44 第一王子の誕生パーティー③

「…………」


「…………」



 会場が水を打ったようにしんと静まり返った。誰もが言葉を発するのを躊躇しているようで、貴族たちは固唾を呑んでわたくしたちを見ていた。


 わたくしは第一王子の言っている意味が分からずに、ただ頭が真っ白になって銅像のように硬直していた。


「…………」


 全身が鉛のように重い。指先が痺れる。彼の放った言葉の羅列が混沌と頭の中にうごめいていた。


 わたくしが、第一王子の未来のパートナーですって?

 どういうこと? 一体なにが起こっているの?

 彼は……なにを言っているの…………?



「あ……兄上…………?」


 ハリー殿下の消えるような掠れ声が聞こえた。わたくしは縋り付くように彼を見る。彼は魂が抜けたみたいに茫然自失と立ちすくんでいた。


 沈黙。

 きらびやかに彩られた会場の雰囲気とは対照的に、葬儀のような重々しい空気が会場内を席巻していた。



 第一王子は敢えてこの空気を読もうとしないのか、ただ一人だけ楽しそうにニコニコとして、


「私からは以上だ。皆、今日は思う存分楽しんで欲し――」


「待ってくださいっ!!」


 そのとき、男爵令嬢が目を剥きながら大声で叫んだ。貴族たちの抜け目ない鋭い双眸が今度は彼女に向けられる。


「……どうしたのかな? モーガン男爵令嬢」と、第一王子は素知らぬ顔で小首を傾げた。


 男爵令嬢はぷるぷると肩を震わせて真っ赤な顔をしていた。目には涙が溢れんばかりに浮かんでいる。


「どうしたって……! なんでそんなことを言うの!? ずっと一緒にいようねって約束したじゃない!」


 第一王子はちょっと思案する素振りを見せてから、


「……あぁ、そんなこと言ったかな? よくある睦言なんていちいち覚えていないから」


 切り捨てるように冷淡に言い放った。


 途端に周囲がどよめく。わたくしも驚愕して口をぱくぱくさせながら再び彼を見上げた。


 いくらなんでもこれは言い過ぎだわ!

 こんな公共の場で……衆人環視の前で遠回しに未婚の令嬢のことを純潔でないと宣言するなんて、正気の沙汰ではない。


 というか、彼は男爵令嬢のことを愛しているのではなかったの? 恋人のことを侮辱するような発言をしていいの? 本当になにを考えているの?


「なっ……!?」


 男爵令嬢は今度はみるみる青白い顔になった。彼女をぐるりと取り囲むようにヒソヒソと貴族たちの嘲りの声が聞こえる。


「令嬢が初夜まで貞操を守らないなんて……」


「やはり、噂通り尻軽な女なのか」


「今夜は私も相手をしてもらおうか」


 ……などなど、彼女を品定めするかのような嫌らしい視線も飛び交っていた。


 第一王子は彼らの反応に満足した様子で頷いてから、


「そうだな。どうしても私の側にいたいと言うのなら、愛妾にならしてあげてもいいよ。……ただし、子は正妃との間にしか作る気はないけどね」


 信じられないことを言ってきた。


「そんなっ! 嘘よっ!」男爵令嬢はついに泣き叫ぶ。「プライドの高い公爵令嬢なんかよりあたしのほうが好きだって言ったじゃないっ!?」


「悪いが、恋愛と結婚は別なんでね。それに、王族の私が幾人もの男と関係を持っているような女と姻戚関係になるとでも? 汚らわしいな」


「っつ…………!?」


 男爵令嬢は二の句が継げないようで、ぶるぶると全身を震わせながら俯いた。ぽとぽとと大理石の床に涙が滴り落ちる。

 貴族たちの侮蔑の眼差しが彼女に一身に注がれた。あんなに男爵令嬢に鼻の下を伸ばしていた令息たちも困惑した様子で遠巻きに彼女を見ていた。


 再び沈黙が場を支配する。男爵令嬢のすすり泣く声だけが響いていた。

 わたくしはあまりの急展開に思考が追いつけずに、茫然自失と立ち尽くしていた。


 本当に、どうなっているの?


 ただ分かっていることは――今、この場は完全に第一王子が主導権を握っている。彼の高い身分もあって男爵令嬢も令息たちも、わたくしもハリー殿下も口を挟めず、事が事だけにただおろおろと顔を見合わせた。国王陛下は頭を抱えて、王妃様は顔を引きつらせてまるで未知の生き物でも眺めるみたいに息子を見ていた。


 どうしよう。どうすれば。

 わたくしは以後の立ち回りを一生懸命考える。

 王室主催のパーティーで第一王子がわたくしのことを未来のパートナーだと宣言したことは……公式発表とも同義。この瞬間、わたくしは正式に彼の婚約者になったし、実は第二王子と婚約内定していましたなんて後出しで公表なんて、もうできない。


 完全に彼にやられてしまった……!


 そして、懸念するのはモデナ王国の王女との婚約の件。あれはもう内定の段階まで進んでいると聞いている。それを個人の意思で勝手に蹴散らすなんて、本当に戦争になったらどうするのよ!



「……!」


 ふいに、第一王子がわたくしを見た。そして促すように顎を軽く上げる。彼の視線が男爵令嬢に向いた。


 わたくしは、彼の意図に気付く。

 はっと息を呑んだ。



 まさか……今ここで男爵令嬢を断罪しろと…………?



 たしかに、証拠は揃っている。前回の人生の情報と符合して先んじて仕掛けることができたし、それに今回は第一王子が分かりやすく男爵家を庇護していたので彼らに隙も生じやすかった。

 それに対して、わたくしのほうは断罪されるような瑕疵は一つもない。


 状況的にも文句なしだ。前回の人生でわたくしが晴れやかな卒業パーティーで断罪されたように、今日は第一王子の誕生パーティーで国中の貴族が揃っている。最高の舞台は整っているのだ。


 でも……、


 わたくしは最初から第一王子の掌の上で踊らされていたってこと……?


 いえ……今はあれこれ考えている場合ではないわ。第一王子にやられっぱなしで癪に障るし彼の意図も気になるけど、今が千載一遇の好機なのは間違いない。


 ……仕方ない、他のことは後回しだわ。

 国王陛下や高位貴族たちの前で彼女の罪を暴いて、前回の人生の復讐を遂げる……!




 わたくしはすぅっと息を吸ってからハリー殿下の扇をバンッと音を立てて勢いよく開いた。


 そして、ロージー・モーガン男爵令嬢を思い切り睨め付けながら、


「そう言えば、なにか勘違いをしていらっしゃる男爵令嬢がいるみたいね?」


 会場中に通るように声を張り上げた。


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