#12 ~ 疑念
オーランド伯爵邸。
その一室である談話室は、重苦しい沈黙が流れていた。
アイーゼさんが姿を消して、三日が経つ。
学院が夏休みといえど、秋の本戦に向けて行われていた訓練にも、もう三日ほど顔を出していない。
だがその理由は分かっていた。
シェリーさんの元に、一本の通話があったからだ。
「アイーゼさんの妹が結婚、か……」
「本来なら、喜ばしいことなんでしょうが」
しかし、明らかな政略結婚。
アイーゼさんの気持ちを考えれば、喜べるはずもない。
「アイーゼは、自分のかわりに妹が犠牲になろうとしていると……だから、一度家に戻ると言っていたそうですが」
「政略結婚なんてよくある話だろォが。良いか悪いかなんて他人様が口出せることかよ」
イリアさんの言葉に、はっ、と呆れたように返したのは、一人の少女。
ステーリア・ローゼンベルク。一目ではどう考えても子供にしか見えないが、この中では最年長である。
それゆえか、彼女の言葉は問題の本質を突いていた。
この世界において、いや、この国において、貴族の政略結婚など何一つ珍しいものではない。
アイーゼさんのそれが問題視されたのは、相手の貴族にあまりにも問題があったからだ。
「しかし今回の相手は、何の瑕疵もありません。今のところは」
アイーゼさんの妹、ミミ・リリエスの結婚相手に名乗りを上げたのは、貴族ではなく実業家だった。
名を、ミハイル・フラヴァルト。
「だとしたら、コッチが手を出せる問題じゃねぇ。貴族の結婚に何の根拠もなくイチャモンをつけるようじゃ、手が後ろに回るのはこっちだ」
正論である。
だから俺たちはこうして、何もできないまま事態を見守るしかない現状になっているのだ。
「……気になることは、あります」
そう言ったのは、それまで黙って椅子に座っていたシェリーさんだった。手元には、
その
彼女の態度は、今まで見てきた彼女とまるで違った。
余裕がない、というべきなのだろうか。
彼女は一言ずつ、まるで絞り出すように言った。
「アイーゼの妹は、まだ十四歳です。ですが、婚約ではなく早々に式を挙げようとしているそうです」
「十四歳の子供と結婚しようとしてるってことか?」
とんだロリコン野郎じゃないか。
「相手の狙いは、爵位でしょう」
イリアさんの言葉に、ステーリアさんが「はっ」と鼻で笑う。
「金の力で貴族になろうってか。これまたよくある話だ」
「そうです」
シェリーさんはうなずき「しかし」と続けた。
「その相手がリリエス家というのは、おかしいと言わざるを得ません」
「……なるほど。金で爵位を買うのなら、もっと別の家を選ぶ……」
「他に選択肢がなかったとも思えません。大粛清以降、経済的に困窮している貴族は少なくありませんから」
「大粛清?」
いわく――およそ五十年前。鮮血帝の時代、あまりにも苛烈な貴族への粛清が行われた。
発端は、深刻な経済恐慌だ。
生活の水準が落ちた貴族の間で汚職や賄賂が横行し、当時の皇帝である鮮血帝は彼らを厳しく断罪した。
鮮血帝は、生来にして清廉潔白を好む気質であったと伝わる。典型的な軍人気質とも言えたかもしれない。
汚職や賄賂を嫌った皇帝と、貴族同士の権力闘争の結果、数多の貴族が粛清され――皮肉にも、それが統治機構の空白と混乱を生み、帝国の衰退を決定的なものにしてしまった。
鮮血帝は軍才こそあれど、統治者としての才はなかった。そう言われる所以だ。
さらに、粛清されなかった貴族もまた、無傷とはいかなかった。
経済恐慌によって領地経営が次々と破綻。多くの貴族が領地を手放し、皇室からの年金によって暮らすことを選んだのだが……約束されたはずの年金は満額で支払われることはなかった。
これは爵位年金問題と言われ、経済的に困窮し、外国に高跳びした貴族までもいたという。
「最終的に……この年金問題が引き金となって、当時の皇太子殿下、つまり先代陛下によって鮮血帝が暗殺されたことで、この時代は終わりました」
「先代陛下が経済を立て直さなきゃ、今頃帝国は滅んでたかもな。……まぁ歴史のお勉強はこの辺でいいだろ。それで?」
「はい。リリエス家というのは、典型的な没落貴族。はっきり言って、将来性はないと言っても過言ではないんです」
リリエス家は、現代では珍しく領地を有する貴族だ。
だが、領地といっても寒村ひとつ。その収入は微々たるものだ。
「彼らは将来的に、領地を返還するしか道はありません」
「そうなれば、年金がもらえるんじゃ……」
「年金といっても、男爵ですから。一家が細々と暮らせる程度です」
どうやら、俺が想像していたよりも年金は多いものではないらしい。貴族といっても左団扇にとはいかないようだ。
「受け取らない貴族も多いのですよ。そもそも国家に奉仕するのが貴族の役目ですから」
「風潮として、年金に頼る貴族は権威が弱いと見做されることが一般的ですから。受け取っている貴族の方が少ないと思います」
あくまでも暗黒時代の名残だそうだ。
皇帝暗殺にまで発展した年金が、今となってはそれほど重視されていないというのは、なんというか皮肉な話だ。
「そんな家に、どうして商人が婚約を持ち掛けたか……確かに、分かりませんね」
「確かに、おかしな話だなァ。成人もしてねぇガキと結婚しようっていうんだ、相当焦ってるか、何か目的がないわけがねぇ」
「目的……」
商人が、先のない貴族と結婚しようとする目的。
……これがもし、地球だったらどうだろう。
商人を金持ち、貴族を……そうだな、地主と考えれば……。
(――まさか)
不意に頭の片隅にこぼれた思考に、はっと口元に手を当てる。
「先生?」
「……これは、単なる予想なんだが」
俺の放った言葉に、全員が目を見開いた。
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