番外編:1981年のクリスマス①

※時系列は西ベルリンに行くだいぶ前です


「そういえば、今年はサンタさんに何かお願いするんですか?」


 その問いは、少しでも仲良くなりたいという純粋な努力と、どこまで知っているかを探る大人の邪念の混ざりものだった。


 1981年の12月に入って少ししたころ。教会での任務からは一ヶ月ほどが経っていた。世はクリスマスシーズン。宗教を嫌う社会主義も、民に根付いたクリスマスマーケットの文化までは奪えない。

 事務所のあるフリードリヒスハイン地区でもいくつか開催されており、特にシュトラウスブルガー広場は圧巻だ。木で作られた屋台がライトアップされながら犇めきあい、まさに光の海である。

 観覧車や回転ブランコが光の尾を残しながらぐるぐる回り、果ては小規模ながらジェットコースターまで設けてある。こんな景色もクリスマスが終われば夢のように消えてしまうのだから毎年不思議だった。


 だから目一杯楽しんでもらいたいと思ったのだ。ベルリンに来て間もない、この無表情な少女に。


 というわけで、金曜日の仕事上がり、少し寄り道してマーケットに赴いたわけである。

 好き勝手散策するエレナとは早々にはぐれた。こうしてふたりで屋台のプファンクーヘンパンケーキなりホットココアなりを立ち食いしているのも、下手に探し回るよりエレナが網に掛かりそうだからだ。


 とはいえフレーゲルちゃんまで待たせてしまって申し訳ないな、せめて退屈しないように会話でも、クリスマスだしサンタの話はどうだろう、フレーゲルちゃんくらいの歳だともう信じていないかな、でももし信じているなら夢は壊したくないし……

 そんな煩悶の果てに繰り出したのが冒頭の問いである。


 一方のフレーゲルはやはりあまり表情を変えない。唐突な問いにすこし眉を下げただけだ。プファンクーヘンの紙皿をテーブルに置くと、手帳にさらさら文字を綴っていく。

 だが、その内容はさらりとは流せないものだった。


『お願いしても、たぶんこないよ』

「え?」

『だって、ずっときてない。お父さんとお母さんが死んでからずっと』


 心臓を串刺しにされた気がした。


 文字列はあくまでも静かだ。しかし少女の胸の内まで同じであるはずがない。フレーゲルの両親……弁護士の父と教師の母は、スパイ容疑でエレナに殺された。それ以来彼女にクリスマスは訪れなかったのだ。


『きっと、わたしがわるい子になったからだよ。

 サンタはわるい子のところにはこない。だから、わたしのところにはもう』

「そ、そんなこと、ありません!」


 書き終える前に声を上げていた。

 ペン先が止まる。急に一人で叫んだイングリットを周囲が訝しげに見ている。それに頬が熱くなるのを感じながら、イングリットは少女の右手を握った。


「今年は来ます! 絶対来ますよ! 来なかったのはほら、煙突がなかったんじゃないですか?

 今住んでるところなら絶対来ます! 大丈夫です、だって今年はいい子に、」


 瞬間、脳裏に蘇るここ最近の日々。教会での任務以降、フレーゲルは再びエレナを殺すことに心血を注ぐようになっていた。

 あれを「いい子」と呼べるのかは若干疑問だったが、まあフレーゲルひとりの責任ではない。

 それにここで迷えば何もかも嘘になる気がした。一瞬の逡巡を噛み砕いて言い切る。


「いい子にっ、してましたから!

 だから教えてください。今年はサンタさんに、何をお願いしたいですか?」

「……」


 海の瞳がこちらを見上げる。凪いだ水面がわずかに揺蕩う。

 冷たい右手はようやくイングリットの体温を受け入れてくれて、そっと手放せば、黒いインクがゆっくりと少女の望みを刻んでいった。


***


「で、ええカッコしいで引っ込みつかなくなったと。あっは、うける」

「もう好きに笑ってください……」


 諦め混じりに言うと本当に遠慮会釈ない大爆笑が返ってきた。エレナの辞書にデリカシーという言葉はないのだろう。あっても一般社会とは別の定義が載っているに違いない。


 週が明けた午前中、フレーゲルは学校の時間だ。その隙に社長室のエレナに相談している次第である。

 数日間発酵されてきた悩みはイングリットの脳にこびりついて離れずにいる。相手が相手とはいえ、相談できる先がいるだけでも幸運なことだった。


「で、フレーゲルのお願いってのは?」

「……ザイフェンの木彫りの天使だそうです」

「木彫りの天使?」

「はい。4歳のクリスマスに買ってもらったそうです。冬になるとお父さんが決まってコートのポケットに入れてて、フレーゲルちゃんがぐずるとそれで笑わせてきたって」

「ふうん……」


 社長机に頬杖ついてクッキーをつまむエレナ。どうやらあまり興味がないらしい。


「というわけで、ザイフェン近辺で買ってこようと思うんです。結構遠いですし一日がかりになるでしょうから、お休みをいただけないかと」

「いーよ別に……って、いつもなら言うとこだけど」


 肩を竦める。その意味はイングリットも十分に理解していた。


「時期が時期。イングリットー、昨日の新聞の一面大見出し」

「……出ましたね、ポーランドに戒厳令」


 独立自主管理労働組合「連帯」の非合法化。ポーランドの労働者たちによるこの組織も、とうとう公的な拘束の対象となった。

 12月13日の日曜日――昨日の話である。非合法化は相手を堂々と取り締まれる反面、地下運動に潜りこまれる可能性が高い。隣国からの運動波及を常々警戒していたDDRとしても無視はできないのだ。


 そんなわけで、実働部隊のエレナたちにも当然お鉢は回ってくる。

 さほど大規模な手入れの話こそないが、監視対象の捕捉は念入りにしておく必要がある。特にポーランド人と接触するようであれば、最悪部隊出動の可能性もあった。第十三部隊の受け持つような案件はたいてい巨大な火種なのだ。少しの動きで発火する。警戒は怠れない。

 つまりは繁忙期。休みを取るのも簡単なことではなかった。


「少なくとも向こう一週間は無理かな。あとは数日見てなんもなければ、まあ、24日にお休みあげてもいい」

「ありがとうございます。ご理解いただいて助かります」


 ギリギリのスケジュールだが仕方がない。条件付きとはいえ、許してもらえただけありがたいのだ。あとは監視している火種たちが燃え上がらないよう祈るくらいしかできないだろう。

 せめて交通ルートくらいは確認しておこう、当日焦っても遅いのだから……そう早くも24日に思いを馳せ、ふと気づく。


 クリスマス・イヴ当日。フレーゲルを一人で置いていくわけにはいかない。

 そして彼女を預けられるとするなら、相手は決まっていた。


「……大尉」

「なに」

「もしですよ? 私が行けるようになったとしてですよ? フレーゲルちゃんにとって楽しいクリスマスにしてくださいね……?」


 念のためである。イングリットだって上司を疑いたくなどないのである。しかし全面的に信頼するのは非常に難しいから、釘は刺しておくほかないのである。


「ハイハイ了解、以外に言える?まあ気難しいガキみたいだし、あっちが楽しめるかどうかはまた別だわ」

「……難しいようなら、フレーゲルちゃんにはお友達とのクリスマスパーティーにでも行ってもらいますので……」

「この警戒しなきゃな時期に? ただでさえイングリットが休むんだから、これ以上減らせない」

「……」


 黙考。今までの傾向を見る限り、エレナの方から手を出したことはない。あくまでフレーゲルの向けた刃に反撃するだけという建前は一貫している。そのやり口がかなりえげつないのだが。

 一方フレーゲルも事務所では基本的に大人しい。イングリットがいるから以上に盗聴器を警戒しているのだろう。


 つまり「二人には事務所か人の目があるところにいてもらう」、「イングリットは二人が帰宅するより先に戻る」。

 この二点が守れれば、何事もなく聖夜を過ごせる確率はかなり高くなる。


 念のため、理由をつけて受付の人間にも中に来てもらおう。第三者の目があるなら二人も滅多なことはできないはずだ。あとは出かける旨をフレーゲルに伝えるのは当日にして、計画的な動きを防ぐ。

 そうひとまずの安全策を講じるだけでも考えることは山積みだ。ただでさえ忙しい現状、頭は今にもパンクしそうだったが、それでもやるしかない。

 

 ――『お願いしても、たぶんこないよ』

 ――『きっと、わたしがわるい子になったからだよ』

 

 あんな悲しいこと、もう二度と思わないですむように。

 イングリットが最後まで大見得切って、少女の夢を呼び戻すのだ。

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