◆31 ~ 銃声

 誰もが、言葉をなくしていた。


 戦車――戦車だ。現代最強の兵器、その代表格と言える代物。

 だがそれですら……彼には、児戯に等しい。

 ミハイル・フラヴァルトは過呼吸を起こしたように、もはや震えを押さえられない。


 刀を静かに鞘に戻した男が、一歩、また一歩と、彼らのいる席へと近づいていく。


「ひっ……」


「ミハイル・フラヴァルト」


 恐怖に喉を引き攣らせた彼の名を呼んだのは――アイーゼだった。


「リリエス家の領内に、無許可で兵器を持ち込んだ。これは立派な重罪」


「……そうですね」


 アイーゼに肩を貸していたイリアもまた、頷く。


「あれがもしフラヴァルト社のものであるなら、操業停止……いえ、それ以上の処分が降るでしょう」


 たとえそうでなくとも。ミハイル・フラヴァルトの破滅は、もはや決定的だった。


「待ってくれ……」


 だが、そこに声をあげたのは、彼女たちの誰でも、そしてミハイルでもなかった。

 ふらふらとした足取りで、まるで幽鬼か何かのように、イリアたちの元に近寄ったのは……リリエス男爵。アイーゼの父。


「では……婚約はどうなるのだ……? リリエス家は……」


「……父様……」


 アイーゼが、唖然と声をこぼす。

 イリアが、シェリーが、顔を歪めた。

 全員が……思わざるをえなかった。


 ――ああ。これは救えない、と。


「まだ……まだそんなこと言ってるの!? パパ、どうして……!?」


「ミミ……分かってくれ。他にないんだ。他に……他には……」


 がくりと膝をつき項垂れる。

 アイーゼは……ただ悲し気な目で、それを見おろした。


 何も、変わらなかった。

 決闘なんて、無意味だった。

 その答えが今、彼女の目の前にあって。


「アイーゼ……」


 ……気がつけば。頬に、涙が伝っていた。

 その名を呼んだシェリーが、ぎゅっとその腕を抱きしめる。 

 するりと、零れるように――アイーゼのコートのポケットから、押し花が滑り落ちた。


「男爵閣下。どうしてそこまで……」


「それは、私が説明いたします」


 イリアの問いに、そう言って名乗り出たのは、後ろに控えていた執事だった。

 アイーゼが彼を見て、そしてわずかに驚きに顔を染める。

 その眼は……驚くほどに冷たい。


「はじまりは、今から十年ほど前です。旦那様は、騙されたのです」


「騙された……?」


「ええ。かつて、旦那様にも貴族仲間と呼べる方がいたのですが……」


 いわく。

 その仲間から、投資の話を紹介されたのだそうだ。

 最初は少額に。だが少しずつ、額は上がっていった。


「もう家族に、奥様に苦労させなくても済む。そう考えてのことでした。ですが……」


「……詐欺、だったのですか?」


 ええ、と彼は頷いた。

 貴族仲間だった相手に文句を言っても、知らぬ存ぜぬ、紹介しただけだと突っぱねられた。

 後に残ったのは――大量の負債。


「……その通りです」


 そう答えたのは、彼の妻である男爵夫人だった。


「大量の負債を返済するために、貴族として名を売り、様々な商売に手をつけました。ですが……」


 中には、成功したものもあった。だがそのほとんどが失敗だった。

 もはや残されたのは、婚姻というカードただひとつだけ。


「ですが……間違っていたのですね」


 夫人は、そっと、地面に落ちた押し花を手に取った。


「最初はただ、娘たちにそんな苦労を残したくない……ただそれだけだったはずなのに……」


「母様……」


「追い詰められ、気がつけば、何も見えなくなっていた。そうでしょう、アナタ。本当に見るべきものから、私たちは目を背けてしまった」


「……フェニア……」


 夫人の言葉に、男爵は呆然と、アイーゼを見た。

 涙をこぼし、ただ悲しい目で見下ろす……自分の娘の姿を。


「だが……だが、ではどうすればいいのだ。このままでは、我が家は、私は一体どうすれば――!?」


「それは――」


「――危ない!」


 不意に背後から聞こえた声。

 あまりにも一瞬の出来事だった。


 ユキトが、アイーゼたちの前に躍り出る。

 パンッ、という乾いた音。

 そして――飛び散る血と、火薬の匂い。


 全員が目を見開く。

 撃たれたのは……リリエス男爵だった。表情を激痛に歪ませ、そのわき腹から血がこぼれ出ている。

 そして撃ったのは……


「……ランドさん……?」


 執事服の、ランド・ラネス。

 拳銃を片手に、ただ冷たい目で、彼は男爵を見下ろしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る