57 第一王子の独白⑥
二度目の人生でも、シャーロットが大嫌いだった。
目が覚めると、俺はベッドの上にいた。
ふかふかの寝心地、見覚えのある天蓋の装飾、どこか落ち着くような居心地の穏やかな空間。
「ここは…………寝室っ!?」
がばりと跳ね上がるように、勢いよく身体を起こす。キョロキョロと周囲を何度も見渡した。
間違いない。ここは俺の寝室だ。
「あれは……夢…………?」
しばらく茫然自失と虚空を見つめる。
長い長い長い夢だった。だが、夢にしては現実味があった。シャーロットへの憎悪、ロージーの柔らかい感触、冷たい処刑台……全てが本物のようだった。
ねっとりと脂汗が流れた。
夢で、良かった。あんな恐ろしいことが現実に起こるはずがない。
きっと、あれは天からの戒めなのだ。第一王子としての自覚をもっと持て、と。
今日もまた日常が始まる。王子としての日常。俺だけの特別な日常。
俺は立派な国王になるために、今日も決められたスケジュールをこなす。それが第一王子としての「正しい道」なのだ。
だが、あれは夢ではなかったということに俺はすぐに気付かされた。
きっかけは弟のヘンリーだ。
朝食の席であいつは父上に向かって「ヨーク公爵令嬢と婚約をしたい」と矢庭に言い出したのだ。
両親は目を白黒させて凍り付いて、俺は驚愕のあまり持っているフォークを床に落としてしまった。
「な、なぜ公爵令嬢と婚約をしたいんだ?」と、父上が尋ねると弟は「好きだから。可愛いから」と、平然と答えていた。
「可愛いって……あなたまだヨーク公爵令嬢と会ったことがないでしょう?」と、母上が尋ねると弟は「このあいだ王都で見かけた。凄く可愛かった。一目で好きになった」と、しれっと言ってのけたのだった。
両親は困ったように顔を見合わせてから、
「ヨーク公爵令嬢はエドワードと婚約してもらおうと考えているから駄目だ」と、父上が残念そうに首を振った。
弟は駄々を捏ねた。「絶対に公爵令嬢は自分と婚約しなければ駄目だ」「兄上と結婚したら彼女が不幸になる」「最期は兄上に殺される」……と、必死で両親に訴えかけていた。
母上は「なんですか、それは! お兄様に対して失礼ですよ!」と激怒していたが、結局弟に絆されて、俺の婚約者候補たちとのお茶会の内のヨーク公爵令嬢の日に臨席の許可を得たのだった。
それから弟は「公爵令嬢とのお茶会のときはチェリーパイを作れ」だの「公爵令嬢用の紅茶の茶葉は自分がブレンドするから何処と何処のものを用意しろ」だの「食器の銘柄はあそこの地方の名産品にしろ」だのテキパキと侍女たちに指示をしていた。
全部シャーロットの好きなものだ。まだあの女と接触していない弟が知っているのはおかしい。
やはり、時間が巻き戻っているのか……と、俺は驚愕した。
そこで俺ははっと我に返る。
……婚約者候補だって?
前の人生では、この時点で俺はシャーロットとの婚約が決定していたはずだ。たしかあの女の兄のアルバート公爵令息が王弟派に襲われたのがきっかけで――……。
ぞくりと背筋が寒くなった。
過去に戻っている。
しかも、一度目とは異なる道筋を辿っているようだ。
前の人生では公爵令息を襲った犯人は結局分からなかった。だが今回は公爵家の迅速な対応で解決して、その結果シャーロットとの婚約の話も正式にはまだ出ていない。
父上はやはり今回も婚約させるつもりのようだが、前回のような焦燥感に駆られた様子はまだないようだ。
あの女も過去の記憶を持っている?
そして、俺との婚約を回避しようと動いている?
今の流れは、そうでなければ辻褄が合わない。あの女は今回は断罪されたくない一心で、俺との婚約話を遅らせたのだろう。
相変わらず生意気な女だと思った。
あんな馬鹿な女のくせに、今度は自身で新たな運命を切り開こうと? あの女は「正しい道」を修正しようと思っているのか?
俺の心の中に、またぞろあの女への嫌悪感がじわじわと広がっていった。
自分の犯した罪は分かっている。浅薄な自分のせいで無実のシャーロットを死なせてしまったことを。
理解はしていた。
……だが、あの女を憎む気持ちは変わらなかった。それは胸の中にしつこくこびり付いていて、後悔しているはずなのに、俺は未だに血筋の劣等感に囚われているのだ。
罪悪感でそれを胸の奥に押さえ込もうとしても、ぐいぐいと押し返してきて、途端に溢れてきてしまう。
もう理性ではどうしようもできなかった。
処刑台で見物人に投げ掛けられた言葉が脳裏をかすめる。
――平民。
俺の中には「平民の血」というどす黒いものが未だ渦巻いていて、それはどうやっても抜き取ることができなかった。深い劣等感は肉体の隅々にまで染み付いたままだ。
いっそのこと、俺に流れる血を全部抜いてあの女と交換できたらいいのに。そしたら、血と一緒にきっと俺の引け目も肉体から抜け出してしまうのに。
一度目の人生ではどこまでが真実で、どこからが虚偽なのか分からない。
だから、シャーロットの言っていたことこそが真実なのかもしれない。あの女が俺に対して進言してきたことが「正しい道」だったのかもしれない。
分かってはいるんだ。
…………それでも、俺はあの女が嫌いだ。
◇◇◇
お茶会当日。
疑惑は確信に変わった。
あの女は冴えない令嬢を執拗にアピールをし、大好物のチェリーパイを遠慮なしにばくばくと平らげ、あまつさえ「自分は王子の婚約者に相応しくない」と、訴えかけてきたのだ。
しおらしい演技に無性に腹が立った。
本当は傲慢でプライドの高い女なのに、なに今回はいい子ちゃんぶっているのだと、罵声したい気持ちになった。大根役者みたいな下手くそな芝居も鼻に付いた。
この女もヘンリーも「自分は前の人生の記憶を持っています」と、宣言しているようなあからさまな行動に、俺は苛立ちが隠せなかった。
もし、アーサーたちの王弟派も記憶を保持していたらどうするんだ?
簡単に手の内を見破られて、また同じ道を歩むことになるかもしれないんだぞ。もっと慎重になるべきだ。
本音では、俺だってこんな女と婚約なんてしたくない。
だが、俺には絶対に成し遂げなければならないことがあった。
アーサーと男爵令嬢への復讐……!
俺の生きる糧はそれだけだった。
アイツらを出し抜くためにはシャーロットは手元に置いておいたほうがいい。あの女は強力なカードになる。
だから、今回の人生でもこの女とは婚約関係でありたかった。
復讐が終わったら、今度こそ解放してヘンリーにくれてやればいい。
…………それが俺のせめてもの罪滅ぼしだ。
その為に、俺は一人で行動を始めた。
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