第9話 動き始めたブランコ

 クレイアに押されて出た先には、人影が二つあった。ステアだけでなく、皇帝代理であるギルデまでもが、私を捜していたらしい。


 ステアは私に近づくと、今度は腕をがっしりとつかみ、逃げられないよう拘束こうそくした。力でなら負ける気はしないが、万が一、ステアを傷つけたらと思うと、まったく逃げられそうもない。


「アイネ?」


「アイネ??」


「アイネ???」


「アイネ????」


 と、先ほどから、二人で共謀きょうぼうして、私の名前を連呼れんこしている。私となんとか目を合わせようとして、変なおどりみたいになっているのがおかしくて、笑いそうになり、顔をそむける。なんで名前連呼するのよっ。


「ごめんなさいっ!」


 笑っているのがバレたら負けだと判断し、私は早々に謝る。


「それで?」

「え?」


 謝ったのに、ステアは頭をぐりぐりしてきた。


「勝手に家出した私を助けに来てくれた上また逃げ出した人騒がせな私をこの雨の中捜しに来てくれて、ありがとう、でしょうが!」

「いたたたた! ありがとう、ありがとうございますっ! 感謝してます、本当に!」


 昔から、こんなのばっかりだ。煙でも出ていそうな頭をさすっていると、ギルデがブランコを指差して、


「あそこに座ってくれ」


 と、突然、妙なことを言い出した。


「……揺らして逃げられなくしようとしてるでしょ」

「断じて違う! 久しぶりに娘のブランコを押したいだけだ!」

「私十五歳なんだけど!?」


 自身のヤバさを暴露したギルデと露骨に距離を取り、警戒を強めている間に、ステアが魔法で、雨の中でもブランコができるよう、着々と準備を進めていた。


 ブランコ周りの水気を取り、その上空付近だけを晴れにしたらしい。外で聞こえる雨音を聞きながら、私は二人の視線に押し負けて、れた服でブランコに座った。




 ステアが揺れる隣で、ギルデに背中を押される。ブランコが揺れていても、これなら簡単に逃げられるなと、思い直した。


「マナ様が城に作らせた公園のことを思い出すね」

「公園と言えば、あの、棒のブランコがアイネさんのお気に入りだったわね」

「アイネがブランコで一周したがることを見越して、マナ様はチェーンにしなかったんだろうな」

「普通に乗ってもほとんど揺れないから、最初はどうされたのかと思ったけど」


 この二人は、なんやかんやで仲がいい。昔から、こうやって話に置き去りにされることはよくあった。二人の会話を聞いているのは好きだったが、少しだけ、寂しいと感じることもあった。


 視界には映らないクレイアが、ずっと急かしている気配を感じていたため、会話の切れ目をねらって、切り出す。


「――ねえ。二人は私のこと愛してる?」


 ものすごく、勇気のいる問いかけだった。止まれば言えなくなってしまうと、そう思ったから、一息で言いきって、静かに長く、息を吐いた。


 息が止まるような静寂せいじゃくを経て、押されなくなったブランコの揺れも収まった頃、ステアが口を開く。


「伝わってなかった?」

「伝わっては、いたけど。でも、ママにも愛されてない私が、受け取っていいような大きさじゃない気がして。二人が愛してるのは、私じゃなくて、皇帝の娘、なんだろうなって。……それに、今まで一回も、愛してるなんて、言われたことないし」


 二人は顔を見合わせ、そろって苦笑する。


 ――そして、両側から、私の頬にキスをして、ぎゅっと抱きしめた。


 その慣れないくすぐったさと、ずっと感じていたいような熱に、私は思わず肩をすくめ、目をつむる。


「世界一、愛してるよ。僕もステアも、アイネを、愛してる。……ただ、い目を感じてもいるんだ」

「こうしている間、私たちが、あなたとマナ様の大切な時間を、奪ってしまっている。あのとき何もできなかったことを、ずっと後悔しているの」

「そんなの、二人のせいじゃないよ。――私だって、止められなかったんだから」


 ママは、敵地に一人で向かい、消息しょうそく不明ふめいとなった。あの日のことを悔いなかった日は、これまで一日たりともない。


 戻ってくると、約束したのだ。ママは、絶対に、戻ってくる。私がいい子になりさえすれば。


 ――だが、大好きなママのことなのに、八年間、ただ、変わらず、真っ直ぐ信じ続けるだけが、すごく、苦しかった。


 いつしか、一番大切なその約束も、周りの人たちも、何もかも信じられなくなっていた。信じるだけが、つらかった。


「それに、愛している、なんて、面と向かって言うのは恥ずかしいだろう?」


 それは、よくわかる。言われるだけでもずかしいのだから、私を後ろから抱きしめているギルデは、きっと、顔を真っ赤にしていることだろう。


「……でも、私と話してるときより、さっきとかみたいに、ママの話してるときのほうが、二人とも、楽しそうだし」


 意図せず、すねた口調で言うと――二人はそろって、吹き出した。


「それはね。マナ様の話をすると、アイネさんが、目を輝かせて、すごく嬉しそうな顔をするからよ」


 ――少女のキラキラとした瞳を思い出す。


 あんな顔をされたら、こっちまで楽しくなる。そうに決まってる。


「でも、私が頑張らなかったら、二人とも、私のことなんて、嫌いに」

「なるわけないでしょ」

「まあ、僕の父親も、剣神、なんて呼ばれる勇者で、それなりにすごい人だったから、アイネが頑張りすぎる気持ちはよく分かるよ。――でも、僕はアイネほど、頑張れなかったから。アイネのことは、本当に、すごいと思っている。……だけど、無理はしないでほしい。すごく、心配だから」


 ――なんだか、分かりきったことを聞いてしまったような気がして、顔の熱とともに、涙がこみ上げてきた。


「おっ、泣くのかい? 泣き虫アイネちゃん?」

「泣かないもん……っ!」

「ギルデ、そういういじりかたはよくないわよ。アイネさんは昔から泣き虫だけど、マナ様に似て、泣くのを人に見られるのがものすごく苦手な強がりさんだから。泣きたいときは泣かせてあげないと」

「ああ、そうだったね。失念しつねんしていたよ。すまないすまない」

「うっさいわ!」


 いつの間にか晴れた空には、大きな虹がかかっていた。


「……私も、二人のこと、本当のママとパパと同じくらい、愛してるから」


 今しか言えないと分かっていたからか、ものすごく、大きな勇気が出せた。それでも、耳まで赤くなっているのを感じる。そんな羞恥と、再びやってくる静寂とに挟まれて、不安を覚えて。


「――ステア、今日は、アイネがかわいいね」

「あなた、今日も、って言わないと、アイネさんがすねるわよ」

「おっと、そうだったね。アイネちゃんはいつもかわいいよ!」

「……二人とも嫌い! もう知らない!」

「待ってくれ! ――本当のパパよりは、僕の方がいいよね?」

「ギルデ一番嫌い!」

「私は、ママとママ、どっちが好きかなんて、野暮やぼなことは聞かないわ」

「しれっと、ママ呼びさせようとするな!」


 ふんっ、と、いつもの調子で怒っていると、ステアとギルデが、気遣きづかわしげな瞳で私を見つめてくる。その視線も沈黙もすごく嫌で、逃げ出したいくらいだった。


「もし、本当に嫌なら、やめるわよ。アイネさんにとって、親と呼べるのは二人だけだって言うなら」

「僕たちがアイネを引き取ったのは、八歳になる直前だったから、親として見るのに抵抗があるのかもしれない。それは、僕たちには分からないことだから、今だけは、正直に言ってほしい」


 ――そんなことを心配していたのかと、拍子ひょうし抜けしてしまった。


 確かに、気にする子もいるだろう。その気持ちは分かるが、


「……別に、そんなの、気にしたこともなかったけど。本当に」


 その二つを比べるなんて発想がなかった。違うのなんて、血の繋がりくらいだと思っていたから。


 ちらと、横目でうかがうと、二人は目をキラキラ――いや、ギラッギラさせていた。笑顔のはずなのに、おぞましい。


「それなら早速、パパと呼んでくれ!」

「いいえ。ママって呼ぶのが先よ!」

「いいけど、マジでうざい!」

「うざいなんて言葉、どこで覚えたのかしら。これは、お仕置しおきが必要ね」

「外でも同じような言葉遣いをしているわけじゃないだろうね? 宿題を増やした方がいいかな?」

「ほんっとーに、もう――めちゃくちゃめんどくさいんだけど! クレイアさん、助けて!」


 再び、ブランコが揺れ始め、私たち三人は、皮肉りながらも笑いあった。

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