きれいなわたし
そこで、トイレからあわててわが妹が出てくる。どうやら暮林さんの嗚咽が聞こえたらしい。
「……お兄ちゃん? 暮林さんに何したの?」
「……わからんけど、そんなひどいことしてない……はず」
アンジェがジト目で俺を見てくるので、言い訳してしまった。
いや、確かにアンジェのおにぎりを馬鹿にするな、ということは言ったけどさ。
でも、この泣き方、悲しくて泣いたような感じじゃないのよね。むしろうれし泣きみたいな。たとえるなら恋人を殺されてタイムリープしたどこかの半グレ主人公が過去の恋人に会った時のような感じ。
「……ごめんなさい。嬉しくて、思わず……アンジェちゃん、雄太くんは悪くないよ。わたしがただ嬉しすぎて泣いちゃっただけだから」
そういって顔を上げた暮林さんは、確かに悲しい顔をしていない。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃでなかなかに非道い顔ではあるけれど。
とりあえず、暮林さんがいったん落ち着くのを待って、ティッシュを渡す。
…………
何がうれしかったんだ、ろうか。
その会話から、俺が悪いわけではないということは、アンジェもなんとなく察したようだ。
「……よくわからないけど……まあ、暮林さんがそう言ってるんなら、いいのかな。ところでお兄ちゃん、海苔買ってきてくれた?」
「あ、ああ」
俺は、改めて買ってきた海苔をアンジェに手渡す。
「ありがと。じゃあ握ったおにぎりを海苔で巻こうっと」
そう言って、俺が買ってきた海苔がおにぎりを包むまでに見せたアンジェの手際は、記憶の中に残ってるものとは全く違うそれだった。
「……はい、どうぞ。食べてみて、飛ぶから」
なぜかここで、脳内にパワーホールが鳴り響く。
いや、まて、アンジェよ、俺の意識のほうが飛びそうだよ。いつの間にそんなに上達したんだ、おにぎり握るのを。
…………
というか慌ててトイレから出てきたけど、手は洗ったんだよな?
アンジェがトイレに入っていた理由が理由なだけにそんなことが訊けるはずもなく、俺はアンジェが握ったおにぎりを食べることになる。
……いや、確かにうまかった。うん。
だけど、手洗いの有無だけが気になって。
暮林さんという、俺と血縁のない他人が握ったおにぎりを食べたという嫌悪感は、どこかへ吹っ飛んでしまった。
―・―・―・―・―・―・―
その後、いろいろ話をして分かったが、あのいびつなおにぎりはやはり暮林さんが握ったものだったようだ。自分の手が汚いって引け目を感じていたから、無理やり握らされたけど手が震えてうまく握れなかったらしい。
やがて暮林さんのオカンが戻ってきたのだが、入ってすぐに娘の表情を見て驚いていた。
「……美衣、なにかあったの? 憑き物が落ちたような……」
「えっ……え、ええと、うん」
「……」
いぶかしんだオカンが俺のほうを見てくる。
思わず『ひっ』と叫びそうになったが、すぐさまオカンの顔は微笑みに変わった。
「雄太さま……美衣を、また救ってくださったのですね。感謝の念に堪えません、本当に……ありがとうございます」
「え、ええと……」
何があったのかはいまいちわからないのだが、そのあとに暮林さんが続けて俺に話しかけてきた内容がまた。
「本当に、ありがとう。わたし、もう自分を汚いって思いこむことはやめにする」
「……へ?」
「だって、わたしが自分を汚いってずっと思ってたら、さっき言ってくれた雄太くんの言葉を否定しちゃうことになるもんね。それだけは、できないもん」
「……は?」
「本当に、うれしかった……許されたみたいで、うれしかった。だから、さっきの雄太くんの言葉を信じて、わたしは生きていくことにするよ」
「……ほ?」
ああごめんね。
あのおにぎりを乗り換え上手で料理上手の暮林さんが握ったって知らないままに、奥歯で嚙んじゃったもんだから、勘違いの加速装置が進んだだけなんだ。
サイボーグな〇〇9もびっくりだよな、伏字になってない気もするけど。
……とか、今さら言えるわけねえ!!
おまけにそのあと、気持ち悪いとか思う余裕もなかったし。
あと……形はともかく、普通にうまかったしな、おにぎり。
不思議な感じもするが、まあいい。〆よう。
「今までお弁当ありがとうね、暮林さん」
「ううん、わたしのほうこそ……」
「じゃあ。今日はごちそうさまでした」
「……うん。あ、あの、もしよければだけど、またお弁当……」
おっと。
もうアンジェがお金を持ってきてくれたんで、そこまでして節約する必要はないといえばない。
それに、このままずるずる行っちゃうとまたいろんなトラブルに巻き込まれて、暮林さんの気分がRe:鬱っちゃったりしたらやだから、遠慮しとこう。
剣崎さんに橋渡しできるくらいの精神状態を保っとくのもだいじ。
「いや、大丈夫。もうそれをお願いする必要はないだろうから」
「……そっか。うん、じゃあね!」
今日、初めて暮林さんが、なんの翳りもなく笑って、笑顔でアパートを出ていく。
そこで見たのは、中学時代に戻ったような笑顔で。
当てられた俺は、なんか今までのことがどうでもよくなってくる錯覚に陥った。
…………
最後のやり取り内で、お互いの意思の疎通ができてないような気が、バリカタ通り越してハリガネくらいあるけど。
ま、もう、いっか。暮林さんにわざわざ言わなくても。
「雄太さま」
「はい!?」
おっと、オカンのほうもなにやらとてつもない笑顔のままだ。
「今日のお礼に、雄太さまの叔父様の事業は、全力でバックアップさせていただきます」
「いやそれはありがとうございます……ってあれ、ジョーンズさんは?」
「まだいろいろと打ち合わせすることがあるらしく、私だけ美衣を迎えにきたのです」
「ああ……そうでしたか」
「私たちはこれにて失礼いたします。いつか必ずこの御恩は」
「いやいやいや別に何もしてないですし気にしないでください」
「……いいえ、気にします。では」
そのまま上機嫌で、オカンも去っていく。心配してたんだろうな、娘のことを。
俺は勘違いで暮林さん……いや、美衣ちゃんを楽にしただけなのにね。
……しかし、これでジョーンズさんに恩が売れるな。ふっふっふ。
「お兄ちゃん? 何か悪い笑顔になってるけど?」
「ああ、気にするな。晩御飯はジョーンズさんからうまいもの食べさせてもらおうな」
「……? よくわからないけど、わかっ……あ、そういえば慌ててトイレから出てきたから、手を洗うの忘れてた」
「おい!? ちょっと待てもう食っちまったぞ!?」
またまたおしりペンペンで許した。
俺が腹を下したら、新たな罰を
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