第102話

「そう言えば、エクトル様はいらっしゃらないのね……」


試合が次々に執り行われる中、不意にシルヴィが呟いた。その顔は憂いを帯びて見える。


「例年ならエクトル兄さんが審判を務める筈なんですが……今年は大切な用があるそうで……」


エクトルの代わりに審判を務めているのは、黒騎士団副団長であるジークフリートと言う中年の男らしい。


「最近、エクトル様と全然会えないから……今日なら会えると思ったのに」


項垂れるシルヴィにフレッドが懸命に慰めていた。

フレッドが言うには、最近ではエクトルは暫く白騎士団の稽古にも姿を見せていないそうだ。なんでも何かを調べ回っているらしいが、中身までは知らないと言う。


あの真面目なエクトルが稽古を休んでまで、尚且つ大会にすら姿を見せていないと言う事は相当な理由があると思われる。


リディアは黙って二人の会話を聞いていた。その後大会は滞りなく進み、途中昼休憩を挟み時刻は夕方になる。広い会場は一面緋色に染まっていた。そんな中また令嬢等の歓声が一際響いた。


決勝戦。例年通りらしく、ディオン対リュシアン。毎回、必ずこの二人が残るとフレッドが話していた。まあ、騎士団の長の二人故、当然と言えば当然なのだろう。






「始め‼︎」


試合開始の合図と共に先に動いたのはリュシアンだった。ディオンへと正面から斬り掛かる。ディオンは躱す事なくその剣を自身の剣で受けた。


キーンッ‼︎


少し耳に付く音が辺りに響き、剣と剣が打つかり擦れる音が聞こえてくる。


今日見たどの試合とも比べ物にならないくらいに、迫力も技量も違う。リディアは固唾を飲む。


強い。


リュシアンがディオンを押している……。ディオンはリュシアンの剣を受けながら、避けるので必死に見えた。だが、まだ試合は始まったばかり。どうなるかはこれからだ。


長い……体感ではなく事実かなりの時間二人は斬り合っている。


「兄さん、凄いわ」


シルヴィが感嘆の声を上げた。


「リュシアン団長、今年は何時もにも増して気合が入ってますね。気迫が違います。なんと言うか、鬼気迫るものを感じますね。万年二位ですけど、今年はもしかすると、もしかするかも」


リディアは、シルヴィ達の会話に少しムッとした表情になった。両手を祈る様に握り締める。


「ディオンが負ける筈ないもの」


二人に聞こえないくらいか細い声で囁く。

そうだ。あの兄が負ける筈がない。強くて格好良くて、意地悪だけど、何時も自分を守ってくれる……。


リディアは、ディオンだけを目で追った。


「⁉︎」


リュシアンから距離を取り剣を右から左へと持ち替えた瞬間、ディオンの動きが変わる。これまで必死に見えたのが嘘の様に、リュシアンの剣を軽々と流れる様に横に流していく。もう随分と長い時間闘っているにも関わらず疲れた様子が見えない。


リュシアンに視線を移すと、彼の動きにも変化が見られた。遠目でも焦りを感じているのが分かる。動きも大分鈍くなり、疲労が見えた。攻め込んでいるのはリュシアンの筈だが、勢いなどはもはや無い。


完全に、形勢が逆転した。


リディアは心臓が高鳴り、身体が熱くなるのを感じる。令嬢等の声も一層大きくなり……悲鳴が。


「きゃー‼︎」


会場は一瞬にして騒然とした。令嬢等の歓声ではなく、本物の悲鳴が響き渡ったからだ。


「な、何⁉︎」


シルヴィは驚いた声を上げた。リディアは遠くの令嬢等へと目を向けた。すると黒い外套を纏った集団が剣を抜き、会場の中へと入って来ていた。


執拗に女性達を追いかけ、捕まえては地面へ放った。側には観戦していた男等もいるにも関わらず目もくれない様子だ。まるで探している様に見えた。





「お二人共、僕から離れないで下さいっ」


フレッドが緊張した面持ちでそう言うと、剣を抜いた。悲鳴と怒号が会場内にこだまする。まるで夢を見ているかの様で現実味を感じられない。ただ呆然と立ち尽くした。


シルヴィを横目で見遣ると青ざめ微かに震えていた。怯えているのが見て取れる。リディアはそっと、シルヴィの手を握る。


「シルヴィちゃん、大丈夫」


「だ、大丈夫……怖くなんて」


その時だった。キーンッ‼︎と剣の打つかる音が間近で響いた。思わず身を窄める。フレッドを見ると黒い外套の男と斬り合っていた。


「フ、フレッドっ⁉︎」


勢いよく弾き飛ばされ壁にフレッドは叩きつけられた。呻き声を上げ、意識が朦朧としている様に見える。


シルヴィはリディアから離れ駆け寄ろうとしたが、男に行手を阻まれた。


「早くっ‼︎逃げてっ」


男の足にしがみ付くフレッドに、シルヴィは錯乱した様子でリディアの方ではなく別の方向へ駆け出す。するとフレッドを足蹴りした男は、その後を追う。必死に逃げるシルヴィを執拗に追う様子に、まるで彼女を狙っている様に見えた。


シルヴィを助けなくては、そう思うが身体が動かない。情けなく呆然と立ち尽くすしか出来ない。そんな中、リュシアンの声が遠くに聞こえてきた。


シルヴィの名を必死に呼んでいた。


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