第62話

黒騎士団の稽古場は荒れに荒れていた。平団員等の半数が地面にのびている。何事かと思うが、なんて事無い只の稽古だ。ただ普段と違う所を上げるとするなら、団長であるディオン自ら団員等に稽古をつけているという所だけだ。


「ディオン、荒れてるねー」


「半分位は、お前の所為だがな……」


まるで他人事の様に話すレフに、ルベルトは呆れた。


二人は離れた安全な場所から眺めている。ディオンの放つ不穏な空気をいち早く察知して早々に離れた場所に避難した。


エルヴィー家主催の夜会から数日が経つ。ディオンはあれからというもの、鬱憤でも晴らすかの様に団員等に稽古を毎日つけている。悲しいかな団員等に拒否権はない。これまで直接稽古をつける事などほぼほぼなかったというのに……明らかに原因はあの夜会にある。


リディアが立ち去ったあの後、それは大変だった。


『ディオン様?』


甘ったるい声を上げ、上目遣いで見上げる女は、ディオンにしなだれ掛かっていた。ルベルトの勘違いで無ければ豊満な胸をワザとディオンの腕にこれでもかと言う程押し当てていた。


男なら誰もが喜び鼻の下を伸ばすだろう。だが、彼は違った……。


リディアの姿が完全に見えなくなった瞬間、ディオンは女をいきなり突き飛ばした。女は予想していなかったのだろう、突然の事態に踏ん張る事が出来ずそのまま地面に尻餅をつく。


「気持ち悪いな」


悪態を吐きながらディオンは、女が触れていた場所を埃でも落とすかの様に叩いてた。

……まあ、これは予想通りだった。


あのディオンが、妹以外の女を受け入れるなど想像がつかない……。実際は知らないが、ルベルトが思うに彼はまだ女と床を共にした事はないだろうと思っている。


ディオンは、容姿や家柄などから普段かなり異性にモテる。だがディオンは全くと言って良いほど興味を示さなかった。何も知らない頃は、もしかして女嫌いで男に興味があるのでは……と疑った事もあった。まあ、本人には口が裂けても言えないが。言った瞬間に、首は既に繋がっていないかも知れない……。


話は戻るが、ディオンは夜会などには必要最低限しか出ない。その理由は明白で、女達の相手をしたくないからだ。先ほどもそうだが「気持ち悪い」と言っているのを幾度も聞いた。


侯爵なのにそれでまかり通るかと聞かれたら、彼は鼻を鳴らすだろう。ディオンは黒騎士団長という立場を利用して、任務に託け事あるごとに欠席していた。やむを得ない場合は、自ら警護を申し出て、顔を出す程度で、後は外で警護と称し待機している。故にディオンが社交の場に姿を現すのはかなり稀だ。裏では危なそうな人間等とは交流している様だが……余り詮索はしない。まだ死にたくないので。






『あのさ、調子に乗らないでくれるかな。そもそもあんたみたいな見た目も中見もブスな女、誰が相手にするかよ。それに気安く名前呼ばないでくれる?吐き気がする。気色悪いんだよ……失せろ』


まるで汚いモノでも見るように見下ろす。凄みを効かせた声と鋭い視線を向けるディオンに、女は言葉にならない声を上げると、泣き喚きながら走り去って行った。これは相当機嫌が悪い。


『それよりさ、レフ、ルベルト。お前達リディアを何処に連れて行くつもりだったの』


お前達……予想通り完全に巻き込まれている。



『何処って、勿論屋敷まで送って、あげようと……ね、ルベルト』


何故かこちらに話を振るレフにルベルトは目を分かり易く逸らした。


ルベルトがどうしたものかと考えた瞬間、レフの肩にディオンの剣先が乗せられた。


『次はないって、言ったの忘れてないよね』


これは相当まずい……目が本気だ。ルベルトは焦ってディオンを取りなすが、凄い形相で睨まれた。


目が語っていた……次はお前だ、と……。嫌な汗が背を伝う……。


『でもさっきは、興味ないって……言ってたもん』


『そんな昔の事は忘れたよ』


『え~今さっきだけど。ディオンって結構忘れっぽいんだね~。あ、それでさ、僕ね。妹ちゃんと話してみて思ったんだけど……思ってたよりも可愛らしいよね。僕、本気になっちゃいそうだよ』



こいう時、ある意味レフを尊敬する。こんな状態でよく軽口が叩けるものだと……。自分なら情けないが、ひたすら謝るか、黙るしか出来ない。


『まあいいよ、レフ』


意外と冷静なディオンの声にルベルトは眉を上げる。


『でも、一つだけ教えてあげるよ…………。リディアあれにっ、触れて良いのは俺だけだ‼︎』


次の瞬間、剣がレフへ振り下ろされた。






「あーあ。僕、髪伸ばしてたのに……」


あの時流石にレフも、驚き身動いだ。そして長かったレフの髪は地面に落とされたのだった。


「……髪だけで済んで寧ろ幸いだったと思え」



本気でレフを斬ろうとは思っていなかった。ディオンの事だ、始めからレフが動く事を予想して髪を落とすつもりだったのだろう……と思いたい。


ルベルトは、未だ部下を扱いているもとい鬱憤を晴らしているディオンを見遣る。前から思ってはいたが、理不尽で自分本位で、不器用過ぎる。そして何処まで行っても妹至上主義なんだと思い知らされた。


「ディオンって、ちょっとやばいよね~。いくら妹ちゃん大好きでもさ、執着し過ぎだよ」


「俺から言わせたら、お前も同じくらいヤバいぞ」


「えー?何処が?僕何処からどう見ても普通だよ」


「……」


自覚症状がない事程、怖いものは無い。ある意味無敵だ。


「でも、ディオンの気持ちは分かるな。だって妹ちゃん可愛いもん。美味しそうだったなぁ……あー、遊びたかったのになぁ」


思い出しながら身悶えるレフに、ルベルトは盛大にため息を吐いた。本当懲りない奴だ、と。

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