第61話



「お愉しみ中みたいだね」


レフの強引さに押しに負け、諦めたリディアは致し方なしに、レフとルベルトと共に帰る事にした。


項垂れながらリディアは、とぼとぼと二人の前を離れて歩く。幸いにも、レフに引っ付かれていたのをルベルトが引き剥がしてくれた。その事には安堵したものの、気は重い。早くこの状況から解放されたい。さっさと自邸に帰りたい……。


そんな中、三人が門へと向かう途中だった。中庭に差し掛かると佇む人影が二つ見えた。


薄暗いが、男女だという事は分かる。女は男に抱き付き、それを男は受け止めていた。普段鈍感で、その方面に知識が薄いリディアでも流石に分かる。レフの言った「お愉しみ中」の意味。それは男女のまぐあいと言う事だろう。だが、まさかこんな場所で……と関係ないのにリディアは恥ずかしくなってしまう。


余りジロジロ見てはいけない、不謹慎だと思いつつ興味本位で目は勝手に男女に向いてしまう。


「……」


男女に気を取れて歩みが遅くなっていたリディアの足は、中庭の前で完全に止まってしまった。


「妹ちゃん?」


不審そうにレフとルベルトも立ち止まった。


雲間から月が見えると、辺りは徐々に明るく照らされていった。男はこちらに背を向けていて、顔は見えない。だが、あの後ろ姿は良く知っている。見間違う筈はない。だって……。



「あれって、ディオンじゃない?」


レフの良く通る声が回廊に響き中庭にも反響した。同じ事を思ったリディアは瞬間心臓が跳ねる。


中庭の二人はリディア達の存在に気が付き、共にこちらを振り返った。


「あー、やっぱりそうだ!」


指摘された男もといディオンは、リディア達の元へと歩いてくる。その間大した時間ではない筈なのに、酷く長く感じた。


「何、してるの」


感情のないディオンの声色がやけに耳に付いた。同じ台詞をリディアも兄に言いたい。


少し遅れてディオンの背後から女が纏わり付くように付いて来た。立ち止まったディオンの腕を取り自らのそれを絡ませると、妖艶に笑みを浮かべる。


まるで見せつけられている様で、気分が悪い。それを見て、どうしてではなく、やはりと思った。

ディオンの部下二人は騎士団の正装をしていたので、私用ではなく仕事だと直ぐに分かった。だが何故かディオンの姿はない。不審には感じたが、余り深く考えなかった……だが、そう言う事かと漠然と思った。



「えっとね、妹ちゃんが一人だったから、送ってあげようとしたんだ」


「言っておくが、俺は止めたからな!レフが勝手に」


胸を張って言うレフに対してルベルトは焦りながら懇願する様な眼差しをディオンに向けた。


「やましい事なんて全然考えてないから、心配しなくて大丈夫だよー」


「だから、どうしてお前はそう余計な事を付け加えるんだ」


頭を抱えるルベルトを尻目にレフは、へらっと笑って見せた。


「ふ~ん……あぁそう。まあ、別に興味ないから」


ディオンは二人を一瞥すると鼻を鳴らし、冷たく言い放つ。


興味ない、か……そうだよね……妹が何処の誰と一緒だろうが、興味なんてある筈はない。しかもその妹とは大して仲が良い訳でもないなら尚更だろう。


少しだけディオンとの距離が近くなったと思っていたのは、どうやら自分だけだった様だ。

ふと思った。先日喧嘩してしまった……だがディオンは気にする素振りはまるで無かった。その理由が今更ながらに分かった気がする。


リディアに関心がないから、気にも留めなかっただけだ。ディオンにとってリディアとの諍いなど取るに足らない事柄に過ぎないというだろう。


じゃあ、あれ等は何だったのか……。


優しくしたり、抱き締めて頭を撫でてくれたり、口付けをしたり……。

もしかしたら、理不尽で自分本位な兄の気紛れだったのだろうか……。兄の些末な言葉一つに歓喜したり胸をときめかせたり悩んだりとしていた自分が莫迦で情けなく思えた。



リディアは、立ち尽くし言葉が出ない。ただぼんやりとディオンと女を眺めていた。


あぁ、この女性ひとが、兄の恋人か……。想像していた女性とは違うな……。こう言う人が兄は、好みなんだ……。


冷静にそんな事を考える一方で、心臓が煩いくらいに脈打ち、苦しさを感じていた。余計な事を考えれば考える程に、頭も真っ白になっていく。


分かってる。ディオンだって年頃の男だ。逢瀬も、きっとそれ以上の事だって……している筈だ。


「ディオン様ぁ、早く続きしましょう~?」


甘ったるい猫撫で声で女は、ディオンに更に身を寄せる。そんな彼女と目が合った。瞬間、女はリディアを見て嘲笑した。それが妙に癇に障った。


リディアは唇をキツく結び、真っ直ぐディオンを見遣り笑みを作る。だが目は笑っていない。


「お兄様にこ~んな素敵な女性ひとがいたなんて私、知りませんでした。今度改めて紹介して下さいね!お邪魔してしまい本当に、申し訳ありませんでした。どうぞごゆっくりと、お愉しみになって下さいね!お兄様」


精一杯の虚勢を張る。本当に可愛くない言動だ。だが目の前にいる女の様に甘える事はリディアには出そうにない……。


リディアが言い終えた後、ディオンの瞳孔が開いている様に見えたが、相変わらず冷淡な表情だった。それ以上見ていられなくて視線を横にいる二人へと移す。


「レフ様、ルベルト様、やはり送って下さらなくて結構です。私は一人でも大丈夫ですから!お手間お掛け致しまして申し訳ございません。では、私はこれで失礼致します!」



八つ当たりの様にレフとルベルトの事も睨んでしまった。語尾も自然と強くなる。リディアの勢いに二人は目を丸くしていたが、最早どうでもいい……自棄だ。


これ以上この場に居たくなかった。女の人と一緒にいるディオンを見ていたくなかった……一刻も早く、立ち去りたかった……。


「あ、妹ちゃん‼︎あーあ、行っちゃった」


リディアは踵を返して、ドレスの裾を持ち上げると足早に立ち去った。行儀が悪い。きっとハンナがこの場にいたら怒られるだろう。だが今は仕方がない。


背中越しにレフとルベルトが呼び止める声が聞こえたが、ディオンの声が聞こえる事はなかった。

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