#08 ~ ローゼンクロイツ
「暁の聖杯……?」
あの時の状況を説明した俺の言葉に、ぴく、とステーリアさんが眉をあげた。
もしかして知っているのかと目線を向けると、「チッ」と舌打ちした。
「知らねぇな」
どう見ても知ってるだろ、と思ったが、口をつぐむ。
そもそも正直言って、連中の目的だの正体だのに興味はない。
また今度敵対した時に、確実に仕留められるようにはしておきたいというだけだ。
例えば連中がとんでもない犯罪者集団だとして、そういうのは警察とか、正義のヒーローにでも任せておけばいい。
「ま、問題は二つだな」
「あの水滴の魔法と、水の分身……特にあの分身、正直言って、対策がろくに浮かびません」
「分身ねぇ。そんな術は聞いたこともないが……恐らく、その魔術は術者自身に繋がっていたはずだ」
「繋がっていた……?」
「術式ってのは、そこまで複雑な動作はできない。まして人間に見せかけるなんてのはな。だとすれば、術者自身が操り続けていた――と考えるしかないだろ」
糸で人形を操るように。
であればその『糸』を辿れば術者に辿り着けたはずだと、彼女は言う。
「糸を、たどる……」
「どのみち、お前に必要なモノはひとつだよ。前者も後者も、同じ結論にたどりつく」
彼女がパチンと指を鳴らすと、その周囲に六つの炎が躍った。
まただ。あの水使いの男と同じ。
魔力などまるで感じ取れず、気がつけば魔術が発動していた。
「術式の長所は二つ。ひとつは、さっき言った継承の問題。二つ目は、予め術式を準備しておくことで高速化し、そして強化できること。
強化と言っても、威力だけじゃない。術式を隠蔽し、発動を隠すのも一つだ。もっとも、その分難度は上がるがな」
「なるほど……」
さっき言っていた隠蔽術式というやつか。
《奈落》と名乗ったあの男。彼の術を最後まで見切れなかったのはそれが理由なのだろう。
「隠蔽といっても、正確には隠すというより誤魔化す、といったほうが正しい」
術式から生じる魔力を、人は本能的に感じ取ることができる。
だが人が感じ取れる魔力は
「つまり人が感じ取れる魔力は、特定の性質をもった魔力のみということだ。こいつを利用するのが隠蔽術式だ」
「性質を変える……誤魔化している、ってことですか?」
「まあな。といっても、隠蔽術式そのものも術式には違いない。誤魔化しているだけで本質は同じ。見えづらくだけなっているだけだ。こいつを見えるようにすりゃいいってわけだ」
「一体どうやって……」
「自分で考えろと言いたいが、まあヒントはくれてやる」
瞬間。背後に何か嫌なものを感じて、咄嗟に飛びのく。
俺の背後に出現していた炎の球が、床に当たって霧散した。
「今のは最初に見せた隠蔽術式と同じものだ」
だが気づけた。それはなぜか?
「あとは自分で考えてみな」
◆ ◇ ◆
さてと、とステーリアは訓練を始めるその男――ユキトを見て、そっと息を吐いた。
今、ユキトの周囲にはいくつもの蝋燭が立てられている。いわゆる簡易的な魔導具だ。どこかの蝋燭にランダムに火が灯る、それを目をつぶって当てるという訓練法だ。
もっともその火は、隠蔽術式によって起動が隠される。ユキトの言う「水滴」の魔術と同じように。
つまり正確に当てるためには、隠蔽された魔力を確実に読み取る必要がある。
……まあもっとも。
それぐらい、この男なら一日も経たずにクリアしてしまうかもしれない。
最初、シルトに相談されたとき、ステーリアはユキトを鍛えることに反対した。
――危険だからだ。
(一体、どれほどの修練をすればここまで……)
たった十八歳。自分よりも年下。
だが、気術……魔力のコントロールというただ一つを論じるならば、完全に自分の上を行っている。
まるで、本当に、ただ呼吸をするように。
一流の魔術士は呼吸をするように魔術を操るというが、それは所詮比喩にすぎない。だが気術において、呼吸とは奥義にも通ずるという。
その奥義を――ごく自然に、当たり前のように、彼は常に行っている。どれだけ気が抜けてそうに見える一瞬でも。
生まれながらの天才はいないと、ステーリアは思っている。
もしも才能という言葉があるとしたら、それはいかに修練を積めるかという才能だけだ。
だがこの男のそれは、完全にイカサマにしか思えない。持論を覆したくなるほどに。
(ガレオン山脈で拾われ、ずっとそこで暮らし続けてきた男か)
それはどれほどの環境なのだろうか。
ガレオン山脈といえば、帝国でも屈指の
人は環境に適応するため、時にその在りようを変える。
俗説だが、魔力の濃い領域で育った赤子はより魔力に適応するという。
この男は、そんな魔境が生んだ怪物なのかもしれない。
(もしも、コイツが魔術までも完全に修めたら――)
それは、誰も手がつけられない怪物を生み出してしまうことになりはしないだろうか。……魔王、とも呼ばれるような。
あの、魔槍の選手――名前は忘れた――との試合。
ユキトは魔剣の存在など知らなかったはずだと聞いたとき、ありえるわけがないと思った。
一度見ただけで盗むなんて、そんなことが出来るわけがない。
だが現実に、彼はそれを成してしまった。
その重大さに、誰も気が付いていない。
今は剣術という領域だけで済んでいる。だがやがて魔術の術式も、一目見ただけで盗めるようになってしまうかもしれない。
あまりにも危険すぎる。
百年前の術式戦争が、現代に再現されるかもしれないなんて、まるで悪夢だ。
だが――
『君になら分かるはずだ。ほかならぬ君になら』
シルトの言葉を思い出して、ステーリアは首を振った。
(力は、人格を否定しない)
どれほど強くとも、生きている人間なのだ。
ステーリア自身にもまた、それは言えた。
時に、化け物と畏れられた。
容易に人を殺せる力。ただそれだけを見て、内面などすべて無視して、数多の大人たちは彼女へと罵りと呪いの言葉を浴びせかけた。
もしかしたら、それは一面では正しいのかもしれない。
事実として彼女は、まるで小指を捻るように、人を殺せる。
殺される側にとってそれは、ただ立っているだけで、銃口を突きつけられているのと変わらない。
その正しさは、正義は、いつも彼女の敵だった。
そんな中で……彼女を支えていたのは、何でもない幼馴染だった。
その幼馴染は、彼女のように突出した才能があるわけではない。
だが、畏れるでなく、媚を売るのでもなく、傍にいてくれた。ただの幼馴染として。
君は人でいいんだと、そう言われた気がした。
それだけが、彼女の生きる支えだった。
……そんな自分が、彼の未来を見て畏れようとしている。
その馬鹿馬鹿しさを、笑い飛ばす。
(シルトちゃんは、コイツを信用できると言った)
ならば、まずは信用してやろうと思う。
だが、もしも――この男が
(ワタシが、殺してやるよ)
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