第18話 悪い令嬢の最後に立ち会って
食事は一つのトレイに複数の皿、パンもスープも、前菜のサラダも、主菜の肉も載った状態だ。上流階級の食事作法として相応しくはなさそうだが、考えてみれば学園は学びの場。ここでは悠長に食事をする暇がないので、短時間で食事をするためなのだろう。
肉の焼けた匂いとソースの香りが混在となった蒸気が鼻腔をくすぐる。
腹が反応して鳴るのは、きっと身体が食事の受け入れ準備を始めたからに違いない。
「では、今日の糧に感謝を」
「感謝を」
アイリスの言葉に合わせ呟き、グライドは食事に取りかかった。
彩りの良い前菜のサラダは薄く甘めの味付けがされ、使われた食材の鮮度も良い。主菜の鶉肉の絶妙の火加減で表面がカリカリに焼かれ、芳醇なソースが肉の脂を引き立てている。スープはよく煮込まれ、自然な甘さの中に様々な食材の味が混じって優しい旨味が味わえる。
上品でありながら気軽に食べられて、何より美味い。
随分昔に良い生活をしていた時や、各地を彷徨い旅した時でも、これだけの料理を口にした事はなかった。トレーニングでデコイ相手に、ひと動きした報酬としては十分なものだった。
自分の料理に少しでも取り入れる部分がないかと考えつつ、やや夢中になって食べるグライドだったが、ふと気付いた。向かいに座るアイリスは、食事をする手を止め、いつもより笑顔を強め見つめて来ている事に。
これは少しバツが悪い。
水の入ったグラスを口に運び、軽く一口し、置いて問うた。
「どうかしたか? そんなに見つめられてしまうと、照れてしまうぞ」
「グライドは美味しそうに食べるのです」
「実際に美味いものだから当然だ。これをフウカにも食べさせてやりたいが……いや、むしろ黙っておいた方がいいか。あれで、なかなか拗ねると恐ろしい。知られてしまったら騒いで煩そうだ。よし、黙っておくとしよう」
「なるほど、二人だけの秘密というのも魅力的な提案なのです。では、そのようにしましょう。そして、次はフウカも一緒に来るとするのです」
「そうしたいな」
奢って貰わねば食べらる値段ではないが、奢ってくれとは言いづらい。ちょっとしたプライドで、グライドは軽く言葉を濁した。だが、さり気なくだが急に佇まいを正す。視界の端に誰かが近づく様子を確認したのだ。
「失礼。私はオブロン家のカルルスと言います」
やって来たのは金髪碧眼の、爽やかな顔立ちの青年だった。年齢的には少年と呼ぶべき頃合いだろうが、落ち着いた雰囲気と佇まいは、もう少し上の年齢に思わせてくる。
立ち上がったグライドに対し、カルルスは軽く頷くような礼をとった。
「当家のレンダーが、ご迷惑をおかけしました」
カルルスは申し訳なさそうに会釈をしてみせる。上流階級の良い部分を集め形にしたような、まるで物語に登場しそうな理想的貴公子といった人物だった。周りの数少ない客も、礼儀を忘れて見つめているぐらいだ。
「先程トレーニングの場のデコイですが。どうも、当家の者が手違いで用意してしまったようでした。危険な目に遭わせてしまって申し訳ない。謝罪致します」
「ああ、その事か。別に気になさらず。何の怪我もしていませんので」
「気遣いの言葉、感謝します。しかし責任は責任。何らかのお詫びをせねば、当家の名折れですし、何より私の気がすみません。」
「その気持ちだけで十分かな」
カルルスとの会話であれば、アイリスがするべき処だが、いつもの微笑を浮かべたまま、特に話す様子もない。女性は礼儀的に立たなくても良い事もあって、立ち上がったグライドが話を引き受けねばならない。
それはさておき。
グライドの見たところ、カルルスはレンダーの暗躍とは関係ないのだろう。軽く前髪を弄って、快活に笑ってみせる様子には、少しも影がない。どこまでも好青年といった様子に裏はなさそうだった。
「まっ、あまり気になさらず」
「ありがとうございます。それでは失礼ながら話を変えさせて頂きまして……先程の一撃、実に見事でしたね。素晴らしい!」
「いやいや、偶然だよ。はっはっは」
そう言ってみせたのは謙遜ではなく、これ以上の面倒を避けるためだ。
もちろん面倒事を避けるなら、最初からトレーニング場で大人げない事をせず、適当に手を抜けば良かっただろう。後悔しても時既に遅し。人というものは、時々馬鹿な事をして、後になって悔やむものである。
しかし常に最適解を選べるのなら、それはきっと、とてもつまらないに違いない。
「実は私は優れた人材を集める事が好きで、貴方を見込んで声を掛けたい。いかがでしょうか、我がオブロン家に仕え、新しく家を興してみる気はありませんか」
「その話は待って欲しいのです」
ようやく口を開いたアイリスだったが、椅子に座ったまま、じろっと睨むように言った。いつもの微笑も消えてしまって、どうにも不機嫌そうだ。
「グライドはアイリスが雇用しています。声をかけるのはマナーに反するのです」
「これは失礼。もちろん、お誘いだけですよ。頭の片隅にでも置いておいていただければというレベルのね。話は以上です」
カルルスはアイリスに顔を向け、丁寧に会釈をしてみせた。
「アイリス様との勝負、次こそは勝利して学園代表の座を手に入れてみせますよ」
「アイリスは負けません」
「ええ、お互い力を尽くして戦いましょう!」
朗らかに笑ってカルルスは席を離れた。
会話が終わるのを待っていた、ご学友やらご友人といった少年少女に取り囲まれ、護衛の従者を引き連れ立ち去っていく。その姿は光の中に輝いている印象だった。
椅子に座りながら、グライドはレンダーの行動が何となく理解できた気がした。
レンダーには焦りがあるのだ。カルルスが優れた人材集めているため、そうした人材の中で、筆頭家老としての立場や立ち位置を危惧しているに違いない。そうした危機感の中で功績を求め、カルルスを勝たせるためアイリスの襲撃を思いついたに違いない。そして、それを自らの功績にしたいのだ。
まともに考えれば、おかしな話かもしれない。
しかし自己保身で焦りの渦中にあるレンダーは、自分の功績に繋がる大切な事と、信じているのだろう。やはり人は時々馬鹿な事をしでかす。
グライドはちらりと辺りに目をやり、側に誰の姿もないと確認。近くの者も会話に夢中と確認し、目の前に座るアイリスに眼を向け声をひそめた。
「カルルスとは対立しているのか?」
尋ねた言葉に、アイリスはパンを一口、不思議そうに首を傾げる。
「代表の座を巡って争っているのです。でも、それだけなのです」
「あまり仲が良さそうに見えなかったが」
「レンダーがアイリスを狙――」
言いかけた言葉は、グライドの軽い咳払いで中断された。いくらなんでも、この場で言うには不適当すぎる。
「それとは関係なく、アイリスはあまり好きになれません」
幾分抑えた声だったが、やっぱり不穏当な言葉ではあった。幸いにも、向こうでお茶をする女性たちが笑いさざめいた事もあって、誰にも聞かれていない。
「ハッキリ言うのも良くないな」
「なぜならば。あの人は悪い令嬢の最後に立ち会って糾弾し、剣を突き立てる側の人なのですから」
「また、よく分からん話だが……」
どこか冷たく寂しい様子を見せられ、グライドは肩を竦めた。そして行儀悪くナイフの先で鶉肉をつつき、口の片端を歪める様に笑ってみせる。愛嬌のある顔だ。
「しかし好きになれない事には同意しておこう。ほら見てくれ、余計な話のせいで、料理がすっかり冷めてしまった」
これにアイリスは笑顔になった。
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