第9話
「ただいまーお母さん! お父さん帰ってきてる?」
帰宅して第一声、クリスは台所に立つ母の隣に立ってそんな質問を投げかけた。
玄関の靴を見る限り、いまだ父は帰ってきていないのは明白だが聞かずにはいられなかったのである。
「まだよ、それより手洗いうがいを忘れているわ」
「はーい」
母の優しい言葉に素直に従い洗面所でしっかりと爪の間まで磨いく。
それはもう懇切丁寧に、毛穴の一つ一つから汚れをかき出すようにして手を洗う。
その気になれば無痛脱毛までできるが、まさしく能力の無駄遣いである。
うがいに関しては口そのものを洗濯機に変えたかの如くギュルンギュルンと口内で水を回転させて一片の汚れさえ残さずに洗浄を終えた。
言うなれば超常的手洗いうがい、あるいは駄洒落だが手荒い手洗いうがいだった。
そうして口と手をタオルで拭いてからようやく母の隣に戻ると先程貰った名刺を二枚、母に見せるのだった。
「実は今日こんな人と会ってね」
「あら、またなにかやらかしたのね。流石私たちの娘、じっとしてられないのね」
「えへへ、じゃなくって! この探偵さんの助手をやらないかってお誘いが来たの! 新しいアルバイトなんだけどやってもいい?」
「へぇ探偵……あらあら、まぁ」
昼間の出来事、街の一区画を半壊させた大事であり当然ながらそれはクリスの家族にも連絡が言っていた。
それにもかかわらずその程度の事と流す母は濡れた手をタオルで拭いて名刺を手に取る。
そしてそこに書かれている名前を見ると目を見開いて驚いたように口元に手を持って行ったのだった。
「ふふ、不思議な縁もあるものね……いいわ、お母さんは賛成よ」
「本当? やったー!」
年相応、と言うには少し幼い反応だったがクリスは全身で喜びを表す。
そしてくるくると歓喜の舞を踊りながらふと野菜と肉が煮込まれている鍋に目をとめた。
「むむ、その材料。それにフライパンの上で炒められている物……カレーだ!」
「あら小さなホームズさん。残念だったわね、今日はシチューよ」
「えー、スパイス炒めてるからカレーだと思ったのに……」
「これはローストチキンのためのスパイス。観察が足りなかったわね、そこにある小麦粉と牛乳を見逃していたのが貴方の敗因よ」
バチコーンとウインクを決めたクリスの母は名刺を返してフライパンの中にワインを注ぎスパイスを軽く煮詰め始めた。
しばらくして、ガチャリという音と共に家に入ってくる者が一人。
「ただいまーマリア! クリス! お父さんだぞー」
いかにもくたびれたサラリーマンと言った風貌の男、これこそがクリスの父である。
ちなみにマリアとはクリス母の名前であり、結婚して100年ほど経っているにもかかわらず新婚のように仲睦まじい二人にクリスはいつも苦笑しているのだ。
「お父さんおかえり! ねぇねぇ、新しいアルバイトしたいんだけどいいかな!」
「こーら、クリス。その前にもっと話さなきゃいけないことがあるだろう」
コツン、と軽く額を小突かれたクリスは笑みを浮かべて昼間の事を話し始めたのだ。
「ショッピングを楽しんでたら大魔王を自称する奴らが転移門から出てきて、軍と交戦してたからヒーローとしてずばばばーんってやっつけたら……逮捕されました……」
最後の方は声のトーンがいくらか落ちていたがクリスの両親はまるで子供の悪戯を見守るような温かい視線を送っていた。
間違っても、逮捕されるような事態はその程度で済ませていいものではない。
それはこの世界でも変わらない法則である……のだが。
「そうかそうか、大まかには聞いていたがそんな経緯だったんだなぁ……つまりまた実績は作れなかったという事だね」
金額にして数億と言う途方もない金額の被害である。
それをあっさりと流してしまう辺り、この子にしてこの親ありと言う事だろう。
「そうなの……」
「事件解決数だけならそこら辺のヒーローよりも上なんだが、もったいないなぁ……やっぱりお父さんの権限で」
どうにかしようか、と続けようとした父の前にクリスは手を広げて言葉を遮る。
「それは駄目、ヒーローには自分の力でなるんだから! お父さんの力ばっかり借りるわけにはいかないよ!」
「よくいった! それでこそ我が娘!」
「えぇ、偉いわクリス! その調子でお母さんとお父さんの敵になってね!」
「うん! いつか二人とも倒すから首を洗って待っててね!」
まるで初任給では何が欲しい? と聞くような気軽さで宣言するクリスに対して、ケーキがいいわと答えるように返す両親。
言うまでもないが、これも世界云々ではなくこの家族の価値観がくるっているだけである。
「それで、その第一歩として新しいアルバイト見つけたんだけどね」
「そういえばそんなことを言ってたな、どこなんだい? ヒーローに繋がるアルバイトがあるとは思えないんだけども」
首をかしげるクリス父はいつの間にか入れられていたお茶をすすりながらもクリスに視線を向ける。
その隙をついてクリス母が何かを耳打ちすると、先程クリス母が見せたように驚きの表情を浮かべていたのだった。
「うん、探偵の助手なんだけど……ナコトさん? だったかな、お父さんの知り合いの人なの? フィリップスって結構親し気に呼んでたけど」
「ナコトなぁ……あいつは親しいというかなんというか……まぁトラブルの火種とも言うべきかな。悪い奴じゃないけど良い奴でもない、そこにいるだけですべてを巻き込む渦潮みたいなやつだよ」
「渦潮……もしかして、あの人も権能持ち?」
「まぁ……」
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