第53話
自称大魔王の首を狙った一閃、それは確かにクリスの命を奪うには十分だった。
だが、それは首に届けばという話である。
間に割って入ったそれがなければ、確かに自称大魔王の勝ちだった。
そう、その乱入がなければ。
「ふふふ、パパ参上!」
ある時はこの世界を牛耳る存在の一柱。
またある時はカオスの裏社会を牛耳る悪の親玉。
しかしてその正体は……。
「バカが来た」
ナコト曰くバカ、もといクリスパパである。
つまりはフィリップス・クラフトという偽名を名乗るクトゥルフその人。
「おーそーいー。何のために慣れないスマホ使ってメール送ったと思ってんのさーフィリップスー」
「おぉナコト、すまんなぁ……解読に時間がかかって」
クリスと自称大魔王の間に立つクトゥルフは人間の姿、ピシっとしたスーツに身を包みながらも青白い顔色は見ている物を不安にさせるほど弱弱しい風体だが、必殺ともいえる一撃だった剣戟を指先で摘まむようにして捕えている。
まるで傘でもさすかの如く自然に、力を込めた様子もない。
そのままの姿勢でナコトに向けたスマホに映し出された画面にはメールの履歴があるが「てにもんくりすちやんぴんち」といった意味不明な文面が書かれていた。
「まったく……ナコトはもうちょっと近代科学の恩恵を受けるべきだと思うよ」
「余計なお世話だよーだ。ケータイなんて電話できれば十分なんだからさ!」
ベーと舌を出して抗議するナコトにクトゥルフは笑みを浮かべるだけで反論することはない。
そのまま視線を横に移してルルイエに声をかける。
「はいはい、あぁルルイエ。娘が世話になってるねぇ。迷惑かけてないかい?」
「いえそんな迷惑だなんて……いや、借金方面ではまぁいろいろとありますが……」
「あぁ誤解しないでほしいな。娘が君にじゃない、君が娘に迷惑をかけていないかが気になるんだ」
「あ……私の信頼ひっくいっすね」
「日頃の行いでね」
クスクスと笑うクトゥルフ、邪神というだけあって人が悪いものだが癖は少ないと言える。
その証拠に……。
「アバーライン君、アデル君。君たちには本当に世話をかけているみたいだね。今回もいろいろあったみたいだけれど、僕の方で何とかしておくから安心するといい」
「は、はぁども……警部、あれってマジで邪神様なんですか? すっごい人のいいおじさんって感じなんですけど……」
「バッカお前! すみませんクトゥルフ様、こいつ人間なんで邪神の皆さんを見る機会がほとんどなくて」
「はっはっは、気にしないでいいよ。というか僕の顔を知っている警察官自体が少ないからね。さてさて……挨拶もこの程度にして」
クトゥルフの目つきが少しばかり変わる。
柔和だったそれは、タコのような無機質なものに。
文字通り取り換えたかの如く、あるいは変貌したかの如く、ぎょろりと自称大魔王を値踏みするように睨み付ける。
「ふむふむ、君がねぇ……僕としてはどうでもよかったんだ。そういうのはもっと善性の邪神が考えるべきことだからね……。でもさ……」
一度言葉を区切る、と同時に短く切りそろえられていたクトゥルフの髪の毛が意志を持ったかのように伸び、うねり、捻じれ、幾本もの触手に変貌していく。
肉体は膨れ上がり、人のような質感だった肌は緑色に変色、鱗をまとい始める。
背中からは蝙蝠に鱗を付けたような、皮膜のある羽根が生え始めた。
その身体は変貌を続け、ついには転移門すら押しつぶしかねない巨体へと至る。
「僕の娘をいじめた……それだけで万死に値するんだ」
まるで世間話でもするかの如く、静かに死刑宣告を済ませたクトゥルフは右手を振り上げ……。
「親ばかー!」
ぴたりと動きを止めた。
「お父さんのバカ! 子供の喧嘩に親がしゃしゃり出てくるとか一番恥ずかしいんだって何回言わせるの!」
「え、えっと、あのクリスちゃん?」
「正座」
「へ?」
「そこに正座!」
ビシっと地面を指さしたクリス。
クトゥルフが稼いだ時間の間に処方された薬を飲み、どうにか不調を抑えて元気を取り戻したらしい。
「いい、お父さん。そもそも過保護なのは行けないと思うの私! だってそうでしょう?昔から何かある度にお父さんが出てくるから周囲から避けられて暗い青春だったし……」
ぶつぶつと小言を垂れ流すクリス、それを唖然と見守る一行。
ただ唯一仕事をこなしているのは避難と退避を呼びかけるアバーラインだけである。
「そもそもそれがお説教を聞く人の大きさですか! ほらあのビル! 洗濯物干してるのに日陰になっちゃってる!」
「あ、ごめんなさい……」
シュルシュルとクトゥルフの巨躯が縮んでいく。
そして二頭身サイズになった所で縮小は止まり、目は無機質な物からつぶらなものへと変貌した。
「よろしい! とにかくこれは私の喧嘩なの! お父さんは下がってて!」
「はい……ごめんなさい」
娘の説教がこたえたのか、すごすごとナコト達のもとへ引き下がるクトゥルフ。
その背中には確かな哀愁が存在した。
「やーい、怒られてやんのー」
「おのれナコト……呼び出した張本人のくせに」
「呼び出したけど喧嘩の仲裁までは頼んでないもんねー」
ケラケラと笑うナコトに対してクトゥルフはしょんぼりと地面に腰を下ろす。
そして落ちていたブラックコーヒーを手に取り、プルタブを開けて中身をちびちびと飲み始める。
「さぁ、邪魔が入りましたが再開ですよ!」
「く……くは……くはははは! あ、あれが邪神! なんというおぞましさ! ふ、震えが止まらぬ! まさかこれほどとは! だが我が精神力はこの程度では、み、みじんも揺らがぬ! そして小娘よ! 貴様の胆力気に入った! 我が勝った暁には貴様を嫁として迎え入れると決めた!」
「お断りです!」
「お父さんも許しませんよ!」
「お父さんは黙ってて!」
「はい……」
「まったく……とにかく仕切り直しですよ」
「いいだろう、不完全な貴様と完全なる我の一騎打ち。今度こそ決着と行こうではないか!」
クリスと自称大魔王がそれぞれ構えを取る。
自称大魔王は先ほど同様権能で生み出した剣を構え、クリスは拳を握り締める。
(とはいったものの……今の私で操れる水はたかが知れている……)
じりじりと距離を保ちながら周囲を観察するクリス。
薬の効果と、不調の二つの理由から権能には大きな制限がかかっているためだ。
先ほどの突撃(パイル)杭(バンカー)も普段であればルルイエ達の飲み物から補給せずとも、空気中の水分を纏め上げるだけで行使できたはずである。
それすらもできない今、クリスに必要なのは水そのものだった。
(水……どこかに水は……落ちてるジュース? ……だめ、それじゃ足りない。もっとたくさんの水……お風呂一杯分でもいいから……お風呂? ……住宅街……転移門……施設……)
はっと何かに気づくのと自称大魔王の踏み込みは同時だった。
「ナコトさん! 水道管を!」
「お? おっけい、まっかせてー!」
袈裟切りにせんと迫りくる刃、それをわずかな水を集め氷に変えて滑らせることで受け切るクリス。
その背後で「あぁ、僕のコーヒー!」と情けない悲鳴を上げるクトゥルフ。
そして、盛大な破壊音を響かせて地面を殴りつけるナコトの姿。
刹那、ナコトの拳の下からじわりと水がにじみ出る。
それは大地を持ち上げるようにして徐々に湧き出る速度を増し、ついには噴水の如く噴出した。
「はっはー! 水、水だぁ! これなら……思う存分!」
「くはは! 足りない分は仲間で補えか。勇者共がよく使っていた手段だが、弱者が使うには良い戦術である! だがそれは強者が使っても同じこと!」
自称大魔王が手をかざすと空中に金属質のゴーレムが数体現れる。
それらはクリスめがけて、体躯を生かした突進を繰り出す。
「甘い!」
しかしそれらはクリスの操る水に包まれて空中に浮かび、洗濯機のように混ぜ合わせられる。
一つの水球、その中で盛大にかき混ぜられたゴーレムたちは互いに互いを削りあってバラバラと崩れていく。
「甘いのはそちらだ!」
ゴーレムに気が向いていたクリスの懐にもぐりこんだ自称大魔王が剣を腰だめに構え、切り上げる。
だが剣を通して伝わる手ごたえは、ほぼ無い。
するりと通り抜けた剣を驚くように目で追った自称大魔王は、今しがた自分が切ったものに視線を戻す。
それは水の壁、そこに映し出されたクリスの鏡像。
「読んでいないとでも思いました? おかげで時間は十分……稼がせてもらいましたよ!」
ゴーレムによって一瞬クリスの姿が隠れると同時に水の壁を作り出し後退、壁に鏡像を映すと同時にゴーレム達を処分。
そしてその本当の目的は時間稼ぎそのもの。
不調を抱えたクリスでも、時間さえかければ大技も使えるという事実を自称大魔王は見落としていた。
それが、彼の敗因である。
「即席で申し訳ないですけどね、これで本当に終わりです! 【即席バリツ:半巨人(デミギガンテス)突撃(パイル)杭(バンカー)】!」
ゆらゆらと不安定に揺れる巨人、右腕の代わりに取り付けられた杭が自称大魔王の腹部に突き刺さり、爆音と共に杭が射出された。
「ぐ、ぬおおおおぉぉぉぉおぉぉぉお!」
「いっけぇえええええええええええ!」
空中で杭を受け止め続ける自称大魔王。
あらん限りの魔力と権能を使い空中で堪えるが、その手にある剣は徐々にひびが入っていく。
対してクリスは大きく咳き込みながら、今にも崩れ去りそうな巨人を必死に抑え込む。
「く……ぐあああああああ!」
決着はすぐについた。
いや、どちらが勝つにせよ長引くことはなかっただろう。
自称大魔王の剣と、巨人の杭が崩れ去るのは同時だった。
そして、クリスの身体が傾く。
巨人の身体と共に、地面に崩れ落ちようとする最中……巨人は残った左手で自称大魔王を地面にたたきつけた。
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