#07 ~ 金獅子
ホテルのチェックインを済ませた俺たちは、伯爵と合流するというイリアさんと別れ、ある場所へと向かった。
帝都東駐屯地――帝都に三つある帝国陸軍駐屯地のひとつだ。
駐屯地というからには移動可能な拠点なのだろうが、そうとは思えないほど重厚な壁に囲まれている。
その壁の向こうで俺たちを待っていたのは、誰あろう、見知った顔だった。
「ダニエル教官、お疲れ様です」
そう、ホテルで別れたダニエル教官だ。
しかも、黒い軍服姿。敬礼姿がとても似合っていて、やはり軍人なのだなと思い知らされる。
「いえ、本日は教官ではなく、帝国陸軍少尉として皆様をご案内します。本官のことはそのように扱って頂ければと」
「了解しました、ダニエル少尉」
敬礼に頷き、背後を見る。
シグルド君が真っ先に進み出て、ダニエル少尉に敬礼を返した。
「本日は、よろしくお願い致します!」
靴の鳴る音。全員の敬礼が揃う。その顔は真剣そのものだ。
こうしてみると、やはり士官学院の生徒――軍人の卵なのだなと実感する。
「了解した。ではまず、駐屯地内を案内します」
ダニエル少尉はふっと笑んでから敬礼を崩し、そして俺たちを駐屯地の中へと招き入れた。
「我々、第二師団は防衛任務が主体です。ほかにも、前線への援護、補給線の確保などもありますが」
――実際のところ。『反乱』への備えこそが、帝都駐屯地の本来の任務なのだという。
帝都アレクハイムは帝国の心臓。それゆえに、帝国への忠誠が篤い精鋭が集められるのだそうだ。
そのため、帝国軍人の中でも、帝都勤務は一種の誉れらしい。
「まずこちらが食堂です。食堂は自由に利用いただいて構いません」
へぇ、と食堂を見回す。意外にもというべきか、普通の食堂だ。
今は食事時ではないからか、誰も見当たらない。
「帝都駐屯地といえば、カレーが有名ですね」
「カレー……!?」
シグルド君の言葉に思わず目を剥く。
陸軍なのにカレーだと。海軍じゃないのか。
……まぁ、帝国国内に海軍は存在しないのだが。
俺も最近知ったことだが、実はこの世界において、海洋貿易は非常に未熟だ。外洋は大型魔物の巣窟であり、大陸から離れれば離れるほどに危険性が増す。魔物避けの運用も難しい。
逆に言えば、だからこそ、陸上交通の要衝――黄金街道を有する帝国がここまで発展したとも言える。
しかし……日本の海軍でカレーが流行したのは脚気対策と聞いたが。なぜ陸軍でカレーなのだろう。
(まぁどうでもいいか)
重要なのはカレーが食えるかどうかである。
そんな俺を見て、ダニエル少尉が苦笑する。
「まあ、夕食はまだ先ですし、次に行きましょうか」
「あ、はい」
……そんなに顔に出てたかな、俺……。
ダニエル少尉に駐屯地内を色々と案内され、さらには駐屯地の司令だという少佐にも挨拶をし、最後に連れてこられた場所。
「この先が練兵場です。期間中はどうぞ自由に使ってください」
「ありがとうございます、ダニエル少尉」
そう。俺たちがここに来た理由。
それはもちろん、戦技大会に向けての調整だ。
どこの訓練場を借りるか悩んでいたら、ダニエル教官が話をまとめてくれたのだ。
駐屯地の練兵場を借りれるなんて、なんて贅沢な話だろう。
だがそれだけ期待されている、ということなんだろうな。
練兵場に踏み入った俺は――ふと、足を止めた。
「ユキト先生?」
ダニエル少尉もまた、俺の視線を追う。
そこに――誰かがいた。
いや、誰かがいるのはいい。もともとは軍の練兵場だし、訓練中の兵士がいるのは当然だ。
だが、そうではない。
ただの兵士でないことは、一目でわかった。
鍛え上げられた肉体。隆起した筋肉。だがそれ以上に、纏う気配が尋常ではない。
年齢は、五十代かそこらだろうか。軍服をまとった男性は、俺たちの気配を悟ってか振り返った。
「――まっ、マクレーン大将閣下……!?」
背後で驚愕し、ダニエル少尉……だけでなく、生徒全員が敬礼を取った。ただならぬ緊張感に、彼らの頬に汗が伝う。
「楽にして構わない、ダニエル少尉。それにヴィスキネル士官学院生徒諸君」
「はっ! 本日は、どのような――!」
「戯れよ。少々、興味が湧いてな」
……何だろう。
一言一句が重い。尋常ではないプレッシャーだ。
「君が、ユキト君か」
彼は俺の元に歩み寄り、そして手を差し出した。
「私はマクレーン・バロウズ。陛下より帝国陸軍大将の任を賜っている」
思わず目を見開く。この世界の事情に疎い俺でさえ、聞き覚えのある名前だった。
「はじめまして、ユキトです」
差し出された手を握る。
鋼のように硬い手だ。手を握るだけで、どれほど剣を振ってきたか分かる。武人としても、恐らく超一流。
思わず口元に笑みが浮かぶ。この圧力、予想以上に只者ではない。
そして彼もまた、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「なるほどな。やはり君が……」
「?」
「いずれもっと話をしてみたいものだ。酒でも交えてな」
「……光栄です」
手を離し、一歩下がると、彼は俺の後ろに並ぶ生徒たちを睥睨した。
「さて、ヴィスキネル士官学院生徒諸君。君たちの活躍は聞いている」
予想以上の大物の登場に興奮しているのか、全員の顔が紅潮していた。
直立不動で、『はいっ』と上擦った声が揃った。
「君たちがいずれの道を征くにせよ、その武は必ず君たちの道を支えることだろう。武芸大会は間もなくだ。本戦での奮闘を期待している」
『
それに頷き、マクレーン大将は俺の肩を叩く。
「よく鍛えられている。君の指導の賜物だろう。機会があれば、我が軍の兵も鍛えてやって欲しいものだ」
「……それはまた。過剰評価というものでは?」
「そうだろうか。私はそうは思わん」
視線が交錯する。その目は、まるで冗談を言っている目には見えなかった。
実際に、世辞など言いそうなタイプには見えない。
「貴君の本戦もまた楽しみにしている。――ダニエル少尉。あとは頼む」
「はっ!」
ふっと笑んで、背を向け去っていくその姿に――周囲からほっと安堵の息を吐く気配がした。
「す、すごいですね、ユキト先生……あの閣下と、堂々と言葉を交わすとは」
「でもよ! あの大将閣下が、期待してるって! 俺たちに! すげぇことだぜこれは!」
「ああ……!」
興奮気味に話す生徒たちを横目に、握られた掌を見下ろす。
(帝国陸軍大将、マクレーン・バロウズ、か)
通称にして、『金獅子』。
かつてのユグライル戦役において、下級貴族でありながら元帥に抜擢され、帝国に圧倒的勝利をもたらした立役者。
帝国における元帥とは、戦時においてのみ与えられる全軍の総司令。あまりにも異例の抜擢でありながら、異論の全てを実力で覆した、当代一の戦術家にして英雄。
そんな人が、なぜ俺のことを……。
「閣下の、兵を鍛えて欲しいという言葉は、恐らく本気かと。それは私も同感です。その指南、私自身が受けたいと思っておりますので」
「……過大な評価、ありがとうございます。ただ今は――」
「ええ。分かっております」
ダニエル少尉の目線が、生徒たちに向く。
そう。戦技大会は目前。俺は、やるべきことをするまでだ。
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