第7話 泥の豪雨


「ふぅー、大分楽になったぁ。ありがとうレナちゃん」

「いえ、あまりお力になれないのですから、この位はさせて下さい」


 無事に沼を渡り終えた僕達は、一先ず体力を回復させる為に小休憩を取っていた。

 特に精密な魔術行使で精神力を擦り減らしていたリベラは軽く頭痛がしていたらしく、レナの好意で彼女の膝を枕に横たわっている。


 レナも全員分の荷物を汚れから守ったり、身体に貼りつく泥を浄化していたはずなのだが、魔力量が非常に多いらしく無理に我慢して居る訳ではない様だ。


「ねぇねぇレナちゃん、エルンちゃん。シスターってなに?」

「そうだねぇ。シスターって言っても色々あるらしいけど、私達がお世話になったシスター達は孤児院の先生みたいな感じだったかなぁ」

「元々はアインヘル教会の保全を目的として成立した小さな集まりだったのですが、親に捨てられた子供達を集めて面倒を見ていたら、いつの間にか目的が変わってしまっていたそうです」


 ふとリベラが二人に問いかけると、二人は懐かしむように話を始める。


 彼女達がお世話になっていたシスター達は元々教会の近所の人々が集まっただけの様で、特別何かを信仰していた訳では無かった様だ。

 だが、毎年の様に数人の子供が教会の前へと置いて行かれ、その事を哀れに思った彼女達が自分達が管理している教会を有効活用しようとした結果、現在の孤児院状態になっていったそうだ。


「私もお世話になってた孤児の一人でさ。子供たちの中では年長組だったから、他の子達を纏めてシスター達を手伝ってたんだ」

「私は元々シスターに興味があって教会に通い始めました。想像していたシスター像とは違いましたが、それでも私はあの人達を心から尊敬して居ます」


 二人は誇らしげにお世話になったシスター達の事を語る。

 エルンもレナも、その場所で出会った人々を思い浮かべてか柔らかな微笑みを浮かべている。


 だが、次第に二人の表情が暗くなり始めた。

 リベラも何かを察し、無理に聞き出そうとはせずに二人が口を開くのを待つ。


「……シスターの一人がね、遺跡の探索に失敗したらしくてさ。最初、シスター達はそれとなく誤魔化そうとしてたんだけど教会に居たこの中には察しの良い子も居たんだよね。その子を通じて伝わっちゃったらしくて、子供達は泣くわ叫ぶわの大騒ぎ。私もレナちゃんも子供達を宥める為に一晩中かかりっきりで……それはもう酷い日だったね」


 出会ってから殆ど変わらなかったエルンの声音が、僅かながらに揺れている。

 何かを堪える様なその痛ましい姿に僕達は何も言えずに居る。


「それ以前にも、教会に居る子達を養う為に探索者の小隊パーティに貴重な回復術師としてついて行ってたそうです。その人はシスターたちの中でも特に子供達に好かれていて……」

「そう、だったんだね……」


 集まった孤児達を養う為に想像以上にお金が必要だった様で、他のシスター達も様々な方法でお金をやりくりしていたらしい。その中でも一番の稼ぎ頭がその人だったそうで、何とか保っていた教会の運営はその日からどんどん厳しくなっていった。


「そんな時、私の前にいきなり遺跡が現れたのですよ」


 その日、回復術師としての仕事を終えて教会へ帰ろうとしていたエルンが森を歩いていると、彼女の目の前に突如生成されたばかりの遺跡が出現した。

 それを後にも先にも無い好機だと捉えた彼女は、大した装備も持ち合わせないままに遺跡へと単身突っ込んで行き、ボロボロになりながらも遺跡に眠っていた宝を持ち帰った。


「いやー、あの日も中々災難だったね。レナちゃんは怒りながら泣いて抱き着いてきたし。シスター達や子供達、挙句の果てに顔の良いギルドのお偉いさんにすらこっぴどく叱られちゃってね」


 如何にも笑い話の様に話すエルンだが、薄々自分の行動の危険さに気付いては居るのだろう。

 なにせ子供がたった一人で何の準備も事前情報も無しに遺跡に入って行ったのだ。殆ど命を投げ捨てるのと変わりない。


「そこから色々あって今は探索者としてお金稼ぎ中って訳。はい、これで湿っぽい話終わり!!」


 僕達にそれ以上詮索させない様にか、エルンは強引に話を打ち切り荷物を持って立ち上がる。


「さ、休憩が終わったら調査の続きだよ。まだまだ先は長いし、早く終わらせちゃおうぜい」

「……うん、そうだね」


 僕達も彼女の意思を汲み取り、遺跡の調査を再開する事にした。

 リベラと僕が並んで先を進み二人がそれに続く。


 足の指が浸るくらいの水深の湿地を進んで行くと、森の様に木が生い茂った場所に出た。


「さっきも似たような場所があったな」

「あそこには魔物が居たけど、ここはどうかな?」


 水生魔物が潜んでいた先程とは違い、ここの水深はそこまである訳じゃ無い。

 だが、先程から木々や葉の間を何かが飛び回っている様な気配がする。


 その気配を捉えるべく、それぞれが別の方向を向いて四方を見渡す。


「――そこっ!!」


 突如としてエルンが拳を振り抜き、その方向に立っていた木が真ん中から圧し折れる。

 激しい水飛沫が飛び散った後、倒れた木の下敷きになっていたのは小さな猿の魔物だった。


「わっ、猿だ」

「なるほど、さっきからこっちを威嚇してたのはあの魔物か……って危ない!?」


 魔物をじっくり観察しようとしていた所で、目の前に何かが投げつけられる。


 どうやら魔物が泥団子を作って僕達を追い払う為に放り投げて来たらしい。

 いつの間にか周囲の木々に膨大な数の猿が姿を現し、僕達の事を取り囲んでいるのに気が付く。


「これはもしかしなくてもピンチじゃな?」

「うん、これは無理だ。逃げよう」

「あ!! 向こうに遺跡の最深部っぽい場所があるよ!!」

「どこでも良いので、急ぎましょう!!」


 手に負えないと判断した僕達は直ぐに逃走を試みる。

 バシャバシャと音を立てて逃げ始めた侵入者を見て、猿達は鳴き声を張り上げ一斉にその背中めがけて泥団子を投げつける。


「ちょ、ごめん。今なんかすっごい楽しい!!」

「何でエルンはこの状況でそんな呑気な事言ってられるんですか!?」


 背後から豪雨の様に降り注ぐ泥、泥、泥。

 無数の泥弾が打ち鳴らす水音に急かされながら僕達は走る。


「あと少し!! 気合入れて行くよ!!」

「入った瞬間に僕が入口を塞ぐ。二人とも巻き込まれない様に気を付けて!!」

「了解!!」「はい!!」


 最深部の部屋までの距離を全速力で走り抜ける。

 そこへ近付くにつれ、猿達の鳴き声も攻撃も一層激しい物になっていく。

 その攻撃が当たる前にどうにか部屋へ滑り込む事に成功する。


「―――『岩盾』!!」


 部屋の内側から入り口を覆う様に魔術を使い、魔物の侵入を防ぐ。

 その身体の小ささからか、魔物達は岩を押し退ける事が出来ずに苛立ちながら爪を立てていた。


「はぁ、はぁ。何とか、辿り着いた……」

「いやー、中々楽しかったんじゃない。これぞ探索の醍醐味、みたいな?」

「そ、そんな事言えるのはエルンくらいです……」

「今のすっごく楽しかったね!!」

「えぇ……」


 余り体力が無いのか、部屋に着くなり倒れ込んだレナは楽し気な反応の二人に対して困惑を隠しきれない。

 彼女の息が整うのを待って、僕達は部屋の中央に置かれた宝箱に手を伸ばす。


「いい、行くよ?」


 そっと箱の蓋を開け、中のお宝を確認する。そこに入っていたのは……





「これは……木の実?」

「こっちは貝殻みたいだ」


 中に入っていたのは魔道具や武具では無く、そこらで集められた様な無数の採取物だった。


「……これ、まだ外にお猿さん達居るよね?」

「居るね」

「取り敢えずこれを持ち帰るとしてもだよ。あそこをまた抜けなきゃなんないよね」

「そうだね」


 箱の中身を確認したエルンは一つ一つ、頭を押さえたくなるような事実を口にする。

 僕はそれをただ肯定するしかない。


「で、ここを抜けてもまたあの沼を越えなきゃいけない訳で……」

「エルン、もう止めましょう」


 この後の事を考え、三人が虚ろな目をする。


「みんなどうしたの? お宝も手に入ったし早く帰ろう?」


 そんな中で一人、リベラだけがこのお宝を大事そうにカバンにしまっていた。


「まぁ、偶にはこんな事もあるでしょうよ」

「そうだね。頑張って帰ろうか」

「はぁ……。無事だといいんですけど」


 彼女に触発され、僕達も衝撃から立ち直る。

 その後、かなりギリギリではあったものの、僕達は無事に遺跡からの脱出を果たしたのだった。

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