第22話 先行研究の確認

 温度変化と魔力負荷を同時に模擬実験シミュレーションする研究は存在しているのだろうか?


 研究をスタートさせる前にはまず先行研究を確認するのが定石。

 うん、定石だ。さきほど忘れていてアダマース先生に指摘されたばかりだけど。


 それはともかく、図書館の網絡魔蔵器ネットワークストレージを使うと世界中の論文を調べることができる。


 しかし、『無いことの証明』は非常に難しい。

 なにせ学術誌は海外も含めると星の数ほどある。

 

 そのため調査対象を限定せざるを得ない。


 まずは国内。


 魔学情報研究所Magical study information instituteが国内の学術情報Citation Informationを集めたCiMiiサイミイというものがある。

 私は網絡魔蔵器ネットワークストレージCiMiiサイミイを指定して論文検索のための咒文じゅもんを詠唱し、先行研究の有無を調べる。


『魔材強度』『模擬実験シミュレーション』『温度』『魔力負荷』のキーワードで検索し、表示される論文をまずはピックアップする。


 この段階でひっかかったのは12件だけ。


 そしてそれらのタイトルと要旨を読みはじめたが、いずれも総説や解説のたぐいで、研究論文は1件もなかった。

 となると、国内での関連研究はなさそうだ。この研究の新規性がありそうで、少し安堵する。しかし、海外の研究も確認しないとまだ安心できない。



 次は国際学術誌の確認。

 海外には様々な言語があるが、それらをすべて確認するのは無理である。そのため歴史など人文系の学問領域はともかく、魔工学や魔理学などのいわゆる魔術系の学問領域では国際語で書かれている論文だけを確認するのが一般的な手順だ。


 学術誌の編集者エディターは研究者であるが、発行元はガルゼビア商会やショポリンガー商会などの営利組織である。そのため大学はこれら出版社の学術誌をまとめて閲覧するために莫大ばくだいな購読料を毎年支払う包括契約ビッグディールをしている。

 具体的な費用は契約のため非公開であるが、大規模大学だと年間数億リブラになるらしい。おそらくこのセンカディン大学セン大もそれぐらいの金額を毎年これら出版社に支払っているのだろう。主要な論文を入手できるように研究環境を整備してくれている大学に感謝である。


 複数の出版社の多くの学術誌を同時に検索するため、魔術網Web of Magicという名称の情報一覧データベースを利用する。


 さきほどと同じ要領で、咒文じゅもんを詠唱し、『魔材強度Magical strength』『模擬実験Simulation』『温度Temperature』『魔力負荷Magical load』のキーワードで検索する。

 すると、この一次スクリーニングで56件が残ってしまった。


 ……ちょっと多いな。56件の要旨Abstractを国際語で読むのはかなりつらい。しかし、下手に条件を追加して大事な論文を見逃したら大変だ。良いキーワードが思いつかないので、しょうがない、がんばって読もう。


 まずは発行年の新しいものから、順番に要旨Abstractを読み、温度と魔力負荷の同時模擬実験シミュレーションをしてそうな論文に絞る。


 2時間ほどかかったが、これで12件に減った。

 このうち、9件が普通の研究論文で、3件がレビュー論文である。


 まずは9件の研究論文を対象に、模擬実験シミュレーションでどのようにそれらを考慮しているか論文本体の『方法』などのあたりを中心に目を通し、確認する。

 しかし、いずれの論文も定性的に評価したり、同時考慮の必要性を『考察』で論じている程度で、模擬実験シミュレーションまでしている論文でなかった。


 ……よしっ! このアイデアはまだ誰も実現していない可能性が高い! 期待で胸がいっぱいになる。


 最後は残った3件のレビュー論文の確認。

 レビュー論文は研究領域の状況を俯瞰してまとめた論文である。多くの論文を引用し、最近の研究成果や残された研究課題などを論じている。


 ……読むのは時間がかかるが、これは勉強になるな――。


 大御所おおごしょの先生が最近の魔材強度学の状況や課題を整理しているので、今後の研究の方向性を考えるうえで非常に参考になる。ついつい時間を忘れてゆっくり読んでしまう。


 そして、あるレビュー論文を読み進めていくと、その中に『――魔力負荷と温度の同時模擬実験シミュレーションによる破壊現象の再現は依然として課題であり――』との文章を発見した。


 おおおおぉっ!


 そのレビュー論文はまだ昨年発表されたばかりだ。

 つまり、この研究には新規性があるといえるだろう!


 しかし、その研究の必要性が認識されており、それに取り組む研究者が他にいてもおかしくない状態ともいえる。


 他の研究者に先に実現されてしまったら、これからする我々の研究は無意味となる。


 ……これは時間との勝負だ!


 私はそのレビュー論文を紙に転写コピペし、急いで研究室へ戻った。


 しかし、図書館から出て気づいたのだが、外はもう真っ暗。深夜になっていた。

 さすがに先生は帰宅されているだろうし、研究室には誰もいない。


 ああ……このうれしさを伝える相手がいなくて残念だ。

 マリさんがいたら、どんな反応をするだろうか?


 それにしても、新しい研究成果が出たときもうれしいが、このように新しい研究テーマを見つけたときもうれしいものだと初めて実感した。いや、もしかしたら成果が出たときよりも、研究テーマを見つけた時の方がうれしいのかもしれない。


 ……今日はもう帰って、明日の朝、早く来て先生に報告しよう。


 そう決めて帰路に就くことにしたが、なかなか胸の高鳴りは収まらない。 

 空腹に気づいたのは帰宅してからだった。



 ----

 ---翌朝---



 「アダマース先生、先行研究の確認をしてきました! おそらく新規性はあります! このレビュー論文にも『まだ課題』と書いてありますし!」


 私は先生に印刷したあのレビュー論文を渡し、早速報告した。


「そうですか! それは良かったですね。では、どのような研究体制で進めたらいいと思いますか?」


 先生もうれしそうだ。でも、いつもの先生の問いかけだ。きっと先生には案があるのだろうが、私の意見を聞きたいのだろう。


「もしケレエタさんの修論のテーマが決まっていないのなら、ケレエタさんに主担当としてお願いするのはどうでしょうか? リシトさんは既に別のテーマで修論を進めているので、魔力負荷の咒文じゅもんの実装をサポートするという役割でどうでしょうか? 私は模擬実験シミュレーションが妥当かどうか、実際の試料サンプルを用いた実験をしてその差異を分析するといった役割分担です」


「いいですね。はい、それでいきましょう。ただカイさんは誤差修正キャリブレーションだけでなく、全体の進捗管理もやりましょうね。もちろん進捗管理は本来は私の役割ですが、練習としてやってみましょう」


「わかりました」


 どうやらうまく進みそうだ。


「ただ、その前提としてケレエタさんの以前の所属研究室であるプロケラ先生への確認が必要です。研究のノウハウというのは人の頭の中にはいっていますが、だからといって勝手に使っていいものではないのです。もしかしたらプロケラ先生がこれから論文発表しようとしているかもしれませんからね。私がプロケラ先生に手紙を書きますので、その返事を待ってから正式に開始としましょう」




 ---

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 新たな研究テーマを見つけた時ってとても興奮します。たぶん、成果が出た時よりもアドレナリンが出まくっている気がします。ただたいていは先行研究が存在していて、論文検索で見つけてしまってショボーンなんですが。


 ちなみに、国内の学術情報は下記で検索できます。


CiNiiサイニィ

https://ci.nii.ac.jp/


 あと、学術誌の購読料問題もそのうちとりあげたいです。


*学術誌の動向に関する参考資料

船守美穂「ジャーナル問題をどのように判断するか?―学術情報流通とアカデミアの多面的な関係性」、東北大学附属図書館主催 「ジャーナル問題に関するセミナー 」(2021)  https://youtu.be/f6vr18ahRPY



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