◆41 ~ 凶刃は踊り、

 衣擦れの音のひとつもなく、凶刃が躍る。

 正面から振り下ろされる鈍色の刃。それは奇妙なほど湾曲していた。いわゆるシャムシールに近いが、それよりもなお反りが深い。

 いわゆる、間合いを幻惑させるためのものなのだろう。


 その速度、練度、いずれも尋常なものではない。

 グラフィオスの言った「いずれもA級以上」という評価は、まったく妥当だとユキトが思うほどに。

 いずれも一騎当千の猛者が、徒党を組み、完璧な連携で仕掛けてくるのだ。生き残れる術など、まるでないと思えた――傍目には。


 だが。刃がユキトに振り下ろされる、その一刹那。

 ぞっと、一斉に、彼らは肌を粟立たせた。


 それに反応出来たのは、やはり彼らが紛れもない猛者――それも大陸でも有数の――であったからだろう。

 金属がぶつかりあう不協和音が幾重にも重なり、虚空で火花が躍る。

 それは、まるでサーカスのようだった。何人もの黒ずくめたちが、空中を踊るように駆け、前後左右から斬りかかる。

 だがそのいずれの凶刃も、ユキトに届くことはない。


(何、だ……?)


 チェン・ユーロンはその光景を、ただ呆然と見入った。

 彼にも武芸の心得はある。この裏社会で生きている以上、それは最低限必要なものだ。

 彼の知っている戦いとは、血で血を洗い、誰かが死に、誰かが生きる、ただそれだけのものだ。

 ――だが、目の前のこれはどうだ。


 それは、もはや芸術だった。


 絵画や歌劇と同じ、いっそ銀幕の向こうにあるような、現実離れした闘争。

 遊んでいるのか、とすら言いたくなるような。

 だから、危機感が湧かない。現実感がない。死線の只中にありながら、ただ呆然と、その光景に見入っていた。


 チェンの、まるで夢心地にあるような思考を裂いたのは――眼前のそれではなく、横から聞こえてきた轟音だった。


「ハッハァ!!!」


 それは、笑いながら叫んでいた。

 グラフィオス――暴獣ベヘモスと称される大男が、暴れに暴れていた。

 振り下ろされる刃を素手で掴んで放り投げ、巨大な機械式斧槍アーミーハルバードを叩きつける。なおこのアーミーというのは、そのまま軍式という意味だ。これはこの武器が、元は軍に開発されたものであることに由来する。

 大理石の床を粉砕する斧槍の一撃は、まさしく人外の膂力と言えたが、しかしそれは決着の一撃とはいかなかった。

 かろうじてその場から逃れた凶手の一人は――しかし無傷ではない。肩を裂かれたのか、ポタポタと赤い血が腕を伝って床に落ちる。

 しかし、グラフィオスはそれを追撃出来なかった。割り込むように次が躍り出て、グラフィオスと相対する。

 一対多。圧倒的不利な状況に関わらず、グラフィオスは嗤っていた。それはまるで、喧嘩を楽しむ無邪気な子供のように。


(そうか――)


 その戦いに視線を向けて、チェンはようやく理解した。


 目の前の男――ユキトの戦いに、なぜ現実感が持てないかを。


(血が、一滴も流れていない……)


 それは、殺し合いにはありえざる光景だ。

 あれほどの凄絶な技の応酬の中、血が一滴も流れないなどありえない。

 ありえるとすれば、二つ。一つは最初からそう示し合わせているか、あるいは――両者の力量が、あまりにもかけ離れている場合。


(手加減している……いや、あれは……)


 まるで子ども扱いだ、と。

 その理解に辿り着いた瞬間、チェンの背筋に冷たい震えが走った。


 黒楼竜が抱える凶手たちは、ハンターで言えばA級相当とは言うが、正確には、正面から戦えばA級下位だろう。

 暴獣ベヘモスと称されるグラフィオスはA級上位――ハンターにその階級は存在しないが、S級とすら呼ばれる怪物。

 同じA級であっても、この二つには極めて大きな差が存在する。正面から両者が戦えば、凶手たちに勝ち目はない。


 しかし、だ。それでもグラフィオスを殺すことは可能だとチェンは考える。

 彼らはいずれも、この鳳凰街で生まれ、育った。その忠誠心はもはや狂信的と言っても過言ではない。そしてそれゆえに、互いに命と信頼を預け合う仲間である。助け合うことも、見捨てることも、その命を賭すことも、彼らは躊躇わない。ゆえに、たとえS級でもと。


 では、だ。

 そんな彼らを、多対一で子ども扱いするこの男は、何だ?


 未知という恐怖がチェンの背中を這いあがったとき、ユキトはふっと、横に視線を向けた。笑いながら暴れるグラフィオスに。

 嵐のような刃鳴の最中――彼は呆れたように嘆息する。

 そして。


「……もうそろそろ、終わりでいいだろう?」


 

 ありえない、という言葉を、チェンは寸前で呑み込んだ。

 同胞たちの動揺が、手に取るようにわかった。どれほどの死地を前にしても揺れない彼らが、明らかに動揺している。


 それは、チェンが人質に取られたから、ではない。


 彼に人質など必要ない。

 理解した。分かった。痛いほどに。

 広間を押しつぶすような、圧力。

 それを背にして――チェンは、巨大な竜の顎が、その牙が、自分の肩に触れる様を幻視した。

 振り向けない。振り向けば自分は死ぬ。いや、振り向いても振り向かなくても、きっと死ぬ。だからそんな怖い真似をする必要はない……。


 子供の癇癪のようで、しかし悟りのようでもある諦念を抱いたチェンの耳朶に、扉の開く音が木霊した。

 同時に、カラカラと何かが転ぶ音。それはあまりに聞きなれた音だった。


「大変、失礼した。ユキト殿」


 車椅子に乗った、一人の老人。

 幾重にも皺の刻み込まれたその顔に、チェンの口から「大人ターレン……」と声が漏れていた。


 この場で、鳳凰街の裏で大人ターレンと呼ばれるのは、たった一人。


 彼らにとっての父。

 すなわち、黒楼竜を束ねるボス、その人である。

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