第28話 テヌート村潜伏日記

 その夜。食事の席で、トリング氏はおもむろに、改まった口調で話を始めた。

 

「ソリーナは――ソリーナ様は。お気づきと思いますが、私の実の娘ではありません」


 無言でうなずいて、先を促した。この父娘にはまるで似たところがないし、そもそもこの家には母親らしき女性の肖像一つすら飾られていない。この辺りの文化では普通考えられないことだ。

 

「今から十八年前のことです。先の皇帝プロフィット七世――ナイザー・フォン・サンブル陛下にご息女がお生まれあそばしました。ご正室との間では、初めてのお子です。その時すでに、帝国の実権はエンゾ・エイミューが握っていたのは言うまでもありません」


「エイミュー……聞いたことはあります」


 過去三代にわたって後宮に正室はじめ高位の女官として娘を送り込み、外戚として皇帝を操ってきた有力貴族の一門だ。アニメ本編にも終盤から本格的に登場する。

 

「ソリーナ様の母君は、正室ながら……エイミューの娘ではありませんでした。陛下は、ソリーナ様が後宮の争いの中で命を落とされることを恐れ、一計を案じられました。皇位継承権を剥奪して臣籍に落とし、乳兄弟である私に預けられたのです」


「なるほど……」


 空中艦や重火器、巨大ロボット兵器があふれかえる世界にしては、まるで中国の王朝時代のような話だ。そこだけ五百年くらいずれていると感じるが、人間の本質はどんな時代でもさほど変わらないということなのか。

 帝国と言っても今は中央平原地方の肥沃な中央部、いわゆる「中原」を支配するだけの一軍閥に近い状態だが、伝統がもたらす権威というものは無視できない力だし、長年貯め込まれた財貨と軍備はそれを裏付けるものだ。


 現に、各地をいま実効支配する軍閥も、その多くは皇帝の名でその地域の鎮撫をゆだねられた将軍、という形をとっている。


「私は当時、近衛騎士団付きの技師長を務めておりました。あのリドリバは、騎士団が近隣へ治安出動した際に故障を起こし、その地の工房に預けられていたのを、ウナコルダへ来る途中で引き取ったものです。厳密には騎士団からの詐取ということになりますが」


 話の大筋は分かった。トリング氏はつまり、皇帝がどうあっても失いたくないと願った嫡出の娘を、政争の舞台から引き離し守るためにその人生を捧げてきたのだ。

 

(なるほどな! 道理で、父上とどこか似た雰囲気があるわけだ)


 父も、自身がそうしたわけではないが、旧皇室に連なるトライデン家の遺児を辺境に逃がすために私財をなげうった、遠い祖先の事績を尊び誇って生きてきた。

 本質的に、精神性が同じなのだ。

 

 プロフェット七世の思惑とは裏腹に、ソリーナはやはり、大きな火種になり得る。

 彼女を擁して都に上れば、やや無理筋ではあるが継承権の回復を要求しつつ、反エイミュー派の支持を集められる。あるいは、彼女を通じて皇帝本人を操ることも可能なはずだった。

 

 ギブソン軍が彼女を狙ったのは、あるいはそうした事情を嗅ぎつけ、利用するためのものだったのかも知れない。山賊はそこまでの事情を知らず、ただの誘拐依頼と認識していたようだったが。

 

 ソリーナやトリング氏と話し合った結果、俺はそのままトリング農場への滞在を続けることにした。

 ここは街道との位置関係上、トリコルダ方面から敵が侵入してくると早期に攻撃にさらされるのだ。ソリーナはまだ重戦甲の操縦技術を身に着けておらず、以前に農場で雇っていた用心棒も今では義勇軍に流れてしまっていた。当面、いざというときは俺が出るしかない。

 

 場合によっては、俺が彼女を仕込むという選択肢もありだ。気は進まないが。


 

 また数日が経った。リンたちと再会して以来、農場へは部下たちが何日かおきに、入れ替わりでやってくるようになっていた。

 近隣の農村へ何日か掛けて買い出しに出る、という態で、ソステヌートにとどまっているシャーベルと俺の間に連絡を確保しているのだ。


 今のところクロクスベ隊は義勇軍への勧誘を受けているだけで、監禁や拷問といった扱いは受けていないという。コルグたちに対して可能な限り敵対を避けたのが、ここで効いてきているのだ。俺はあの日の自分をひそかに賞賛した。

 

 

「フェンダーの奴、義勇軍に乗り換えやがったんですよ」


「何だと……?」


 今日も今日とて、グレッチがそんな話を持ってきた。

 

「ほれ、あのガルム……なんとかいう、白いリドリバもどきの重戦甲があったでしょう?」


「ガルムザインだ」


「でしたか。あれの操縦者の若いのに惚れ込んじまったみたいで」


「コルグ・ダ・マッハだな。確かに人物ではあるが……呆れたものだな、フェンダーの奴め」


 TVアニメ版での動きを思い出せば、納得のいく振る舞いではある。あちらでも、一時期同じようにコルグ側でうろちょろしていたことがあるのだ。

 それに、彼の生存本能は折り紙付きといってよいもので、とにかく自分の命を長らえる道筋を間違いなく嗅ぎ分ける。つまり、最悪の場合でもフェンダーの動きに合わせれば、生き延びられる。


 内心を全て部下に明かすわけにもいかないし、俺の場合は特に、この世界の住民には理解が得られない。ここは「身命の瀬戸際で多少の逸脱に目くじらを立てない」という路線で鷹揚な上官を演じておくのが手だろう。

 

「……まあ、フェンダーにも何か考えがあるのだろう。それに敵を欺くにはまず味方から、ということもある」


「聞き慣れない言い回しですな?」


 あ、こっちにはないのか……まあいい、言いたいことは通じたようだ。

 

「今は先行きが見えん状況だ、フェンダーからは目を離さず、かといって縛りつけもしない程よい感じの距離感で維持しておけと、シャーベルに伝えてくれ。案外、それが危急の折に我々を助けることになるかもしれん。で、艦の方はどうなっているか」


「クロクスベは、奴らも持て余してましたよ。動かせるだけの重戦甲を集めて持ち上げて、街道まで運んでから運搬車トレッガー五台くらいで引っ張ったみたいで」


 それで動かせるのか。意外とどうにかなるものらしい。

 

「あの大きさの小船だから何とかなるんでしょうな。とにかく、今はソステヌートの駐機場に係留されてますから、そのうち修理を始めるでしょう」


「なるほど、では修理してもらうとするか。動くところまで、奴らの金でな」


 グレッチがあっけにとられた顔をして、一瞬後にぽん、と手を叩いた。

 

「そういうおつもりでしたか! なるほど、ロランド殿は悪知恵も大したものですな」


「はっは、褒めても何も出らんぞ、私は今ここの居候だからな」

 

「こちらも街での立場は似たようなものです。まあ船長と操舵手が整備士ギルド経由でクヴェリに連絡を取ってるので、数日のうちには我が軍からの手形決済で、資金の補充もできるでしょう」


「それは何よりだ」


 シャーベルは退艦の際に、クロクスベに積み込まれた補給のための資金と、ハモンド軍の印章を抜かりなく持ち出していたようだ。

 無口だがさすがにそつがない。印章があれば手元に資金がなくても、手形を切ってハモンドに決済を回すことができるのだ。

 

 こちらの状況もラガスコに伝わってしまうが、ハモンドが現状について軽率に俺たちを処断するような将でないのは分かっている。

 

 義勇軍はクロクスベを自分たちで使おうと街へ持ち込み、修理をするだろう。だがあれは現時点でまだ、クヴェリの商工会に所有権があるものだ。だから、クヴェリに話をつけないままあれを義勇軍が入手することはできない。船長と操舵手が健在であればなおさらだ。

 

 まあ、彼らにしてみれば船の運用データを集めるのは、我々でも義勇軍でもいいわけなのだが。そこはこちらの立ち回り次第というところだった。

 

 

「それじゃロランド殿、また来ます」


「あ、グレッチさん、これ、良かったら隊のみなさんに」


 ソリーナが、去年の秋に仕込んだというベーコンを一塊、紙包みにしてグレッチに手渡した。

 

「や、これはどうもお嬢様、助かります! 今のソステヌートは人がむやみに増えて、こういうものが品薄なんですよ。お陰で炊事当番が毎度苦労してまして」


「そうでしょうね……コッピーもあればよかったんですけど、ちょうど切らしてて。ああそうだ、砂糖も少しお持ちになって」


「何と、これはさらにありがたい!」


 ソリーナが砂糖の紙袋を渡すと、グレッチがもう一段相好を崩した。砂糖は貴重品だし、ハモンド軍の士卒は親分の影響もあって、みな甘いものに目がないのだ。


「ふむ……グレッチの話が本当ならば、義勇軍はまだ兵站が弱いのだな」


 切り崩せる手掛かりがもう一つ、というわけだった。案外、早い時期に彼らは崩壊するかも知れない。

 

「よし、次に来る時は、なんとかして運搬車を一台借りてきてくれ。出来れば山中に放置したポータインを回収したい」


 最低、ここまで運べれば充電と簡単な整備はできる。


「了解です。あと、こっちに潜伏してるうちの情報員と、そろそろ連絡がつきそうです」


「そうか。そちらもよろしく頼む」



 グレッチはサエモドで帰って行った。俺の機体だったものなのだが、リンがどうしても爆破を拒んだらしい。おかげでいろいろと便利に使えてはいる。

 

 そのリンが、俺の傍らに座ったままなのに気が付いた。

 

「帰らなくてよかったのか?」


「必要ありませんよ。着替えも手回り品も、全部こっちに持ってきてます。若様がここにいるって分かった以上、あたしもここにいないと!」

 

 力を込めた感じでリンがそう言った。心なしか、ソリーナの方をうかがって警戒しているように見える。

 

(そういうことか……誤解もいいところなのだが)


 そもそも、この農場に滞在すれば、着替えや食事の面倒は根本的にソリーナに負わせることになるだろうに。そんなさや当てを演じる筋でもなかろうと思うのだが。

 

「わかった、わかった……すみませんソリーナ嬢、この娘にも小部屋を一つ割り当ててやってください。私直属で、優秀な騎兵です。お役に立てるはずです」


 ――ロランド様、意外と隅に置けないんですね。


 そう言ってソリーナが笑った。

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