第170話 真実 ③
大和のもとから離れると、純は小さくため息をついた。
大和は、少ない情報から事実を導き出すことに長けている。
純が雨がトラウマであることに気付いたのも大和だった。
あまり接触していると、余計なことに気付かれかねない。
自分の父親が分かっても慎重に行動しているようなので、しばらくは様子見でいいだろう。
大和が久遠家に行ったところで、純の計画に支障はない。
純が足を止めると、廊下の先に黒い影が現れる。
黒いスーツ姿に糸目の男性は、理事長付きの職員である
「純様。ご報告がございます」
「なに?」
「久遠の手先と思われる男を3人、学園の裏手で捕らえました」
「少ないね」
「今回は素人の寄せ集めではなく、玄人を雇ったようです」
今回は殺しや誘拐のプロを雇って、少数精鋭を送り込もうとしたらしい。
「学園の職員を脅し、侵入を試みていたようです」
今回のパーティーは、女学院の生徒もいるとあって学園の警備はかなり厳しい。
翔平が考えた完璧な警備体制が敷かれているので、それを破ることはできなかったのだろう。
だから、学園の職員を力で脅しにかかったのだ。
「被害は?」
「職員1名が軽傷です」
「そう」
純の声の雰囲気が変わったことに気付いたのか、班目は安心させるように細い目で微笑む。
「命に別状はありません。職場への復帰も可能です」
「そう」
それでも、純がここにいなければ負わなかった怪我だ。
静華学園の職員は、屋敷にいる使用人と違って弥生や純に忠誠を誓っているわけではない。
あまり危ない目には合わせたくない。
「職員の対応はおばあちゃんに任せる。捕まえた3人は、情報を聞き出してから警視総監に連絡する」
「かしこまりました」
いつものように適当に警察に届けただけでは、久遠の力で再び釈放されてしまう。
さすがに、殺しのプロを世に解き放つわけにはいかない。
調べれば前科まみれだろうし、警視総監が何とかするだろう。
純が再び歩き始めると、班目は音もなく姿を消す。
『だんだん、余裕がなくなってる』
純への狙い方に、余裕が見えなくなってきている。
玄人を静華学園に送り込もうとするなど、正気の沙汰ではない。
それほど、久遠栄太朗は焦ってきているのだろう。
『人が集まるほど、学園の警備はどうしても薄くなる』
どれほど警備体制を整えても、外部の人間が多くなると怪しい人間も紛れ込みやすくなる。
周囲に人が多くなるほど、純の身は危険にさらされる。
それでも、つぼみである以上は表舞台から逃れられない。
『学園祭まで、あと1週間か』
秋の夜風を肌に感じていると、無線に連絡が入る。
晴の声だった。
「南の庭園にいた子は静華の生徒だったけど、袋に入った粉を持ってたよ」
晴の声に、無線越しで翔平たちが驚く反応が聞こえる。
「女子生徒から貰ったみたい。仮面をかぶってたから顔は分からないけど、女学院の子だと思うって」
女学院の生徒がパーティーの間にも薬を広めようとしている事実に、翔平は眉間を寄せる。
「晴はその生徒から詳しく事情を聞きだしてくれ」
「了解」
「薬を広めてるのはその子で間違いないね」
無線から凪月の声が聞こえてくる。
「ホールは特に変わった様子はないけど、会場の外に出る生徒は多いかな」
パーティーも中盤に向かっているので、生徒たちの動きも自由になってきているのだろう。
純はホールに行くと、人混みの中から雫石の姿を見つける。
「雫石」
「あら、純。どこに行っていたの?」
「生徒に捕まってた」
嘘ではないので、雫石も納得している。
「…お久しぶりです」
雫石の後ろから、1人の女子生徒が現れる。
「夏の時は、ご迷惑をおかけしました」
そう言って純に頭を下げたのは、高田
夏期旅行で海に行った際に出会った姉妹の、妹の方である。
片想い相手と姉が両想いになるのを見て、姉に八つ当たりしていた妹だ。
そういえば、ミシェーレ女学院の生徒だったなと思い出す。
「新しい情報は?」
高田沙奈から情報を聞けている前提で話を進める純に、雫石は頷く。
「高田さんにも確認したけれど、女学院内で薬を広めているのは生徒で間違いないわ」
高田沙奈は、少し怯えたように頷く。
「広めているのが誰なのかは分かりませんけど…私が知っている限りでは、生徒から生徒へ広まっています」
「教師は?」
「つい最近まで知らなかったそうよ」
ということは、ずっと生徒間で秘密裏にやり取りされていたらしい。
「薬のことを大人に知られれば、大変なことになるって言われました」
実際に薬を勧められたことがあるらしく、高田沙奈は小さな声で呟く。
「大変なことって?」
雫石が優しく聞き返すと、高田沙奈は近くに人がいないことを確認する。
「その…ヤクザが、出てくるとか」
まるで怪談話のようにヤクザという言葉を口にする高田沙奈に、雫石は納得したように頷く。
「そういうことね」
どういうことか分かっていない高田沙奈は、首を傾げる。
「ご協力どうもありがとう。とても助かったわ」
「あの、私が話したっていうことは会長には…」
「えぇ。もちろん言わないわ」
雫石が安心させるように微笑むと、高田沙奈はほっとしたように息をつく。
やはり、女学院の中で綾小路会長の影響は大きいらしい。
「それでは、パーティーを楽しんでくださいね」
雫石は視線で純を誘うと、つぼみ専用スペースに一緒に向かう。
ここから先は人に聞かれては困る話なので、つぼみ専用スペースなら他人に会話を聞かれることはない。
純と雫石は椅子に座ると、会場にいる生徒たちから不審に思われない程度に背を向ける。
「ヤクザの方々は薬物は取り扱わないと聞いたけれど、本当?」
「組によるけど」
それぞれの組にもよるが、薬物の取引から収入を禁じているヤクザは多い。
「高田さんのお話からすると、薬物を広めている人物の裏にはヤクザがいると思うの」
良家の令嬢が1人で薬物を広めるというのは、さすがに難しい。
薬物に詳しい誰かが裏にいると思ったのだ。
「縹組の方に聞けば、何か分かるかしら」
純は頷く。
「縹組は薬物を扱わないけど、流通には詳しい」
組内で禁じているからこそ、薬物の流れを注視しているのだ。
それに、ヤクザのことを聞くならヤクザに聞くのが一番良い。
「すぐに連絡できそうかしら」
「できるけど」
純はドレスからスマートフォンを取り出しながら、組長が言いそうなことを一応伝えておく。
「見返りなしには教えてくれないと思う」
相手が純なら話は別だが、これはつぼみとしての情報収集なのでそこはまけてはくれないだろう。
ヤクザの組長はそこまで甘くない。
雫石はにっこりと、美しい笑みを浮かべる。
「縹組と紅苑組の間を取り持つのにお借りした、料亭のお値段を教えてあげましょう」
そういえば、あの料亭を借りたお金はつぼみの活動の諸経費としてこちら持ちだった。
「理事長の指令だったけど」
「理事長の指令は、紅苑くんと森くんの仲を取り持つことだもの。紅苑組と縹組の間を取り持ったのは私たちの優しさよ」
確かにそうとも言えるが、ヤクザ相手にここまで強く出られるのは雫石くらいだろう。
薬物について、タダ同然で情報を聞き出そうとしているのだ。
豪胆である。
純はスマートフォンで組長へ電話をかけると、そのまま雫石に手渡す。
スマートフォンを受け取った雫石は、これから恋人と話すかのような甘い笑みを浮かべた。
数分後、雫石は見事にタダでヤクザから情報を聞き出したのだった。
「女学院で薬を広めている生徒の裏に、ヤクザの存在が考えられるわ。女学院の近くにあるヤクザでは、薬物を取り扱っているみたい。そこの組の若頭が、最近若い女性とお付き合いしているそうよ」
純にスマートフォンを返しながら、雫石は無線でつぼみに連絡を入れる。
「その女性の名前は、
「杏…杏ね」
皐月の声と共に、カタカタとパソコンを操作する音が聞こえる。
「ミシェーレ女学院で名前に杏がつく女子は、全部で6人。1年生に3人、2年生に2人、3年生に1人」
「一人一人当ってみるしかないか…」
翔平は時計を確認する。
パーティーが終了するまで、もうあまり時間はない。
その時、晴から無線が入る。
「今日のパーティーで薬を配ってたのは、女学院の3年生だって。女学院の生徒から証言を貰ったから、間違いないと思う」
女学院の3年生で、「杏」という字が名前につく女子は1人。
「島崎
「すぐに向かうわ」
雫石と純は、椅子から立ち上がる。
「証拠を押さえることを最優先しろ。相手が女子だからと言って、無理はするなよ」
「えぇ。分かったわ」
純と雫石は賑やかなホールを離れると、皐月が言ったホールの裏手に向かった。
パーティー会場を離れるほどに人気はなくなり、薄暗い廊下の奥に女子が3人立っている姿を見つける。
「島崎杏香さんかしら」
雫石が声をかけると、1人の女子がびくりと肩を揺らして振り返る。
そして話しかけてきたのがつぼみだと分かると、すぐにその場から逃げ出そうと走り出す。
しかし雫石の後ろから姿を現した純にすぐに捕まり、床に押さえつけられる。
薄暗い廊下に、白い粉の入った小さな袋がいくつか散らばった。
純はその袋を手に取ると、中身を確認する。
また舐めると翔平に怒られそうなので、匂いで確認する。
「さっきのやつと同じ」
純が頷くと、雫石は微笑みを浮かべたまま捕まっている女子に近付く。
「ミシェーレ女学院で薬を広めていたのは、あなたですね」
「………」
「静華学園でも、同じように薬を広めようとしていたのでしょうか」
島崎杏香と一緒にいた女子2人にそう尋ねると、静華学園の生徒は簡単に頷く。
「ダイエットに効くそうです」
「勉強に集中できると勧められました」
しかし2人の女子生徒は、蔑んだ目を島崎杏香に向ける。
「馬鹿げた話です。薬物の力を使ったところで、自分の力にはならないのに」
「勉強に困っていないので断りました」
実力主義の静華学園で生きる生徒にとっては、薬物の力を借りるというのは馬鹿げた発想でしかない。
ダイエットがうまくいく。
勉強が進む。
そう甘い言葉をかけたところで、静華学園の生徒は揺らがない。
「やるなら、自分で違法にならない薬物を作りますね。足がつかないでしょうし」
「そもそも静華で広めようとしていることが愚かでしょう」
ばっさりと切り捨てる女子2人に、島崎杏香は顔を赤くする。
「ありがとうございます。詳しい話は後日お聞きしますので、パーティーに戻って大丈夫ですよ」
雫石がそう言うと、2人の女子は雫石と純に軽く頭を下げて会場の方に戻っていく。
純が島崎杏香を立たせると、雫石はにっこりと微笑む。
「詳しい話は、女学院の生徒会の方々がいらっしゃる場所でお聞きしましょう」
薄闇の中でもはっきりと分かるほど、島崎杏香の顔色は真っ青になった。
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