ」


 その声の持ち主は、普段から割と喋る女子だった。え、曽我!?曽我って俺のこと好きだったの!?


「あ?八谷どしたん?聞いてる?」

「い、いや、ちょっと、うん。で、なんの話してたっけ?」


 心ここに在らずすぎる返事に、友達は怪訝な表情を浮かべた。だけど、そんなんどうだっていい。今、曽我が俺のこと好きって話してたよな?!俺の頭の中はそのことでいっぱいなのだ。


 とまぁ、こんな風に盛大にテンパってはいるが、曽我のことが好きなのか?と聞かれれば、それは否だ。

 いい奴だとは思うけど、好きだと思ったことはない。そもそも恋愛対象として見たことがなかったのだ。というか、曽我からの好意に気付かなかったので、意識することがなかった、と言った方が正しいか。


 しかし、俺のことが好きなのかぁ、と分かった上で接しても、曽我からの好意は伝わってくることはなかった。

 俺とその他の男子と接する時の違いが分からん。俺に対して恥ずかしがったり、顔を赤らめたりする素振りも見せないし。特別扱いして、頻繁に話しかけてきたり、チラチラと目が合うようなこともなかった。

 え、もしかして聞き間違い?俺の盛大な勘違いか?ならめっちゃ恥ずかしいんだけど!と、曽我からの好意に訂正を入れようとしていたその日。


 たまたま先生に指名されたのだ。俺と曽我。プリントを運ぶのを手伝ってくれと。恐らく一番近くにいた生徒が俺たちだったのだろう。

 職員室でクラス全員分のプリントを受け取り、「失礼しましたぁー」と扉を出てから一礼する。


「結構重いけど大丈夫か?」


 だなんて、白々しく気にかけたフリをして、曽我の反応ばかりを見ていた。


「大丈夫だよ。八谷くんは平気?」

「いや、俺男だからね?いくら身長が低めだっつっても、男だからね」

「ごめんごめん!そんなつもりで言ったんじゃないから!……きゃっ、」


 これはいよいよ俺の聞き間違い説濃厚かな、と思ったとき、曽我の短い悲鳴が聞こえた。廊下に足を取られただけでなく、そこでプリントを落とすまいと変に踏ん張ったことがより事態を悪化させたのだろう。曽我は見事にバランスを崩し、持っていたプリントはほぼほぼ廊下に散らばってしまった。


「大丈夫か!?」

「私は大丈夫ー!プリント……ごめん」

「いーよいーよ、気にすんなよ」


 と言いながら、自分の持っていたプリントを廊下の端に置き、散らばってしまったそれらを集める。

 

「はい、これ。てか、俺が持とうか?」


 集めたプリントを差し出し、「ありがとね。大丈夫だよ」と言った曽我と目が合った。近い。思っていたよりもずっと顔の距離が近かった。

 2人とも廊下に膝をついてプリントを集めて、その体勢のままプリントを渡したからだろうか。周りが見えていなくて、距離感がバグっていたようだ。


 俺が余りの顔の近さに「わっ、」と驚きの声を上げたのと、曽我の顔が真っ赤に染まったのは同時だった。あ、これ、やっぱ曽我って俺のこと好きだわ。そう確信してしまうほどの赤。なんなら恥ずかしさで、今にも泣き出してしまいそうな表情まで浮かべている。

 うわ、おもしれー。それが一番初めに浮かんだ感情だった。鬼畜!人でなし!と罵られようが、俺の行動一つで顔を極限まで真っ赤にして狼狽える曽我の姿は、おもしろかったのだ。事実。


 それからの俺は曽我に積極的に絡んだ。絡むどころか、揶揄うように不意に距離を近づけて、その度に戸惑い、頬を赤らめる曽我を楽しんだ。

 俺の友達には「八谷って、曽我さんのこと好きなん?」と勘違いされる始末だ。側から見てもそれほどまでに俺の行動は分かり易かったわけだ。


 なのにどうして、曽我は一向に告白してくる素振りをみせない。しっかりしていると思っていた曽我は、思っていたよりずっと鈍いらしかった。


「え、そんなん八谷から告ればいーじゃん」

「いやいや、なんか負けた感じがするじゃん?」


 そもそも先に好きになったのは曽我なんだぜ?俺は今も好きかどうかさえ分かんないのに、告白すんの?なんかおかしくない?


「オマエ拗らせてんな?好きに勝ちも負けもないだろーが」


 物分かりの良い冷静な友達はそんなことを言って、俺を嗜めるけれど。


「じゃあ、最後の一押しでデートに誘ってみるわ」

「……オマエ、ほんとめんどくせーな」





「今日、すっごく楽しかった!」

「だな!あ、あとさ、これ……」


 映画デートの終わり、上映時間までの空き時間にしたウィンドウショッピングで曽我が「かわいい」と言っていたヘアアクセを、照れながら渡す。ここまでしたらさすがに告白するだろ?!ほら、今がチャンスだ!


「え、開けていい?」

「……おう」

「……わっ、これ……すっごく嬉しい!大切にするね」


 キラキラした眩しい笑顔を見せて、曽我は喜びを表現する。ふわふわのスカートを翻しながら今にもクルクルと回転してしまいそうなほど、全身から喜びが溢れている。ここまで喜んでくれたことに、ホッと胸を撫で下ろした。

 さぁ、お膳立てはしたぞ、と思ったのだ。だのに次の瞬間には、喜びに煌めいていた瞳を伏せ、悲しみに影を落とした。


「八谷くんって、誰にでもこんなことするの?勘違いしちゃうから、やめた方がいいよ」


 それじゃあ、また学校でね。と、別れの挨拶を告げ、曽我は俺に背を向けた。

 ……え?え?えー?!なんなの、なんなの、なんなのあいつ!!?

 勘違い?いや、オマエは勘違いしろよ!いや、そもそも勘違いじゃねーから!!俺もオマエのこと好きなんだよ!!!……はぁはぁ。……はぁ。


 さすがに街中で一人叫ぶ男の図は恐ろしすぎるので自重した。自重したけど、今にも叫び出してしまいそうなのは本当だ。

 いや、鈍すぎん?そんなに自分に自信ないの?ここまで鈍く、察する力の低い曽我のこれからの人生を心配してしまう。余計なお世話だろうけど。

 



「いや、もうオマエがめんどくせーわ」


 ことの顛末を話した俺に、友達の呆れた声が突き刺さる。しかし、それな!、すぎてぐうの音も出ない。


「で、あれがオマエのプレゼントしたヘアアクセ?」


 友達の視線の先には黒髪をきゅっとまとめた曽我の姿。しかも俺以外の男と楽しそうに話してるし。そいつは曽我と同じ陸上部の男だった。

 わざわざ他クラの奴が休み時間に話しにやって来るって。そういやあいつ、この前も曽我に教科書借りに来てたな。絶対好きじゃん、あいつ曽我のこと絶対好きじゃん!

 曽我も曽我だ。俺に「勘違いしちゃうからやめた方がいいよ」とか言ってたけど、オマエもだよ。そうやって可愛い笑顔を見せて、楽しそうに話してる。オマエ俺のことが好きなんだよな?

 っておい、触らせるな!それ、俺がオマエにあげたやつだろ?触らせるなよ、俺のだ、曽我は俺のだ、触るなよ!


 気がつけば、曽我の腕を掴んでいた。


「え、八谷くん?え?どうしたの?」


 曽我の戸惑う声が聞こえるが、そんなの無視だ。「いいから」とだけ言って、曽我を引っ張るように教室から連れ出す。


「八谷くん?」

「好きなんだよ、俺、曽我のこと!」

「え……」

「オマエ鈍すぎ!」


 必死すぎる。俺、ほんとダサい。だけど、曽我はそんな俺を見て、にこりと微笑む。その笑顔に絆されて、俺は曽我の言葉の本質に気づかない。


「ずっと、待ってたよ」

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