63話

 今より少しだけ、目の前の子供と年齢が近かった時代、俺は根拠のない自信に満ち、他者を軽んじるような最低な人間性を保有していた。怠惰でなにもせず、頭が悪いくせに利口のふりをして、「どうして世の中は馬鹿者で溢れているのだろう」と途方なく愚かな認識を秘めていた。公の場で口に出さなかったのは幸いだったが、それは内心自分の無能さをよく分かっていたのと(これは随分後になって気がついた)、会話を交わす友人がいなかった事によるものであり、決して強かな策略ではない。万事稚拙であり卑しく、また孤独なため、俺は衆人に思い違いを悟られる事なく傲慢に酔えていたのだった。

 その悪癖がいつから根付いたのかはもはや記憶にない。もしかしたら産まれてからずっとそうだったのかもしれないが、いずれにしたって覚えてないのだからどちらでも大差なく、俺が恥知らずである事も変わらない。そして、人知れず他者を軽視し侮辱していた事実も。



 若い頃、具体的に述べれば学生の身分だけであればまだ許せていたかも知れない。知見なく視野の狭さ故の思い上がりだったと結論付けられたら笑い話にもなる。笑い事にならなかったのは、学校を卒業し、金を得るようになっても同じ思想を持ち続けていたからである。



 今の勤め先へ世話になり始めた頃、俺は周りの人間を見て掃き溜めだと冷笑していた。この労働所はどこに行っても使い物にならない愚図がいっぱしの労働者として振る舞えるよう配慮された慈善施設であるというのが俺の浅はかな見解であった。彼らが易い仕事をしながらしたり顔で「いや、厳しいね社会は」なんて台詞を吐くのが実に可笑しく思えて仕方なく、影に隠れて指を刺していたのだったが、そんな毎日が長く、本当に最近まで続いていたのである。悪い夢といっても差し支えないし、できる事なら、夢であってほしいと願っている。



 それからぼちぼちと同年代が妻帯者となり子供が生まれるようになると、俺は少しずつ自分の過ちに気付く。劇的なでき事があったわけでも賢人と会ったわけでもなく、本当にじわりじわりと、コーヒーに入れたミルクが馴染んでいくように、実感させられていったのだった。

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