第31話 噂
「魔王が現れたらしいぞ」
「え?あれって
「ほら、例のあのドラゴン。Sランクパーティー複数でかかっても倒せなかったアレを、魔王は容易く支配したそうだぜ」
「なんだよ、胡散くせーなー」
「いやそれがマジなんだって。俺の知り合いの冒険者がそいつを見たらしくって――」
魔王。
それは世界を滅ぼすとされている禁忌。
偉大なる大賢者によって予言され、世界を終末へと導くと言われている存在。
それが姿を現したという噂は、あっという間に各地に広がり。
今や巷の話題は魔王の噂話一色に染まっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それで、君の見た魔物は本当に魔王で間違いないというのかね?」
明かに身分の高そうな7人の歴々が、U字型の卓に座り。
一人の青年を取り囲む。
「はい、間違いありません」
青年はそう答える。
禿げあがった頭部に長く白い髭を蓄え、ローブを身に着けた枯れ木の様な老人の質問にはっきりと。
青年はがっちりとした鍛え上げられた肉体をしており、その精悍な顔つきと相まって、屈強な戦士である事が伺える。
「その根拠は?」
老人は若者の言葉に静かに溜息をついた。
そして両手を口の前で組んでから、その根拠を尋ねる。
その態度から青年の言葉を信じていない事は明らかで、隠す気も無い様だった。
歳を取ると人は疑い深くなる。
それを抜きにしても、突然魔王が現れたなどという荒唐無稽な話はそうすんなりと受け入れられる訳もない。
「醜悪な見た目と、強大な力。それに、金と銀の魔物――恐らく最上級の魔物を2体従えていました」
「それだけでは魔王とは断定できんのでは?」
でっぷりと太った中年が横から口を挟む。
男は頭頂部が禿げあがり、体中に浮かぶたるみで不快指数の高い見た目をしている。顔には熱くも無いのに汗が浮かび、それを更に高めていた。
「最上級の魔物にも
魔物は基本的に竜系・悪魔系・アンデッド系・化け物系・動物系・植物系・その他に分類されている。
その区分は少々曖昧ではあるが、基本的に竜系や悪魔系は別格の強さを誇り、動物系はその中では弱い種に分類されていた。
勿論その進化過程や最終的なクラス、レベル次第でひっくり返る法則ではあるのだが、基本的にはその分類から大きく外れる事は少ない。
「姿形の報告を聞く限り、悪魔系の魔物が、単に獣系の魔物を従えていただけの様に私は感じるがね?」
「あれは悪魔系ではありませんでした」
男はその言葉にはっきりと異を唱える。
「カオス等というクラスを、俺は聞いた事も見た事も事もありません」
「そう言えば君は、撤退の際その魔物をチェックしていたんだったな。流石はS級冒険者――豪破斬と呼ばれるだけはある」
卓に座るやせぎすの男が、若者の二つ名を口にする。
豪破斬のアレク。
それが今、この場でやり取りをしている青年の名だった。
若くしてS級冒険にまで上り詰め、Sランクパーティーを率いる天才冒険者。
彼のその斬撃は圧倒的破壊力を誇り、その事から豪破斬の二つ名を得ている。
尤も、やせぎすの男が2つ名を口にしたのはそれを称える為ではない。
侮蔑の意味を込めた、
剛腕を売りにする男が竜には全く歯が立たず、新たに表れた魔物の能力を盗み見る事しか出来なかった無様な結果に対する。
「新種で見た事がなく。自身がかすり傷一つ付けられなかった相手を制圧したから、魔王だと?」
「そう……判断しています」
竜に敵わなかった不甲斐ないお前が、本当に魔王かどうかの判断ができるのか?
暗にそう言われ、アレクは悔しそうに歯噛みする。
普通に考えれば、人の手で最強種たるドラゴンを葬る事など早々できる事ではない。それも万の軍勢を焼き払った相手なら猶更だ。
本来なら、生きて帰って来れただけでも行幸と言っていいだろう。
だがこの場にいる者達は、形としての明確な成果を残せなかったアレクを嘲笑う。
それは現場で命を張る事無く、机上で物を考える事しかしない見解の狭さ来る物だった。
もしくは、若くして今の地位に上り名声を得たアレクに対する嫉妬なのかもしれない。
「それだけで魔王と判断するとは」
禿げデブが馬鹿にしたように鼻で笑い。
他の者達もそれに乗り、口々にアレクの行動を非難する。
この審問会に彼が呼ばれた理由は一つ。
彼やそれ以外の冒険者――死の山の竜討伐に参加した者達――が魔王の存在を口にし、吹聴していた為だ。
事実ならば早急に確認が必要となる案件ではあるが、アレクが呼ばれたのは事実確認というよりも、処罰を与えるという意味合いが強かった。
不明な噂を流し、無用な不安を煽った冒険者達に対する処罰。
それがこの審問会の真の目的だ。
その為、アレク他数名のS級冒険者がこの場に呼ばれている。
「ドラゴンはとんでもない強さでした。現にガリア国軍はその討伐を放棄しています」
「それは勿論我々も知っている。だが国が手を引いたのは、討伐が不可能だったからではない。それ以上
確かに、依頼を受けた時点では勝算があると思われていた。
だが蓋を開けて見れば、自分の斬撃すらあのドラゴンには通用しなかったのだ。
この国で自分を越える破壊力の担い手は、恐らく数える程しかいない。
である以上、数を集めても無駄だ。
そう言いたかったが、アレクは口を紡ぐ。
その考えが、この場では只の傲慢だと返されるのは目に見えていたからだ。
「確かに、そのドラゴンを従えた魔物の強さは問題ではある。だが世界を滅ぼす魔王と判断するのは流石に早計だ。勝手に吹聴し、周囲に混乱を招いた罰は受けて貰う」
「く……」
「処罰は追ってくだす。以降、魔王を吹聴する事は慎み給え。君も国家騒乱の罪で投獄されたくはあるまい?」
「承知しました」
そう短く答えると。
アレクはその場を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「くそが!!」
審問会のあった建物から宿へと帰る途中、アレクは路地裏で地面を蹴り飛ばした。
その強脚に地面は割れ、弾け飛ぶ。
先程の審問会の事を思い出し、アレクは機嫌が悪かった。
ギルドに魔王の報告を上げる。
そこで留めておけばよかった物を、周りにペラペラしゃべった軽率な行動に対する処罰は彼自身納得していた。
問題は彼らの態度だ。
端っから魔王などいないというその態度。
恐らく報告した魔物に対しての調査は勿論の事、各国に対する警告も真面にする気は無いだろう。
「魔王は世界を滅ぼすんだぞ……あの糞爺共が……」
このまま何もしなければ、魔王によって世界は滅びてしまう。
だが今のアレクに打つ手はなかった。
下手に騒げば、本気で捕らえられかねないからだ。
せめてあれが魔王である確証さえ得られれば……
そんな事を考えながら、アレクは裏路地を抜けていく。
「……美しい」
広場付近に出た所である一人の人物に目が止まり、彼はぴたりと足を止める。
流れる様に美しい銀髪をした、この世の物とは思えない美女。
その美しさに心奪われ、先程迄考えていた事など彼の頭からは一瞬で吹き飛んでいた。
「あの……もしよろしかったら、食事でもどうですか?」
アレクは何を思ったか、初対面のその女性に声を掛けた。
所謂ナンパだ。
それも彼の人生において初めての。
アレクは女性にモテた。
顔立ちは整っており、能力も人より遥かに優れている。
更にその性格も男らしい物であるため、S級冒険者の肩書と相まって彼は兎に角モテまくりだった。
――そんな女性には苦労していない彼だが。
――パーティーメンバーの美人魔導士アレサと、付き合ってはいないがいい感じにある彼だが。
アレクは思わず女性に声を掛けてしまった。
それ程までに美しく。
彼の胸を突き刺す程のドストライクだったのだ。
「食事?」
女性は不思議そうに首を傾げる。
その天然っぽい仕草が愛らしく、アレクの心を更に激しく掴む。
「あ、突然すいません。俺の名はアレク・シュバイツといいます。S級冒険者で、豪破斬と呼ばれる凄腕冒険者です」
普段なら、彼が名乗る際はフルネームではなくファーストネームだけだ。
更に冒険者とは名乗っても、2つ名や階級を口にする事はない。
相手からの印象を少しでも良くしようと咄嗟に口から出てきたのは、男のサガという奴だろう。
「冒険者なのか?」
「ええ最上級冒険者です」
「では、冒険者ギルドの場所を教えて欲しい?私達は今、そこを探している」
「喜んで、御案内しますよ」
達という単語に一瞬引っ掛かったが、きっとお友達なのだろうとアレクは都合よく脳内フィルターを通す。
「あれ?ポチ……じゃなかった。ポーチ、その人は?」
「父上。この御仁は冒険者らしいです」
父上という言葉にアレクは一瞬固まった。
ナンパしたばかりの状態で父親との遭遇は、流石のS級冒険者も肝を冷やしたのだろう。
だが直ぐに固まった表情を和らげて、彼は声のした方向へと振り返る。
そこには平凡な感じの男が立っており、銀髪の女性――ポーチとはさほど年が違わない様に見えた。
普通なら怪訝がる所だが、アレクはその事を気にも留めなかった。
何故なら、ポーチにはキツネの様な耳が頭部から生えていたからだ。
亜人は人間に近い種で、交配も出来るがそれでもやはり人間とは違う部分も多い。
中にはわずか数年で肉体が成人する種もあり。
ドワーフの男などは10になる頃には立派な口ひげを蓄え、どう見てもおっさんにしか見えなくなる程だ。
そんな理由から、アレクは目の前の親子の歳の差の無さを種族的な物だとすんなり受け止める。
きっと母親が狐の亜人なのだろうと。
「初めまして。俺の名はアレク・シュバイツ。豪破斬の二つ名を持つ、S級冒険者です」
冒険者の社会的地位はそれ程高くはないが、それでもBランク以上になれば高給取りだというのは世の常識であり、S級ともなれば国から厚遇されるレベルだ。
その為、札として見せるには十分な価値があった。
「あ、どうも。高田……じゃなかった。カオスです」
「カオス?」
魔王のクラスと同じ名であったため、アレクは一瞬ピクリと反応して聞き返してしまった。
そんな彼を、怪訝そうな表情でカオスは見つめる。
「ああ、すいません。知り合いと同じ名前だったので」
冷静に考えれば、目の前の平凡そうな男が魔王とかかわりがある筈も無い。
適当な言いつくろいをして、アレクはカオスへと手を差し出した。
握手を求めて。
「ああ、成程」
カオスは少しためらった後、アレクの手を握る。
「カオスさんは冒険者なんですか?」
握った手からは、相手の力量が伺えるという。
正確な強さは計りかねていた様だが、恐らくはA級以上だとアレクは推察する。
「いえ、これから登録しようかと思ってまして」
「成程。良かったら私がギルドにご案内しますよ」
何か事情があるのだろうと感じたが、アレクは余計な詮索をしなかった。
そういった物は相手から話さない限り、踏み込まないのが冒険者の流儀だからだ。
「ああ、助かります」
「ついでに街の名所も二人にご案内しますよ」
そういうとアレクは歩き出す。
その頭の中は出会ったばかりの女性――ポーチの事でいっぱいで、最早魔王や世界の事など片隅にも無かった。
S級冒険者と言えど、男とは所詮こんな物である。
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