#50 ~ 憧れの向こうに

「よう」


 援軍を片付け、イリアたちの元に辿り着いて、ユキトは足を止めた。


「――ギレウス」


 彼の足元では、二人の男が倒れている。とはいえ死んでいるわけではなく、息はあるらしい。


「どうしてアンタがここに?」


「ああ、それは――」


 ギレウスが口を開こうとして。

 甲高い剣戟の音に、二人の会話は途切れた。


 土埃と霧を纏いながら、吹き飛ばされるように一人の少女が地面を滑る。しかし素早く体制を立て直し、騎士剣を構え直した。

 イリア・オーランド。

 彼女の姿に、ユキトは足を踏み出そうとして……そして止めた。


 横目だけで、ユキトを見た彼女の目が、言っていた。

 ――どうか、そこで見ていてと。


(イリアさん……)


 ユキトの肩を、ぽん、とギレウスの手が叩いた。

 状況は良く分からないが……何を語られなくとも、理解した。

 彼女が全身に纏う闘志と、その眼光の靭さに。


 確かにここで手を出せば、決着はすぐに着くだろう。

 だが、イリアはそれを望んではいないのだ。


 目を閉じて、そして構えを解いた。


(勝て、イリアさん)


 ◆ ◇ ◆


(先生……)


 自分の意思が伝わったのか、構えを解くユキトに、イリアは深く息を吐いた。


 愚かだと言われれば、まったくもってその通りだろう。

 ――これは闘争、殺し合いである。

 正々堂々などない。手出しをするな、などというのは茶番の類だ。


 だとしても、どうしても譲れなかった。


(先生は……私たちを置いて、一人で戦った)


 何故か? 決まっている。弱いからだ。

 足元どころか、その影でさえも踏めない私たちに、彼に着いていく権利など存在しない。

 理解している。そんなことは。

 だが理解できていても……納得は、到底できない。


(怖かった、私は)


 ユキトが遠く、手の届かないどこかに行ってしまうことが。

 彼の強さは、いつか、誰も到達できないどこかへとあの人を連れ去ってしまう。そんな気がして。


 ――嫌だ。


 ならば、どうすればいい?

 答えは決まっている。

 あの人の背に手が届くように、どこまでも、強くなるしかないのだと。


(ここを越えられないなら、きっと無理)


 いつしか、状況は一対一。

 ダニエル教官は、今も遠方からの狙撃を警戒している。そしてユキトとギレウスは、手出し無用と断った。


 睨み合いの中……だが。


「どうやら、もうこちらに勝機は無いようだ」


 相対する男が、まるで諦めたようにため息を吐いた。


「――取引をしないか?」


「取引?」


「どうやら、君は私との決着が望みのようだ。だが私が勝ったところで、奪える君の命一つだけ、何の意味もない。それでは真剣勝負にはなるまい。ただの茶番だ」


 だから、と男が言葉を紡ぐ前に。


「いいわ」


 イリアは告げた。自分を追い込む一言を。


「私に勝てば、ここから逃げられるようにする。あの二人を足止めするなり、人質になりなってあげるわ」


「ほう――」


 男は嘲笑うように口の端を上げた。

 瞬間。

 音もなく、影もなく、まるで瞬間移動したように人影がイリアの真横へと出現した。


 それは、純粋な速度ではない。

 ――幻術。魔術の中でも特に難しいとされる術式の一つだ。


 たとえば、他者の人体を癒す術式は未だ確立されていない。教会の秘匿する聖術にはそのようなものがあると言われるが、定かではない。

 これは、魔術は他者の人体に直接的な影響を及ぼすことが出来ないからだ。この現象は『断絶の壁』と呼ばれ、圧倒的な魔力差でもなければこの壁を突破するのは困難だ。


 幻術もまた、この『断絶の壁』によって阻まれる。

 しかし陽炎をはじめとして、人が自然現象の中で幻覚を見るように、光の屈折や熱、音を操り、幻像を生み出す術は存在する。


 男は、イリアと会話した時から、この幻像を生み出していた。

 これこそが彼の切り札。

 だが――。


「なにっ!?」


 イリアに届いたはずの凶刃は、騎士剣によって阻まれた。

 彼女の目は正面ではなく、確かに、凶刃を振るう男を捉えている。


 しかし、それは当然のことだった。

 イリアは誰よりも長く、誰よりも多く、ユキトと剣を交えてきた。

 彼の剣はまさに変幻自在。目を瞑ってでも気配を捉えられるほどにならなければ、稽古相手など到底務まるものではない。


「ぐっ……!」


 短剣をはじき返され、空中で姿勢を乱しながら、男は前方に魔術を発動する。

 空中に突如として出現したそれは、不可視の風の盾。でありながら、鋼鉄を越える強度を誇る軍用魔術だ。


 眼で見えずとも、魔術の発動を感覚で察知しながら、イリアは剣を上段に構えた。


(先生――)


 ずっと見てきた。

 彼の剣を。彼の在り方を。


 彼は言った。私の剣は、兄の剣であると。

 すなわち、民を守るために生まれた騎士の剣。

 ずっと憧れて、その正しさを証明したくて振ってきた、愚直の剣。


 だが同時に、今はもうひとつ、憧れができた。

 ……だから。


 力はいらない。

 水面に、葉が落ちるように。

 ただ……断ち切る。


「――――」


 振り下ろされた一閃は、音もなく、残像すらもなく。

 驚異的な強度を誇るはずの風の盾を、静かに両断した。


「あ…………?」


 袈裟に振り下ろされた一閃が、男の胸を切り裂いて、空中に血の雨を降らす。

 返り血に触れることすらなく、イリアは剣から血を払い、そして鞘に納めた。


(まだまだ、ね)


 彼女は小さく息を吐く。

 こんなの『もどき』がいいところだと。


 斬形、落葉。

 そう呼ぶには、確かにまだあまりに未熟だ。憧れははるか遠い。

 だが『もどき』であっても、それは彼女の憧れと努力が実った、確かな一歩に間違いなかった。

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