第十五話 妹を殺した兄、鹿目浩輔(一)

 弟と別れて、俺はいつものように公園でぼうっとしていた。

 足で探すのには無理がある。やはりネットで出来る限りの情報収集をするしかない。とはいえ、桜子という名前の妹がいたなんて情報だけじゃ、それらしい存在に目星をつける事もできなかった。

 いくら経っても何の策も思いつかず、堂々巡りをしていると突如予想だにしない人物が現れた。


「朝から晩まで勤勉な事だ」


 金魚屋の女だ。止めに来たのか。

 思わず身構えると、女はくすっと笑ってストールを羽織り直した。


「放っておけば出目金は勝手に出てくるよ。出てきたら捕まえればいいよ」

「死んだあとじゃ遅いですよ!」

「じゃあ君は彼を見つけて何と言うんだい? おたく体内に出目金いますよとでも? 信じるわけ無いだろう。もし仮に彼がそれを信じて、どうやって取り出すんだい?」


 そんな事は分かってる。見つけてもどうにもならない可能性の方が高い。俺は出目金に何もできないのだから。


「分かっただろう? 僕らにできる事は無いんだよ」

「……それでも探します」

「でもねえ、出目金憑きの人間を刺激したらそいつの出目金は君を取り込んでしまうよ」

「食われる事はあっても取り込まれる事はないでしょう。俺にはもう金魚も出目金いないんですから」

「いるよ。だって君金魚憑きじゃないか」

「あ」


 そうだ。今俺には桜子が憑いているから金魚が見えている。ならもし俺が食われでもしたら桜子も食われてしまうかもしれない。


「君に憑いた金魚と君の魂ががっちゃんこしてたら君は魂ごと食われるよ」


 それは弔われる事無く餌となり消えていくという事か。失敗したら俺は魂ごと消える可能性があることに初めて気づき、ひやりと背筋に冷や汗が流れた。


「それにね、憑かれるっていうのがどういう条件で成立するのか僕は知らない。君はある日突然金魚が見えるようになっただろう?」

「はい」

「僕もだよ。あの子が僕に何をしたのか知らない。おそらく金魚側からアクションするのだろうね。もし桜子があくどい金魚だったらどうするんだい?」

「……死ぬ、かもしれない」

「そういう事だ。分かったろう? 分かったらもうお止め」


 心配してくれてるのは分かってる。

 それでも俺は。


「止めません」

「たかがお喋り係りの君に何ができるって言うんだい」


 お喋り係り。確かにそうだ。俺は金魚屋で寝るか喋るかしかしていない。沙耶とだってそうだ。命を掛けたのは沙耶で、身体を張って助けてくれたのは弟だ。俺は一人で喚いてただけだった。

 けど俺は覚えてる。


「言葉は呪いになるって言いましたよね」

「言ったね。だから余計な事を言うのはお止め。薄っぺらい綺麗事は反感を買うだけだ」


 綺麗事か。確かにそうだ。俺が桜子に言ったのは無責任な依頼承諾だけ。もし桜子の兄貴にあったとして、出目金がどうとか桜子がどうとか、現状報告と憶測を伝えられるだけかもしれない。それは余計に二人を悲しませるだけかもしれない。

 けど俺は覚えているのだ。


「あなたもそうだったでしょう。沙耶が頑張ったんであってあなたは口を動かしただけ。でも、だから俺は今ここにいる」


 あの沙耶は出目金だった。沙耶の遺志を聞けたのはこの女が言葉にしてくれたからだ。


「確かに言葉は呪いになる。でも救いになる言葉もある!」


 金魚と喋ってほしかったからお喋り係りなんて作ったのではないのか。金魚をせめて楽しませてやりたいと思ったんじゃないのか。

 じゃなきゃ暇なら話し相手をしていてくれなんて、そんなに金魚の事を気にかけたりしなかっただろう。

 女はふう、と息を吐いた。


「君はやる事を間違えている」

「え?」

「君の言う通りさ。僕は口を動かしただけ。でもそれは沙耶の言葉だったから君の心を動かしたんだ。思い出してごらん。沙耶は君にどんな言葉を伝えたんだい?」


 沙耶が俺に伝えた言葉。

 沙耶が死んだのは良い事だったと思うように仕向けた言葉。


金魚屋人間にどんな言葉を伝えた?」


 金魚屋が俺に伝えた言葉。

 沙耶に頼まれた、沙耶が死んだ事は良い事だったと思うように仕向ける言葉と、それを金魚屋に伝えた時の沙耶の言葉。それは金魚屋の想いや考えじゃない。


金魚屋は誰にどんな言葉を伝える?」


 女はくくっと小さく笑うと駅の改札を指差した。


「それが分かったらちゃあんと食事をして大学は行きたまえよ」

「でも時間が無いです。授業はもう諦めます」

「だから行けと言っているのだよ」

「は?」

「お行き。君を助けてくれた人に会いに行くのが良いだろう」

「誰ですかそれ」

「僕は全く知らないよ。でもきっと君の家族が導いてくれるだろう」


 女はまたくくっと笑うと身を翻した。


金魚屋にできるのはここまでだ」


 そう言うと女は金魚帖をちらつかせ、踊るようにしてすいすいと消えていった。


「何だよその中途半端なヒント……」


 謎かけをして去っていくのは趣味なのだろうか。大学へ行けとは、つまり桜子の兄貴が大学にいるという事だろうか。しかし家族が導くとは、沙耶にまつわる場所なのだろうか。だが沙耶は俺の大学に行った事なんて無いし、沙耶自身学校に通った事はあまりないのだから大学とは思えない。しかし俺を助けた人間に会えという事は俺も会った事があるのだろうか。もしくはその人物が桜子の兄貴に繋げてくれるという事だろうか。

 そんな事を言っても、自分でいうのも寂しいが俺は友達も知り合いもいないし、ましてや助けてくれるなんてとんでもない。遠巻きに見られた事しかないし、今だってそうだ。授業を除いて俺の耳に入ってくる俺関連の会話は『ほら、あれが宮村夏生だよ』くらいのもんだ。となると生徒とは考えにくい。なら教師だろうか。立場的には生徒を助けなきゃいけないのだから、そういう意味では俺を助けた人間だ。とはいえ、覚えてるのは謹慎を言い渡された事くらいだ。後は勉強しかしていない。


「他にヒント。俺の家族が導くんだっけ。でもあの女は知らない相手」


 金魚屋が直接関わった事は無いとなると、沙耶とも俺とも関係無い人間なのではないだろうか。もし多少なりとも関わってたのなら『全く知らない』とは言わないだろう。


「……沙耶だとは言わなかったな」


 俺の家族は沙耶だけだ。だが沙耶と明言しないのが気にかかる。沙耶の名前が禁句になっているわけではないだろう。これまでだって何度も口にしていた。


「俺の家族……」


 俺の家族は沙耶だけであることは嘘じゃない。もう血の繋がった家族は一人もいない。

 だが血の繋がらない者も家族と言って良いのなら一つだけ心当たりがある。

 俺は全力で走りそこへと向かった。


 公園から駅を超えて歩くことニ十分。あまり人気のない通りにある店の前にいた。店の看板には『山岸酒店』と書かれている。古ぼけた店の扉を開けると、一人の老人が会計台に座っている。


「おお、夏生。おかえり」

「なっちゃん今日は遅かったのねえ。心配したわよ」

「ただいま。じーちゃん、ばーちゃん」


 この人は俺の祖父母――ではなく、俺を住み込みで働かせてくれている山岸さん夫婦だ。

 七十歳を過ぎた山岸さんは子供に恵まれず夫婦二人暮らしだった。年老いて力仕事はできなくなり、若いアルバイトが欲しいという。だが駅から遠く給料も平均以下のためなかなか決まらず困っていたところに俺の噂を聞き、不動産やを通じて俺に声をかけてくれたのだ。

 これは本当に有難かった。何しろ俺は心中したあげく暴力沙汰を起こした犯人のため、アパートを追い出されバイトも全てクビになってしまった。悪名名高い俺を入居させてくれるところは無くバイトも全て不採用続き。金魚屋がくれた金のおかげで当面はネカフェ生活をしていたがいつまでも続けてはいられない。何とかしなくてはを思っていたところに山岸さんが声をかけてくれた。俺の事情を全て知り、その上で受け入れてくれたのだ。両親と沙耶の仏壇も置かせてくれて、わずかしか無い沙耶の服や教科書なんかの遺品を押し入れにしまうのは可哀そうだからと、沙耶のための部屋まで用意してくれた。沙耶が帰ってくるわけではないが、まるでこの人達が元々俺の祖父母のような気がしてくるほど俺の事も沙耶の事も可愛がってくれている。

 気が付けば俺は山岸さんと奥さんをじーちゃんばーちゃんと呼んでいた。今の俺にとって、沙耶以外の家族といえばこの二人しかいない。


「夏生。今日はもううちにいるかい」

「うん。店番するよ」

「そりゃ助かる。後で鹿目のじいさんが醤油取りに来るから来たら呼んでくれよ」

「はーい」


 小さい店だがコンビニすら無いこの辺はお馴染みのお客さんがそれなりに来る。それは俺の縁も広げてくれた。最初は俺を怖がってた人とも仲良くなれたり、人付き合いの仕方を学べるのは衣食住よりも有難かった。

 だがたまに困る事もある。ドアが開いて一人の青年が入って来た。青年は愛想笑いどころか眉をしかめて口を尖らせ、あからさまな嫌悪感を示していた。


「……山岸の爺さんは?」

「奥にいますよ。呼びましょうか?」


 別にいい、とぼそりと呟くと青年は黙ってしまった。なら聞くなと言ってやりたい。

 じーちゃんの人徳もあってご近所のおじいちゃんやおばあちゃんとは割と馴染んでいるのだが、その息子や孫といった若い人は俺を良く思わない人が少なからずいる。

 この青年が誰かは分からないが、どことなく見覚えがある。おそらくそういった類だろう。青年は目をそらしたままため息交じりにようやく話し始めた。 


「鹿目ですけど」

「鹿目さん? 今日はおじいさんじゃないんですね。お孫さん? じーちゃん鹿目さん来るの楽しみに」

「頼んでたのは?」

「え? ああ、醤油? あるよ」

「ならさっさと出せよ」

「あ、すいません。四百円になります」


 今でこそ少なくなったが、こういうのは時々ある。最初は乱暴を働くような人間がいる店には行きたくないと客足が遠のいたりもした。やっぱり俺は出て行った方が良いだろうと思ったが、じーちゃんとばーちゃんはそんなの今だけだから気にするな、と引き留めてくれたのだ。

 そんなじーちゃん達のためにも、こういう客にも笑顔だ。だがその笑顔すらこの青年は気に食わないようで、四百円を俺に向けて投げ捨てた。 


「いい気なもんだな。お前みたいの雇うなんてどうかしてるよ」


 そう言い捨てると青年は店の扉を叩きつけるように勢いよく閉め、その揺れでドア横の棚に並んでたおつまみ商品がばらばらと落ちていった。当たるならせめて俺に当たってくれないか。ここまでされるとさすがに溜め息が出る。


「おい、どうした? 何の音だ」

「ちょっとぶつかって。鹿目さん来たよ。じいちゃんじゃなくて孫っぽいのだったけど」

「そうか、来たのか。話はできたか?」

「全然。なんか怒ってた。俺が嫌だったんじゃないかな」

「そうかぁ。やっぱり無理か」

「何かあったの?」

「鹿目のじいさんに頼まれたんだよ。お前と浩輔君で話をさせてやってほしいって」

「浩輔って今の? 何で俺?」

「実はな、浩輔君も小さい妹さんを病気で亡くしてるんだよ」

「……え?」

「境遇が似てるだろう。だから少しだけでも話をさせてやってくれないかって頼まれ」

「妹の名前は⁉ 亡くなった時何歳⁉」

「桜子ちゃんだ。まだ十歳かそこらだった」


 まさかだ。金魚屋の女のヒントは精神的なものではなく直接的なものだったのか。

 壁にかかったアナログなアンティーク時計を見るとまだ十六時過ぎ。夕飯を食べるにはまだ早い。


「俺ちょっと会ってくる」

「あんまり突っ込んだ事はするなよ。お前も立ち直るまでは色々あったろう」

「分かってる!」

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