第166話 ハロウィンパーティー ④


翔平は純に近付くと、軽く腰を折って赤い花を差し出す。


「俺と、踊ってほしい」


翔平が差し出した花を見て、純は少し不思議そうにしている。

しかし自分を待ち構えている生徒の集まりを見ると、思っていたよりもすんなりと赤い花を受け取った。

あの中に行くよりは、翔平と踊った方がマシだと思ったのだろう。


「フードをとってもいいか?」


花を見せると、髪に着けると思ったのか純はフードを脱ぐ。

そして花を着ける時に、純が着ているコートを少し払う。

その隙間から白い肌が見えて、翔平は雫石に感謝した。


純のドレスは長いコートに隠れていて分からなかったが、背中の部分がざっくりと開いているタイプだったのだ。

純が不機嫌だったのは、これも理由だったらしい。

しかし純は翔平の視線に特に気付くことなく、不思議そうにしている。


『絶対に、人前でコートを脱がせないようにしよう』


こんなにも魅力的な姿を、他の男子に見せたくない。

純の髪に赤い花を着けると、今度はエスコートのために腕を差し出す。

純もダンスのためだと分かっているのか、翔平のエスコートを受けた。


壇上から降り、中央のホールまで歩いていく。

翔平も純もダンスは教養のうちなので、問題なく踊れる。

しかし、2人で踊るのは初めてだった。

純はパーティー嫌いでもあるし、ダンス嫌いでもあるのだ。


純の手をとり腰に手をあてると、リズムに合わせて2人でステップを踏む。

純の腰に手をあてていると、さっき見た白い肌が思い出されて顔が赤くなりそうだった。

さっきは雫石に感謝したが、雑念が混じるので少し恨みたい気分でもある。


「手は大丈夫か?」


雑念を飛ばすために話しかけると、純は頷く。


「シロが手当てしてくれたから」


それでもまだ少し腫れが残っているので、今日は手袋をしている。


「あの執事の手当てなら、大丈夫そうだな」


翔平の手を手当てしてもらった時も、跡形も残らないくらい綺麗に縫ってくれた。


純の視線が、翔平の右手に移る。

そこは、純が錯乱した時に翔平が怪我をした場所だ。


「俺は大丈夫だ」

「わたしも大丈夫」

「それなら、気にするな」


純は、こくりと頷く。


「翔平も、気にしなくていい」


いつもの突き放したような言い方ではないことに、翔平は少し驚いた。

それと同時に、とても嬉しかった。


「そう言ってくれて、嬉しい」

「どうして?」

「俺を突き放さないでいてくれることが、嬉しい」


純は少し困惑したように視線を彷徨わせると、翔平の胸元に視線を落とす。


「…よく、分かんない」

「まだ、それでいい」


すぐに、全てを受け入れてほしいわけではない。

それでも、この腕の中の存在が他の誰かのものになることには耐えられない。


『アプローチも大切、か』


片想い仲間の晴の言葉が思い浮かぶ。


「大切な友人」の場所から自ら離れる恐怖というのは、思っていたよりも恐ろしい。

翔平が何も言わなくても、この先純の側にはいられるだろう。

しかしそれは、いつまでも「友人」という関係でしかない。

翔平が純に望むのは、それ以上の関係だ。


翔平の想いを受け入れてほしいし、純の大切な人になりたい。

そのためには、今のままでは何も変わらない。


クルリとターンをすると、翔平は純の手を軽く握る。

薄茶色の瞳が自分だけを映し、幸福感と優越感が溢れそうになる。


「今日のドレス、よく似合ってる」

「裏切られた結果だけど」

「明るい色も似合う。可愛い」

「……?」


翔平の言葉を純が理解する前に、クルリとターンを入れる。

思考が停止しているらしい純の耳元に、口を近付ける。


「その背中は、他の男に見せるなよ」

「……!」


翔平に気付かれていたと知って距離をとろうとする純の腰を、がっちりとホールドする。

そして純の怒りが向かってこないうちに、話を逸らす。


「優希とは仲直りしたみたいだな」

「…別に。喧嘩してない」


確かにそうなのだろうが、最近まで純と雫石の間には気まずい空気が流れていた。

蒼葉家に遊びに行った後から、いつも通りに戻っていたのだ。


純はしばらく無言のまま考え込むと、小さな声でぽつりと呟く。


「…わたしのことが好きだと、何でも許すの?」


脈絡のない話だが、翔平は何となく雫石が言いそうな言葉だと判断する。


「許せないことがあった時は、怒るし悲しむ。それでも理解したいと思う。好きな相手なら、なおさらだろうな」


純は納得したような納得していないような、曖昧に首を傾げる。

他人に興味のない純にとっては、よく分からない感覚なのだろう。


「俺は、お前のことなら知りたいと思うし、理解したいと思う」

「なんで?」


純粋に疑問に思っている純に、翔平は一歩踏み出す。

翔平の急なステップに対応できなかった純は、距離を詰められて翔平の胸元が鼻先に当たる。


「好きだから」


顔の見えない場所から、声だけが降ってくる。

雫石に言われた時とは明らかに違う声の熱に、純は困惑する。

「友人として?」と聞き返したいのに、それを許さない圧を感じる。


困惑したまま体が固まり、ぎこちないダンスが続く。

音楽が終わって足を止めるまで、純は翔平の顔を見られなかった。


演奏が終わって互いに離れると、最後に礼をする。

顔を上げた時に見えた翔平の顔がいつも通りで、純は何故か安心した。


そんな純の様子に、翔平も安心する。

もしかしたら突き飛ばされて拒絶されることも考えていたが、どうやら困惑して思考が停止したまま終わったらしい。



ダンスを終えると、純は納得したように頷く。


「ダンスは嫌いだけど、翔平とだったら嫌じゃない」


翔平は、かぁっと耳が赤くなるのが分かった。

その言葉にそれ以上の意味はないと分かっていても、嬉しく思ってしまう。


「…俺も、楽しかった」


何とか耳の熱を冷ましてから、翔平はやっとそれだけを口にする。


すると、純は少し微笑んだ。

薄茶色の瞳に柔らかい色が宿り、花がほころんだようだった。


翔平は手を伸ばし、純の髪に着けた花に触れた。


「俺は、お前のことを大切に想ってる。そのことだけは、忘れるなよ」


そうして、赤い花に軽く口づけした。

視界の外で起きたことだからか、純はあまりよく分かっていないようだった。


「他の誰かと踊るのか?」


純は首を横に振る。

何故か、言葉が出てこない。


「そうか。ならいい」


自分以外とは踊らないと聞いて機嫌の良い翔平に、純は思考が追い付いていなかった。

ダンス中にいろいろ言われたことについても、純の理解がそれに追いつかない。

言葉の意味は分かっているのに、内容が受け付けない。


何でもできるはずの純は、人の心に疎い。

自分の心には、それ以上に疎かった。

翔平の言葉を聞いて困惑している、自分の感情がよく分からない。


『…体調が悪いから、わたしと踊ったんじゃないの…?』


そもそも、純はそう思ったから翔平の誘いを受けたのだ。

体調がまだ良くないから、あまり知らない相手と踊るのは辛いのかと思った。

だから誘いを受けたのだが、何が違って何が正しいのか分からない。


「…パン食べてくる」


現実と翔平から逃げようとすると、翔平に腕を掴まれる。


「これからが本番だぞ。逃げるな」


翔平は、他のメンバーがダンスを終えてホールからいなくなっていることを確認する。


「俺たちも行くぞ」


少し不貞腐れると、翔平がふっと笑う。

子供の頃のような笑顔に、純は少し目をとられる。

最近の翔平は、こんな笑顔を見せることは少なくなった。


「全部終わったら、好きなだけ食べれるだろ」


純が不機嫌になれば、こうやって妥協案を出すのは昔から変わらない。


『…だから、なんだっていうんだろう』


純はフードを被りなおすと、翔平と共に会場を出た。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る