第40話 ユウジロウ・ササキ


ちょうどその頃、『狗神』の隊員たちは危機に瀕していた。


「はぁはぁはぁ」


かろうじて立っているのは席次を持った数人だけ。今回彼らがこんな無謀な行動に出たのに明確な理由はなかった。とにかく訳が分からなかったのだ。


尊敬していた隊長が仲間たちを殺し、イチジョウ家を皆殺しにした。この時点ですでに訳が分からない。そこにササキ家の人間が新しい隊長としてやってくる。しかもその男はいままで十三槍に所属すらしていなかったという。こんなに訳の分からないことがあるだろうか。だから無理やり反抗した。それがどれだけ愚かなことかわかっていても、もうそういう話ではなくなってしまっていたのだ。


確かに『狗神』は戦闘においてはトップレベルの隊である。しかし今の副隊長は元八席。『狗神』の主力はもう存在していないのだ。


「ここは私が時間を稼ぎます!みんなは逃げてください!この失態は私のせいです!」


副隊長であるケイコ・イチノセはかろうじて立っている他の隊員に指示を出す。彼女もまたどうしていいのかわからなかったのだ。


無数の糸に絡めとられて身動きが出来なくなったような感覚。一本ずつほどいて行けば抜け出せたかもしれないが。彼女は、いや誰もがそんな時間は耐えられなかった。だからほどくのではなく無理やり引きちぎろうとした。その結果がこれだ。


上人であるコウイチロウはそれをわかった上でケイコたちの直談判を受けて明かに無理な任務を言い渡した。


「ここが正念場だぞ、ユウジロウ」


コウイチロウはユウジロウが『狗神』に歓迎されるとはもちろん思っていなかった。完全なよそ者が頭になるのだ。反発が起きるに決まっている。だから敢えてユウジロウの実力を『狗神』の隊員たちにわからせる場を用意したのだ。


ユウジロウはコウイチロウの弟である。つまりササキ家本家の次男坊として生まれたのだ。だが30年前にササキ家の本家と分家筋が揉めたことがあった。本家の家系図に偽りがあると分家筋が言い出し、自分たちこそ本家であると言い張ったのだ。


その時たった8歳だったユウジロウは養子として分家に入る。だがこれは養子というより人質と言ったほうが正しい。


コウイチロウは自分の弟が養子に行くことに酷く反対したが、彼もまたその時は15歳の少年。彼に発言権などなかった。だがコウイチロウは今でも覚えている。去り際に7つ下の弟が笑顔で言った言葉を。


「兄様、ご安心ください。来年にはこのくだらない争いは終わります」


そして一年半後、このお家騒動は本当に終わった。理由は簡単だ。ユウジロウが僅か9歳にして分家の当主となったからだ。


どうやったのかはわからない。だが自分たちが本家だと言い張っていた連中は意見を180度変え、むしろ本家を崇拝するようになり、終いには人質であったはずのユウジロウを当主に据えたのだ。


コウイチロウが分家の当主となったユウジロウに再び再開した時、ユウジロウは申し訳なさそうにこう言った。


「申し訳ありません。思ったより時間がかかってしまいました」


コウイチロウは思った。弟は途轍もない天才であると。ユウジロウこそ『暴牛』の

次の隊長に相応しいとも。


だがユウジロウは十三槍に入隊することはなかった。


「ユウジロウ!なぜ十三槍に入らなかった!」


納得がいかなかったコウイチロウはユウジロウを呼び出して問い詰めた。だがユウジロウの返答はあっけらかんとしたものだった。


「そういうのは兄さん、、、いや次期本家当主様に任せますよ。僕は適当にのらりくらり好きなことをやらせてもらいますよ。それにまた分家が力を持ったらややこしいでしょ」


「本家に戻ってこないか?俺が父上に口を聞いてやる」


「それはそれでややこしい」


「じゃあお前はそれだけの才能がありながらササキ家のために日陰者になるというのか!」


「ふふ、今のは建前ですよ。確かに僕が表に出ない方が上手く事が運ぶとは思ってますけど、僕は戦ったり壊したりするより何かを調べたりしている方が好きなんですよ。これは本当に。だから望んでなったわけじゃないけど今の地位が気に入ってるんですよ」


「本当にそうなのか?」


「当主様に嘘なんかつきませんよ。それに兄さんなら僕が嘘を言ってないことぐらいわかるでしょう?」


ユウジロウは子供の頃のように悪戯っぽく笑った。


「、、、じゃあもう俺たちが交わることはないのか?」


「そうですね。もし兄さんが困った時は僕を呼んでください。その時は助けに駆けつけますよ」


ユウジロウはこの時の言葉を心の底から後悔していた、




話は戻って、大量の天使とその前でかろうじて立っている『狗神』の面々。


「ここまでか」


力が残っていない自分に数十匹の天使が突っ込んでくる。もう死は目の前だった。ケイコはその死を見たくなくて目を閉じる。


・・・



目の前まで迫っていたはずの死がいつまで経っても訪れないことを疑問に思いケイコが目を開けると空から数十の天使の死体が降っていて、目の前にはユウジロウが立っていた。


「今回みたいなのはこれっきりにしてね。副隊長」


「た、隊長?」


ケイコは信じられないと言った顔でユウジロウを見ていた。でもその目からは本人でも気づかないうちに涙がこぼれていた。


「頼むよ、ファウスト」


「了解しました」


ファウストがそう言った瞬間、死にかけだった『狗神』の隊員たちの傷がある程度回復する。


「残りの天使の数は?」


「49体ですね」


「じゃあさっさと終わらそう。隊員たちも一命はとりとめたけど、早く専門家に見せた方がいい」


「では急ぎましょう。私もこんな面倒ごとは早く終えて研究に戻りたいので」


―見せてくれ、ファウスト―


ユウジロウはファウストと同化する。そしてショートワープを使って天使たちの周りを飛び回り、斬殺、爆殺、圧殺、撲殺、エトセトラ。様々な殺し方で天使たちを屠って行った。


ファウストの能力は『万能貧乏』。あらゆる能力を使えるが、その力は最低レベルだ。だからユウジロウは能力を組み合わせて戦う。


ユウジロウは自分とファウストの能力はとても相性がいいと思っている。少しだけ使える様々な能力を駆使して目的を達成するのはゲームの様でやりがいがあるし、十徳ナイフみたいなこの能力は研究にもよく役立つ。


天使たちを全滅させたころには、『狗神』の隊員たちは尊敬のまなざしでユウジロウを見ていた。それはそうであろう。仮にどころではない、完全な命の恩人。その相手に憎まれ口を言えるような勇者は中々いない。


「隊長、申し訳ありませんでした!全て私の独断です!他の隊員に責任はありません!どうか処罰は私に!」


ケイコがユウジロウの前に跪く。


「ちょっと待ってくれ!これはみんなで決めたことだ!」

「ケイコさん!一人で罪を被るなんてないっすよ!」

「隊長!俺たちみんなで隊長を出し抜こうとしたんです!」

「副隊長を処罰するなら私達も全員罰を受けるべきです」


ケイコを庇うためにすぐに動き出した隊員たちを見て、ユウジロウは「いい隊じゃないか」みたいな暢気なことを思っていた。


「ユウジロウ。この茶番はもうくだらないのでさっさとしめてください」


不機嫌そうにファウストがユウジロウを急かす。


「処罰はないよ。『狗神』は受けた任務を達成した。ただそれだけのことだ。いつものことだよ。今日はこれで上がっていいけど、身体に違和感がある者は神殺しの槍ロンギヌスの医療班のところに行くこと。僕の治癒じゃ気休めにしかなってないからね。これは命令だよ」


「「「「「はっ!!!」」」」


『狗神』の面々は隊長の命令に敬礼をして従う。彼らの目にはもう家の違いなどは映っていなかった。


イチジョウ家は七家の中で最も戦闘能力を重んじる家として有名だ。前隊長のシンイチ・イチジョウもよく言っていた。


『一番強い奴の言葉がこの隊では正義だ。不満があるなら俺より強くなれ』


イチジョウ家に連なるものとしては強いものに従うのが何よりもの正解なのだ。


「ふぅ、疲れた」


「ユウジロウ、早くラボに帰りますよ」


ファウストにとっては探求こそが正義。つまり今のこの時間はロスでしかない。


「わかったよ。早く戻ろうか」


「お待ちください!」


ラボに戻ろうとしていたユウジロウ達は呼び止められる。


『狗神』副隊長ケイコ・イチノセである。


「え、なにかあった?」


「お供します」


「え、でも研究所に来ても何もやることはないよ?」


「関係ありません!副隊長とは常に隊長の傍にいる者です!」


「そうなの?」


ケイコが頬を盛大に赤らめながら言っていることにユウジロウは気付いていない。ファウストは気付いていたが別に大した事柄ではないのでユウジロウに報告することはなかった。


このあとユウジロウに付くことになった祓魔師とケイコの間で一悶着あるのだが、これはまた今度でいいだろう。戌の話ばかりしていても飽きるから。

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