第8話 信じないワケ
何も言わず、ずっとそこにいてくれるクレイアに、私はしばしの
「さっきの人、ステアさんって言うんだけど、七歳のときから、私を育ててくれた人なの」
「アイネのこと、すごく、心配してたわね」
「……分かってる。心配させちゃいけないって」
昔から、私は悪い子だった。勉強が嫌いで逃げ出したり、お城で走り回ったり、つまみ食いをしたり。いつも、人に迷惑ばかりかけていた。
「たいして悪いことしてないじゃない」
「そんなことない。私のせいで、ママは、いなくなっちゃったんだから」
「どういうこと?」
「――私のママ、八年前にいなくなっちゃったの。ギルデは、ママは死んでないって、絶対にどこかで生きてるって、そう言うけど。じゃあ、どこに行ったのかって聞いても、答えてくれなくて」
「そう――」
少しだけはぐらかすようにして、そう答えた。なんとなく、話しづらくて。
クレイアの短い相づちには、予想していたような、私に対する同情が、ほとんど含まれていなかった。それよりも、何か、私の考えの
「はっきり聞くけど。クレイアさんって、私のママとパパのこと、知ってるよね」
「どうしてそう思ったの?」
見た目に動揺はほとんど見えないが、かすかな呼吸や鼓動の音の変化から、私は
「私の名前、最初から知ってたでしょ」
「上手く誤魔化したつもりだったんだけど、気づいてたのね」
ネットカフェで出会ったとき、彼女は私の名前を呼びそうになった。私は有名人だが、一般には顔が知られていない。情報を規制しているから。髪色と瞳の色が同じなだけで、名前を呼びかけたりはしない。
もちろん、有名人のママと顔立ちが似ているとはよく言われるが、それにしたって、よほどママに近しくない限り、確信にまでは至らないはずだ。
「それに、私がお城で暮らしてることも知ってた。何も言ってないのに」
「口が
テントに入るとき、
「でも、一番、分かりやすかったのは、私に対する態度。初対面とは思えないくらい、距離感が近かったから。だから、多分だけど、私のこと、知ってるんでしょ?」
「そうやって、人の顔色ばっかり気にしてる自分が、嫌いなのね」
――質問に対する返答の代わりに、構えていないところを言い当てられて、私は思わず、クレイアの顔を見る。
「大丈夫よ。あたしがそうだったもの。安心しなさい。社会に出てから、
「黒い……って、誤魔化されませんよ!」
「あ、敬語に戻った」
指摘されて、自分の話し方がブレブレなことに気がつく。だが、
「教えてください、ママとパパのこと、知ってるなら。さっき、ママのこと、知らないフリしてたけど。本当は何か、知ってるんですよね?」
クレイアは
「確かにあたしは、あんたの両親のことはそれなりに知ってるつもりよ。それに、ステアさんはともかく、ギルデのことも、少しは知ってるわ」
「じゃあ……!」
「でも。だからこそ、なんでギルデがあんたに話さないのかも、分かるのよ。だから、すっごく、悩んでる」
一瞬、抱いた期待は、すぐに薄れた。けれど、悩んでくれている、と知れただけでも、少し嬉しい。何か事情があることくらいは、私だって知っているから。
だから、ステアやギルデには、聞けないのだ。
「お母さんとお父さんのこと、二人からなんて聞いてる?」
「ママは、すごい人だったって。
「お父さんは?」
「ギルデが、私のパパは嫌なやつだった、ってよく言ってる。家事は完璧だし、優しくて気も利くし、悪口も
「あははっ。ギルデがそんなこと言うなんて意外だと思ったら、そういうことね」
クレイアの楽しそうな笑顔に、胸が
「クレイアさんって、ママたちの、何だったの? 免許証、ママと同じ生年月日だったし、名前も一緒だし。双子、とか?」
「マナと――あんたのお母さんとあたしが、似てるように見える?」
「全然」
「でしょ? 偶然よ偶然。たまたま、生年月日と名前が同じだったの。それだけよ」
はぐらかされた。
「……もうっ! なんで教えてくれないのっ」
頬をぷくーっと膨らませると、
「十五歳にもなって人前でその顔をするのはやめた方がいいわよ」
アイネショーック……!!
「かわいいけど。お母さんに似て」
――ああ、そうだよね。私のママ
「チョロいわね」
「チョロくない!」
クレイアはまた、あははと笑う。だが、教えたくなさそうなので、無理に聞くことはできない。みんな、私に意地悪しているわけではないのだろうから。
「それよりも。行ってこなくて、いいの?」
クレイアの指差す先には、ステアがいた。私のことを
「うげっ……」
「安心しなさい。見てるから」
「逆に安心できない!」
声で居場所がバレそうになり、私は今さら、口を手で
「……私ね、ステアさんやギルデに、愛されてないんじゃないかって、すごく、不安なんだ」
「そうなの?」
そんなふうには見えないのだと思う。私が二人に対して素直になれないのが、この子どもっぽい不安のせいだなんて。
「二人が愛してるのは、私のママで、私じゃないんだよ。私がママの娘だから、愛してるフリをしてるだけに決まってる」
別に、ギルデとステアが、私の本当の両親でないことを気にしたことは、一度もない。昔も今も。二人が気にしているから、変に意識してしまうだけで。
「じゃあ、どうしてそう思うの?」
「……だって、私が誰かに愛されるわけがないもん」
泣きそうで、震えそうな声を抑えながら、私は続ける。
「約束、したの。ママと。絶対に帰ってくるって。ずっと、一緒にいるって。――でも、私が、悪い子だから、いつまでも、ママは帰ってこない。だから、もっと、もっともっともっと、頑張らないと。ママが帰ってきてくれるくらいに頑張らないと、ママにも、ギルデにもステアさんにも、誰からも、愛されるわけがない」
「本当に、馬鹿ね――」
クレイアは、ため息混じりにそう告げる。その一言に含まれる感情は、すごく優しくて、温かい音だった。
「それに、二人とも、私と話してるときより、ママの話をしてるときの方が、楽しそうだし」
「それは、きっとあんたが――まあ、それはいいわ。じゃあ聞くけど。あんたは、どうしたら、自分が愛されてるって思えるの? 帰ってこないまあまはともかく、あんなに心配してくれてるギルデやステアさんに、これ以上、どうしてほしいのよ」
「……分かんない」
考えたこともなかった。愛されている基準なんて。ステアもギルデも、他の親と同じように私に接しようとしてくれていた。私が小さい頃は特に。――ママパパって呼べとか言われるのは、普通に
「ステアさんとギルデのことは、好き?」
「……分かんない。つっけんどんな態度取っちゃうし」
「つっけんどんね――。まあ、思ったより、大丈夫そうね。えいっ」
と、クレイアは急に、私を押して、遊具の
「あ、アイネ、こんなところにいたの!?」
さらに、自分から追い出しておきながら、わざと居場所を知らせるようにして、大声を出した。
「ちょっ……クレイアさんの、馬鹿!!」
しかし、後に続く自分の声の方が、よっぽど大きかった。
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